暫く、無言の儘で、彼女は力なく孫の片方の手を自分の片手で捉えていた。先程揃えた筈の孫のもう片方の手は、いつの間にか彼女の手からするりと滑り落ちていた。孫はこの自分の行動に怪訝な面差しを向けて来たが、彼女は寸時放心の体でいた。その為、孫のこの面差しに何かを応えてやるという様な機転が利かなかった。彼女はガッカリと気落ちしていた。顔だけで無く彼女の頭の中にも暗い影が広がっていたのだ。『駄目なのかもしれない。』彼女は思った。
お父さんも考え直して、こんなことに詳しいお医者様を探しに行ったのに。若しかしたらと、希望があるかも知れないと、あの人も出かける前喜んでいたのに…。
彼女は瞼の裏に、彼女の夫が若しかしたらと口にして、助かるかもしれないと自分の顔に向けて浮かべた笑顔を、そして急かされた様に裏口から飛び発って行く彼の姿を、そのしゃんとして、後ろから誰かに背でも押されたかの様な筋の伸びた背中を、ぼんやりとして思い浮かべていた。『お父さんがどんなに落胆されるだろうか…。』彼女は長い嘆息を吐いた。
ふっと、彼女は自分の事を呼ぶ孫に気付いた。孫はじっと自分の顔を見上げてその目に彼女の事を案じる色を浮かべていた。彼女は我に返ると目の前の孫の顔を見て、それが誰の顔かと認識迄出来る様になると、その身に思わずぶるッと震えが走った。そして、自分の手がその子の片手を持ち、自分とその子が一つに繋がっているという事実に迄気が回る様になると、思わず彼女はハッとばかりに顔色を変えた。
とはいえ直ぐに彼女はその顔色を隠し、如何にも平静を装った。それから如何にもさり気なく自分の手に残っていた孫の手を静かに外した。しかしその後、彼女の身に再度襲って来たぶるぶるとした戦きに対して、気丈な彼女といっても抗いがたいものがあり、彼女には如何しても身の震えを抑える事が出来なかった。
暗い顔をして俯いた彼女は、しまったわと臍を噛んだ。思わず唇を噛み締めてしまう。「この子は鈍な癖に妙に勘がいいところがあるから」と、彼女は我知らず、口に出した事にも気が付か無かった。思案に沈んだ彼女は、この場を何とか誤魔化そうと考えた。彼女は何か名案はないかと知恵を絞るのだが、気が動転している上に焦りが募って来る。焦燥した彼女には何の考えも杳として思い浮かんで来なかった。
無言の儘眉間に皺を寄せて、彼女はこの場の打開策に当たる妙案が皆目浮かんで来ないので、段々と窮地に追い詰められて行った。この儘ではいけない、なんとか言葉を捻り出すのだ、これでは孫が案じるばかりだ。目の前のこの子に自分の重篤な状態を悟られてはいけない。何とかこの儘、この無知の状態の儘で、何とかこの子を安らかに向こうへ送り出してやりたい。何とか、何か…。祖母である彼女は必死に考え込んだ。が、やはり暗澹とした闇の中、彼女の思考は五里霧中の渦中にあった。
いよいよ万策尽きて、思考に行き詰まった彼女は暗い顔を持ち上げた。はーっと、息を漏らすと彼女の顔は四方を探り、明かりの差し込んで来る方向へと自分の面を向けた。彼女はここで大きく数回呼吸すると深刻に落ち込んだ自らの気分を変化させた。
「如何にもなら無い物は如何にもなら無いんだよ。」
自分に、目の前の孫に、将又何かの宿命に、恰も自分達の周囲を取り巻いている空間に、そこに潜んででもいる誰か、何者達かに、彼女は敵対し、さも争うかの様な物言いで決意の様にこの言葉を表明した。
そうして彼女は気丈に自身の気持ちを持ち直すと意を決して、彼女の手から離しまた滑り落とした孫の手に向けて、自分の両の手を差し出した。
「お、…お前の、手をお見せ。」
酷く弱々しい声だと孫は思った、『急に如何したのだろう?』、祖母の具合が悪そうだと孫は感じていた。子供は不安そうに彼女の顔を見詰めて来た。