ヨボ爺の与太話

街の見て歩きを投稿したのは昔の話、
今はヨボ爺が日常の与太話をたまに投稿する、
子供の絵日記の様なブログです。

鎌倉文学館の川端康成邸見学会

2016-11-12 16:23:06 | 建物

11月12日(土)

 

邸内の写真をUP下のですが2017/06/23 同じ参加者の方から外観も含めてNGだとの指摘があったので写真は削除しました。

 

抽選で当選したので月初めに訪れたばかりの鎌倉文学館の 

フェステバル2016 川端康成邸 秋の庭園公開                                                    館長による小講座のあと川端康成邸庭園(庭園部分のみ)を見学します。

 参加して来ました、参加者は24名。

富岡幸一郎 (文芸評論家・関東学院大学教授・「表現者」編集長)館長から

現代の代表的な文学作家、1968(S43)年にノーベル文学賞を受賞した川端康成の

プロフィールや作品の解説のミニ講座では、

 

川端康成は古美術蒐集家として知られ、国宝の浦上玉堂や池大雅

与謝蕪村なども所有しており、時折全国の美術館で川端康成コレクション展も

開催されるそうです、また'雪国'の初版本(S16・6・12発行)や完成本(S23・12・15発行)

'山の音'の限定版(S27・4・20発行 888/1,000部)を触れさせてもらい、

生前の様子が記録されているDVD鑑賞の後、川端康成邸へ向かいました。

川端康成は鎌倉最古の神社甘縄神明神社(鎌倉市長谷1-12-1)の横に位置しています。

 

門の前までは何度か来た事があります。

入口の脇には川端康成記念会の建物があります。

 

中には入れませんが縁側から覗い写真撮影もOKですが、仏間の撮影はxで

セキュリティの問題もあり内部写真をブログやSNSでのupはxです。

仏壇の前にはDVDで観た川端康成が入院した際、外出許可を貰ってまで購入し来て

退院まで枕元に置いて眺めていたと云う鎌倉時代の聖徳太子立像(南無仏太子)

を飾って下さっていました。

玄関に出ている下駄は生前使っていた物だそうです。

 

敷地の奥の方には家族の方がいまも住んでおられるそうで、

左は正門から玄関へ向かう道で、ノーベル賞受賞の通知の使者はここから

来られたそうですが、親族の方は普段は我々が入ってきた門を使っているとの事。

 

短編小説「竹の声桃の花」は自宅の裏山が舞台です。

 

案内して頂いた文学館の方々、ありがとうございました。

鎌倉探索で門までは何度か来ていたのですが庭と縁側からとは云え、

内部が見学出来て嬉しかったです。ついでに周辺も徘徊したので

12,700歩でした。

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万代会館の見学会

2014-03-22 14:47:53 | 建物

3月22日(土) 2月23日(日)分

横須賀市津久井浜にある市立万代会館の見学会があるのを知り行ってきました。

京急津久井浜駅で下車、

駅のすぐ脇に金毘羅神社があったので参拝。

  

歩いて5分程で万代会館に到着、万代会館の存在は以前から知っており

茅葺の古民家なので一度訪れたいと思っていました。

 

 この建物は戦前戦後を通じ帝国銀行や東京通信工業(現・ソニー)の会長を務めた                        万代順四郎氏とトミ夫妻の邸宅だったものを夫人他界後の昭和55年に横須賀市に                     寄贈され、現在は市民施設として文化活動の場となっているそうです。

今日の見学会の趣旨は築60年を超え老朽化が進むこの建物の在り方を見直す

「万代会館プロジェクト・準備会」活動が進められ、皆にその存在とボランティアで保全

が行われている実情を知って欲しくて開催されたそうです。

会の方の案内で屋外・室内を案内してもらい見学、

  

   

 

最後は広間に集まりお茶を飲みながらプロジェクターで庭の手入れやペンキ塗りなど

ワークショップの様子の説明を受けて終了。

  

発起人の一人、三澤幸子さん(津久井の自然を守る会)は三浦竹友の会を通じ

顔見知りで、何かお手伝い出来ればと思ったのですが、活動日が第二土曜日で

他の予定とかち合うので残念ながら見送りです。

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千駄木/旧安田楠雄邸

2013-05-31 14:43:46 | 建物

5月31日(金)

昨日と同じ昨年9月29日(土)に参加した世田谷美術館開催のガイドツアー                                     建築意匠學入門東京二塔物語 ~銭湯パラダイス秋季番外編~                                        テーマとは違うけど、急遽見学することになった旧安田楠雄邸(都名勝指定文化財)です。

集合場所の直ぐ近くで、公開日が水・土曜日だったからだと思います。

旧安田邸は1919(T8)年に建てられた近代和風住宅で、                                          実業家藤田好三郎氏(遊園地豊島園の創設者)が建てた家を                                        安田財閥の創始者安田善次郎の孫にあたる安田楠雄氏が譲り受け住み、                                  亡くなられた後公益財団法人日本ナショナルトタストに寄贈され修復され、                                  現在は'たてもの応援団'が管理運営を受託し掃除やガイド等を勤め、                                   週2回公開されているそうです。

電話・照明スイッチ・ドアノブも昔のままです、

  

開放感のある応接とサンルーム

ガラス障子のガラスもほとんど昔の物が残っており、ガラス越しに映る影が歪んでいます。

昔のガラス製造技術ではガラスの表面が歪んでいたり気泡が入ったりしています。

  

懐かしい品物

アルミ水筒と弁当箱               銅製のしゃもじ

遠足にこんな水筒を持って行きました   オヤジがこれでカルメ焼きを作ってました

 

庭も素敵です。

 

建物ガイドは通常1時間程かかるそうですが、

今日の案内人:世田谷美術館高橋氏が交渉して30分でガイドしてもらいました、

でも上手な説明で楽しめました。

次に谷中方面に来た時は、じっくり見学させてもらいます。

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横浜:長屋門公園-1

2012-03-01 17:53:15 | 建物

3月1日(木)

以前から訪れたかった横浜市瀬谷区の横浜長屋門公園に出かけました。

横浜駅から相鉄線で20分弱、

 三ツ境で下車。

昨日の雪が道路の両脇に残る中、15分ほど歩いて到着。

ここには私のお気に入りブログ水彩画「ひろしのあの町あの家」の投稿者小滝 濶(ひろし)氏が描かれた建物の絵葉書が売られています

                                           横浜市認定歴史的建物 旧大岡家長屋門

旧大岡家長屋門
構造:木造二階、切妻造、桟瓦葺
建築:1887(M20)

                                             長屋門を入り右手にある文庫蔵                                             

                                       横浜市認定歴史的建物 旧安西家主屋

構造:木造平屋、寄棟造、茅葺
建築:江戸中期後半(18世紀末)
横浜市泉区和泉町の安西家の主屋を1990(H2)に横浜市に寄贈され、移築のため解体・修理し1992年(H4年)に竣工。

横浜からは内陸寄りなのでまだ昨日の雪が残っており、風情があり得した気分です。

 囲炉裏のある板の間から、

 裏から見ると。

                                              裏手の広場、色んな行事に使うそうです。

売店には竹とんぼ(¥100)・竹スコッフ(¥200)゜・竹笛(¥200)・竹炭(¥200)・はぎれ(¥100~500)等が売られていました、どうしても竹に目が行ってしまいます。

 

蔵と主屋には沢山のお雛さんが飾ってありました。

<続く>

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横浜:根岸なつかし公園旧柳下邸

2011-11-03 15:14:07 | 建物

 

10月3日(木)  <11月1日の続き>

保存館の次に向かったのは根岸なつかし公園 旧柳下邸(磯子区下町)です、

根岸なつかし公園内にある旧柳下家は、明治初頭より横浜でも有数の「銅鉄引取商」として弁天通に「鴨井屋」の屋号で店を構え金属の輸入業を営み、関東大震災で一部破損したが大部分は損失を免れ今に残されており、横浜市で1996(H8)年に敷地を取得し建物の寄附を受け創建当時の姿を復元、2002(H14)年に市指定有形文化財として指定されています。

以前から訪れかった場所です。

設計:不詳 施工:不詳 竣工:1916~1919(T5~8)年ころ

構造:木造平屋、洋館は2階建て日本家屋に洋館が付随した和洋折衷の建物  

    

 玄関脇の天水桶(防火用水)には屋号の丸に加、

 庭には水琴窟、

2階は入れませんが、1階は全ての部屋が見学できます。

 

 風呂は五右衛門風呂ですが脱衣場は畳敷き

 トイレ

     

各部屋と廊下

  

洋間は和洋折衷で畳敷き、

    

蔵の中も見学できます、

  

蔵には修復の際見つかった、(2010-04-03)投稿横浜都市発展記念館 企画展 ‘西洋館とフランス瓦-横浜生まれの近代産業’で知った横浜山手のジュラール(フランス人経営者の名前)工場で焼かれたフランス瓦が2枚が展示されていました、因みに残りは都内の洋瓦製造業が模倣して作った瓦だそうです。

  

雨戸を収納用の室内側の小窓、材質・形が場所ごとに変えてあります。  

   

最後に、入口で販売されていた竹ポックリ・竹炭・竹酢液、どうしても竹関連に目がいってしまいます。

やっと念願の場所を見学に来れて満足です。

次は最後の目的地のすい水族館に向かいます。

<続く>

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日本橋からJR神田駅まで

2010-12-02 15:42:57 | 建物

12月1日(水)<続き>

三越の裏口から出て日本銀行本店(国・重要文化財)を眺め、内部見学出来る機会に訪れたいと思いながら、

   竣工:1896(M29)年 設計:辰野金吾 施工:直営 

 表通りに戻り10月28日に同時オープンした商業施設やオフィスが入居する複合施設ビルの

  「コレド室町」 (日本橋室町野村ビル)と  「YUITO(ユイト)」 (三井不動産)に入り。

エスカレーターに乗って一回り、どちらもB1F~4Fまでが商業施設で飲食関係の店舗が多いです、またの機会にじっくり見ることにします。

JR神田駅に向かってテクテク、宝くじを買って帰るのに縁起の良い神社  発見してお参り。

  

家内喜稲荷神社<かないよろこぶいなりじんじゃ>(帰宅して調べたら'やなぎ'と読むんだそうです)

 銀杏並木の黄葉が綺麗な道路を過ぎて、反対側に渡りUターンして日本橋へ戻ります、

 レトロなビルを発見、丸石ビルディング(国・登録有形文化財)

  竣工:1931(S6)年 設計:山下寿郎 施工:竹中工務店

    見てるだけで楽しいです。

日本橋まで戻って、川下にまた古そうなビルが目に付き見に行きました、三菱倉庫本店ビルでした。

 竣工:1930(昭和5年)年 設計:三菱倉庫建築課 施工:竹中工務店

   石積みの曲面が良いです。

日本橋周辺はこれで終了、人形町で土産と有楽町で宝くじを買って帰ります。

<続く>

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お江戸日本橋はクリーニング中

2010-12-01 21:49:27 | 建物

12月1日(水)

2011年4月に架橋100周年を迎える「日本橋」がクリーニング中と知り見物し、帰りに有楽町の宝くじセンターで'年末ジャンボ宝くじ'を購入しようと出かけました。

ドイツの清掃機器メーカーと'名橋「日本橋」保存会'共同の'日本橋クリーニングプロジェクト'だそうです。

'名橋「日本橋」保存会'は、毎年周辺の町会・諸官庁・ボランティアの協力を得て「日本橋橋洗い」を実施して40年経つが、本格的再生・洗浄は初めてで洗浄剤・化学薬品は一切使用しないそうです。

 温水高圧洗浄なのでシートで覆われ直には見えません。

 試験洗浄時の写真、普通の高圧洗浄の様子です。

仮囲いの途中がアクリル板で覗け、TVで見る爆発物処理班の様な格好で洗浄中でした。

下流側の欄干は洗浄が終了しており、洗浄して無い部分との境目を見つけました。

ペンキは塗替えると判るけど、クリーニングって途中経過を知らないと終わっても気が付かないのです。

この後は三越と10月に同時オープンしたコレド室町とYUITO(ユイト)に寄ります。

  日本橋三越本店アンモナイトの化石を探しに  入りました。

  2ヶ所で発見、もっと沢山あるそうです。

 屋上は只の広場  でも可愛いいペントハウスでした 

屋上には神社がありました

 三圍神社(みめぐりじんじゃ)と活動大黒天

どちらも商売繁盛と幸運をもたらす願い事叶う縁起のよい神様だそうです、宝くじが当たります様にとお参り。

 エレベーターの扉も

 裏口もレトロで昔の姿だと思います。

<続く>

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東京国立博物館 秋の庭園開放(茶室見学)

2010-11-12 10:44:43 | 建物

11月11日(木)

4月の開放日「庭園茶室ツアー」ボランティアによる解説に参加し庭を散策、しかも参加者に限り二棟の茶室は内部まで見学したのに誤って消去してしまったのか?茶室の写真が一枚もありせんでした、秋の庭園を見ながら写真をもう一度と '東京国立博物館'へやって来ました。

 上野公園は相変わらずの人出です。

 玄関左の'ゆりの木'(木蓮科)も綺麗に黄葉、
  玄関左の桜も庭園も

   春はこんなでした。

 九条館(くじょうかん)

京都御所内の九条邸にあったものを東京赤坂の九条邸に移し、1934(S9)年九条家から寄贈され移築された。

   応挙館(おうきょかん) 

尾張国(現在の愛知県大治町)天台宗寺院明眼院の書院として1742(寛保2)年に建てられ、益田孝(鈍翁・1848~1938)の東京品川邸内に移築、1933(S8)年寄贈され移築された。

  室内に描かれている墨画は、

1784(天明4年)円山応挙(まるやまおうきょ1733~1795)が明眼院に眼病で滞留していた際に揮亳したものであると伝えられ、床張付に老松と石と竹・腰障子に稚松と石と竹を描かれている。 作品保護のため複製画

     六窓庵(ろくそうあん)

17世紀中頃(慶安年間)に奈良の興福寺慈眼院に建てられた。興福寺大乗院内にあり良国立博物館に移された八窓庵、東大寺塔頭四聖房の隠岐録(おきろく)とともに大和の三茶室といわれ。1875(M8)年博物館が購入、解体輸送中に伊豆で船が難破したが幸い材は流失をまぬがれ当館に移築、第二次大戦中再び解体され疎開し1947(S22)年数寄屋の名工木村清兵衛により再建された。

   転合庵(てんごうあん)

小堀遠州(こぼりえんしゅう1579~1647)が京都伏見の六地蔵に建てた茶室で、その後大原寂光寺に移築され1963(S38)年当館に茶入とともに当館に寄贈され移築された。

    春草廬(しゅんそうろ)

江戸時代 河村瑞賢(かわむらずいけん1618~1699)が摂津淀川改修工事の際に建てた休憩所で、その後大阪へさらに原三渓(1863~1939)により横浜の三渓園に移され、1937(S12)年に埼玉県所沢市にある松永安左エ門(耳庵・1875~1971)の柳瀬荘内に移築され、1948(S23)年に寄贈され1959(S34)年に移築された。

説明を聞きながらの1時間ちょっと慌ただしかったけど、ボランティアの江口・五十嵐・眞鍋・益田・須藤・木内さんありがとうございました、楽しかったです。

     

公園内では色んなパフォーマンスやっています、休日だと沢山出てるそうです。

 アメ横を抜けて、

御徒町駅前の'ファミリーデパート吉池本店'でカミサンの土産に'舟和'のあんこ玉(なぜかここには黒だけのパック入りがあるのです)を買って帰ります。  テクテク歩いて19,500歩でした。 

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浅草~上野公園へ

2010-11-11 17:09:24 | 建物

11月11日(木)

東京国立博物館の「庭園茶室ツアー」ボランティアによる解説に春に引続き参加しようと、お出かけしました。

「庭園茶室ツアー」は午後からなので、建物散歩の教科書'近代建築散歩 東京・横浜編'(小学館発行)を片手に4棟を探しながら浅草から上野公園まで歩くことにします。

  まずは隅田川沿いからスカイツリーを見て、
 煙突が残る昔風?の'浅草松屋'裏から東武電車のホームを眺め、
  ガード下を懐かしい琺瑯看板が壁に貼られた居酒屋を見つけ、
 '浅草松屋'正面に回れば何度かの改装で当然昔の面影はなし。

 雷門の前は何時もの様に人・人・人。

上野駅に向かって歩きます、この辺りは仏具屋が多い。                                                 1.難波仏具店 
1929(S4)年竣工 設計:榎本徳蔵 施工:戸田組 
屋上の屋根がお神輿か竜宮城の屋根みたい
(また来て見たい)かっぱ橋道具街の脇を通り
 2.同潤会 上野下アパート別館
   2.同潤会 上野下アパート
1929(S4)年竣工 設計:同潤会 施工:不明
 門柱のスクラッチタイルが古さを感じさせます  裏から見るとこんなです   昨年12月'乃木坂から原宿へ'で書いた表参道ヒルズ同潤会青山アパートメント跡地に建っており、一部を昔のまま残し?開発されています。ここもそうなるのかな?
 アパートの裏で見つけた銭湯
  3.東京メトロ銀座線稲荷駅                    1927(S2)年竣工 設計:今井兼次+大倉土木 施工:大倉土木
    
歩きながら見かけた昭和レトロの建物
 4.比留間歯科医院 1929(S4)年竣工 設計:同潤会 施工:不明
1929(S4)年竣工 設計・施工:早川某(大工さん?)
今でも通用するデザインだと思う、大工さんが建主と打合せながら造ったらしい

上野駅前を通り過ぎ。

images 08'閉店したファミリーレストラン聚楽台があつた上野百貨店は       只今工事中、完成後にはまた入店するようです、        隣の'上野松竹デパート'はまだ営業中、でもその内建替えられるでしょう。

上野公園に到着しました。

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人形町から日本橋へ

2010-10-28 10:23:10 | 建物
10月27日(水)

 
昼食は人形町の'玉ひで'で親子丼をと思ったのですが、1時少し前でもこの有様、次回にします。
 
 鳥近の玉子焼き   と
 重盛永信堂の人形焼をお土産に買って、
日本橋まで歩きました、地図で考えたより近かったです。

昼食は たいめいけん にします。

 ここも1時過ぎなのに込んでいます、でも5分程待って入れました。
 名物のオムライスとコールスロを注文(場所柄と老舗と云う事で¥1,700-はしょうがないか)
 でも、美味かったです。
野次馬オヤジはケチャップご飯が好物です。
席からキッチンが見えるのですが、TVで見かける3代目の顔はありませんでした。
(海男で真黒ですから居れが直ぐ分かるはずです)
 ビルの脇にはた立食のラーメンコーナーもあります、次の機会にはラーメンを食べよう。

見て廻ろうと調べておいたビルはこの近くですから、食後の運動に歩き回るのには丁度良いです。

 
 
山二証券株式会社(旧山二片岡商店)1920(大正末期)年代 設計:西村好時 施工:清水組
屋根はスペイン瓦で飾りのあるアーチの付いた玄関・丸窓とスパニッシュ風のビルです。

 
成瀬証券株式会社1935(S10)年 設計:西村好時 施工:清水組 
山二証券株式会社と同じ設計者ですが、こちらは当時の銀行建築風の建物です。

 
安藤証券株式会社東京支店1020(昭和初期)年代 設計:不明 施工:不明
現在でも良く見かける装飾のない外観です、当時は斬新なデザインの建物だったと思われます。

今日はこれでおしまいですが、日本橋界隈にはまだまだ徘徊したい場所があります。
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