彼は一瞬の内に、無言の儘、部屋を一飛びで飛び越す迄に大きく開脚するというその姿勢の儘で、顔だけを私の方に向けると開いた襖の空間、私の目に映る向こうの部屋の宙をさっとばかりに横切って行った。その瞬時、私と視線が合った彼の瞳は、何とも不思議な色を私の胸の内に残していった。
それは、私にはさっぱり理解出来無い彼の眼差しだった、一体彼は何を考えていたのだろうか?。私にはさっぱり読めない彼の心情に思えた。
階段の部屋の中央に来た時、彼の瞳はこの居間での私の存在に気付いた。直後、彼は確かに震撼し、彼の体全体がはっと驚きの色を呈した。が、それはそれと分かるか否かという瞬時の間に消え去った。そして平時に戻った彼は、その後も私の瞳から自分の瞳を外すという事をせず、私と目と目を合わせた儘飛び去ったのだ。その僅かな間、彼のその目は私と同じ高さで相対していたのだが、私には彼が私を上目遣いで見ている様にも感じられたのだ。
嫌われているのか?、責められているのか?。私はこの一瞬にもその彼の瞳の呈する幾つかの色を読み取ろうと努力し、彼の心情を見詰め考えていた。が、それは普段の彼のそうした色では無い様子だ。少なくとも私にはそう思えた。こう私が物思う内に、彼は瞳の色をその儘にすると次の瞬間には彼の顔と彼の体は共に私の家の玄関へと移動し私の視界から消えていった。
彼が去った後も私は考えていた。それは何時もの様な彼の常日頃私に対して向けられる視線とは少々色を違にしていた。彼の胸に一物という雰囲気の、折に触れ妬み疎まれているという様な、そういった類いの嫌悪感を含んだ面差しでは無かった様だ。と私は思った。それはこちらを探る様でいて、一種奇妙な憐憫の色を含んでいたのだ。
この様な私にとって想像も付かない彼の面差しは、当時の私に何かしらの胸の引っ掛かりを覚えさせずにはおかなかった。それ程にこの時の彼の視線は私には奇妙な印象を与えた。