ヨボ爺の与太話

街の見て歩きを投稿したのは昔の話、
今はヨボ爺が日常の与太話をたまに投稿する、
子供の絵日記の様なブログです。

プチ徘徊

2023-04-27 15:26:32 | 街歩き

4月27日(木)

今日は雲一つない晴天です。

 

が整体に行くので送ってほしいとの事で、武山自衛隊駐屯所の近くまで車で出かけ、

一騎塚の信号近くで降ろし駐車場に入れて待っていることにします。

一騎塚は、鎌倉時代に和田合戦(鎌倉幕府将軍源実朝の時代、和田義盛(三浦義明の孫)が北条泰時と戦って敗れた)時に加勢した武次郎義国(たけ  じろう  よしくに)がただ一騎この地から鎌倉に馳せ参じて戦い討ち死したのを里人が哀れんで、塚を築いて霊を弔ったという伝承により一騎塚と名づけられた。

1時間はかかりそうなので周辺を徘徊しました。

昔、薬局の前にさとちゃん人形の10円入れて動くのがありましたね。

ビンテー爺の好きな景色です、緑の館と赤錆の館。

武山駐屯地の正門、

陸上自衛隊武山駐屯地・海上自衛隊横須賀教育隊・航空自衛隊武山分屯基地・                                                                                                

陸上自衛隊高等工科学校などがあります。

 あまり見掛けなくなった昔風のネオンサイイン

 幼稚園の園庭では鯉幟が泳いでました。

ブラブラ1時間ほどの徘徊、4,700歩m歩いていました。

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久々の遠出お出かけ-3

2021-12-14 14:27:32 | 街歩き

12月14日(火)     <11月24日(水)の続き>

新橋から最終目的地の鎌倉へ向います。

JR横須賀線 の東京駅-大船駅間を東海道線との運転線路を分離し品川駅-横浜駅間にあった

貨物専用線の品鶴線経由になったのは40年ほど前で、横浜までは遠回りになるので乗車した事が

ありません、閑が十分にある今日初めて乗ってみました。東京駅-品川駅間は地下化されたので

ホーム階はB5Fでエスカレータ‐に何度も乗って5分程かかってやっとホームに到着。

品川から横浜近くまで車窓から見える風景は当然初めて見る景色ばかり、

武蔵小杉駅に停まるなんて想像も出来ませんでした。

横浜から先は見慣れた風景で鎌倉に到着、鎌倉で途中下車する訳は薄くて丈夫なパタシュート素材生地

小さく折りたたんでバックに入るので気に入っていたたエコバックを紀ノ国屋 鎌倉店買う為です。

ニューポケッタブルバック

以前のと少し変わっていました、広げた全面に描かれていたロゴが中央だけになり

持ち手もショルダで長かったのが手提げに変わっていました、野次馬ジイジは手提げの方が

良いです。

最後は何時もの鎌倉土産を買いに

味くらで小町通り本店で刻みみぶなと辛みそ胡瓜を

 

若宮大路に出て豊島屋に寄ったら休みだったので駅前の扉店で鳩サブレを買って

帰宅の途につきました。

1年振り以上の遠出外出であちこちの寄り少し疲れましたが、気分はスッキリの17,000歩でした。

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久々の遠出お出かけ-1

2021-11-24 17:11:34 | 街歩き

11月24日(水)

大江戸歴史散歩を楽しむ会(主宰者渡辺功一)から1年振りに定例会再開の知らせが届きました、

カミサンの体調は回復しつつあり一人残して留守にしても良さそうですが、野次馬ジジイは

経年劣化とコロナ自粛で体力低下を感じているので、参加者の皆に迷惑を掛けてはいけないと

他のサークルもリタイヤしたので、江戸散歩もリタイヤの挨拶にと1年半振りの遠出のお出かけです。

先ずは横浜の実家のお墓参りにと途中下車、コロナ自粛で外出を控えていた間に下車駅の名前が

仲木戸から京急東神奈川(昨年3月)に変わりました、

江戸時代初期将軍の休息の御殿が造営され御殿への往来管理の木戸に由来するそうで、

カミサンが子供の頃はこの近くの地名を御殿と呼んでいたそうです。

線路沿いに7〜8分歩いてお寺に到着、

お寺の前の道路は旧東海道で江戸時代の絵図にお寺も描かれています。

義母の墓前に長くお参りに来れなかったお詫びとカミサンや孫・曽孫の近況を報告し、

次の目的地に向かいます。

<続く>

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お焚き上げ

2021-01-10 14:35:40 | 街歩き

1月10日(日)

以前は近くの海岸に設けられる’どんど焼き’に正月飾りや古いお札・お守りを納めて

焚いて貰っていましたが、ここ数年は神社に納めてお焚き上げして貰っています。

 拝殿にお詣りしてから

分別して置いて来ました。

境内には天神様の牛と安産の犬が同居しています。

家族の身体健全と車のお守りを頂いて来ました。

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'幻の水準点' 几号(きごう)を探して徘徊-1

2020-02-25 14:56:07 | 街歩き

2月25日(火)

昨年9月に参加した

東京意匠學舎(主宰:高橋直裕)のガイドツアー                                          '幻の水準点'を探せ!明治9年の忘れ形見・横浜編                                       1876(M9)年当時の内務省地理局は日本の主要都市の1/5,000の地図を作成すべく水準点を制定し、几号(きごう)と言われる「不」の印であり、原型は測量法がイギリス式で行っていたのでイギリスの水準点「↑」とされている。しかし軍備が勢力を拡大し1884(M17)年太政官達により地図作成の測量を参謀本部陸軍測量局に一本化したので、内務省(文官系)の測量は水泡に帰して幻の遺構に…

投稿記事にコメントを頂いた‘うさぎ‘さんも几号(きごう)に興味を持たれ春先から

上西勝也氏の「史跡と標石で辿る日本の測量史」というHPの各地の几号水準点を参考に

高低几号標めぐりを始められたそうで、同じ頃に開催された

東京意匠學舎(主宰:高橋直裕)のガイドツアー                                          '幻の水準点'を探せ!明治9年の忘れ形見・東京編に参加出来ず残念でしたが

野次馬ジジイも‘うさぎ‘さんの記事とNETで探した東京坂道ゆるラン几号水準点って何

参考に探索徘徊をしようと思い、早速2月12日の

大江戸歴史散歩を楽しむ会 2月定例会 銀座の川「三十間堀川」と銀座通りを歩く

の集合時間前に徘徊して来ました。

都営浅草線大門駅で下車し増上寺に向かい

大好きな東京タワーと梅を眺めながら境内を抜け

聖オルバン教会の前を通り

1986(S61)年イギリスのチャールズ皇太子夫妻が来日され、ダイアナ妃が礼拝に訪れた際

野次馬ジジイは仕事を抜け出し写真を撮ったこの場所から遠目ながら姿を拝見しました。

この辺りのランドマークのノアビルの前を通りの外苑東通りの坂を登り


目標のロシア大使館に到着、ロシア大使館前几号水準点

ポリスBOXの脇にあります、立哨中の警官に声を掛けてから写真を撮りました。

此処は構築物に刻んだのではなく埋められた石柱です

 裏手に回る塀に沿う小路は狸穴坂                       タヌキの巣穴が坂下にあったとからとか、または採鉱の穴との説もるそうです

次は1月22日の大江戸歴史散歩の会で訪れた際、見つけられなかった愛宕山へ向います

今日は階段ではなく愛宕トンネルの脇にあるエレベーターを使って山頂へ、先日見つけられなかった、

愛宕神社の几号水準点 此処のは不ではなくT字です

今日は裏の坂を下りました、この辺りは勤め先の近くでしたから勝手知ったる…です

坂を下りきった左側が工事中だったので覗いたら ????

右は8年ほど前に撮った写真、民家は無くなっていました。

南桜公園 港区西新橋2-10-13                                  30年ほど前には公園の敷地内には小学校があり仕事途中に前を通ると子供の元気な声が聞えました、まだ在職中の1991(H3)年統廃合により廃校になり校舎はしばらく他の目的に使われていました。

大江戸歴史散歩の会の集合場所JR新橋駅SL広場に到着、

広場ではボランティアで品不足のマスクを無料で配布していたので貰いました。

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初詣-2

2020-01-16 15:05:16 | 街歩き

1月16日(木) <1月12日(日)の続き>

昨年の初詣と同じコースで最初は神田明神(正式名称 神田神社)へ

鳥居脇の天野屋は創業が江戸時代後期の1846(弘化3)年の茶店に寄り

 糀室は千代田区指定有形文化財

創業当時からの地下6mにある土室で作られた米麹の甘酒を飲んでから参拝です

 

神田明神は会社関係の人の初詣が多く、昨年は仕事始めの4日に来たので

お賽銭箱の前に辿り着くまで1時間ほどかかりました、今年は1週間ほど過ぎているし

平日なのでと思っていたのですが、それでも20分ほどかかり賽銭箱の前に辿り着き

孫の大学合格と就職内定のお礼と家族の健康を祈って、参拝終了。

次の参拝湯島天神(正式名称 湯島天満宮)

此処では10分ほど並んで参拝出来ました。

沢山の合格祈願の絵馬が吊るされ、一生懸命に祈る学生や親御さん

夢が叶うと良いですネ

境内の屋台をのんびり眺めてから帰路に着きました。

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初詣-1

2020-01-12 17:11:02 | 街歩き

1月12日(日)

昨年、初詣でお参りし1月には孫娘の大学合格11月には孫息子の就職内定と

願い事が叶ったので、お礼の初詣に神田神社・湯島天神に行って来ました。

8日に開催された大江戸歴史散歩を楽しむ会1月定例会は「神田神社・妻恋神社・

湯島天神を歩く」でしたが、関東地方の天気予報は昼過ぎまで雨で風が強いとの事で

軟弱な野次馬ジジイは前日にキャンセルしてしまったので、改めて一人徘徊参拝です。

JR御茶ノ水駅で下車し

ニコライ堂(正式名称:東京復活大聖堂)へ 建立した聖ニコライに由来するそうで国重要文化財

 

内部は撮影禁止なので入場せず、外観だけ眺めました

次は御茶ノ水駅聖橋口の斜向いの元:日立製作所の本社跡地に建つ

大型複合施設ビル「御茶ノ水ソラシティ」へ

敷地内に幾つかある案内板には、明治時代に築造された岩崎弥之助(岩崎弥太郎の弟で三菱財閥の2代目)邸・三菱社の擁壁の煉瓦を再使用して作られたと記されていました。

「蜀山人(大田南畝)終焉の地と「岩崎弥之助邸跡」の案内板

改修工事中の聖橋を渡り

橋の南詰にニコライ堂、対岸に湯島聖堂があることから二つの聖堂を結ぶ橋で命名された。

湯島聖堂 近代教育発祥の地

<続く>

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浅草寺の歳の市へ-3

2019-12-27 11:18:23 | 街歩き

12月27日(金)

羽子板市を見終わって、境内の屋台を見て廻り

 

粉モン好きのジジイはヤキソバを食べながら一休み

 黄葉した銀杏の葉もそろそろ終わり

見つけました中国人観光客の爆買い、正露丸・パブロン・メンソレータム・救急絆…お馴染の薬が

境内を出て商店街をブラブラ徘徊、浅草らしいシャッター絵

木馬館・東洋館・浅草演芸ホール

 

舟和のアンコ玉と芋ようかんを土産に買って、帰途に着きました。

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浅草寺の歳の市へ-2

2019-12-23 13:17:42 | 街歩き

12月23日(月)       12月18日(水)の続き>

羽子板の絵付け体験と浅草寺幼稚園児の作品展示

 

 

店ごとに特徴があります

 

 

TVにも登場する世相羽子板

 女性の顔が可愛い羽子板

 

学生がデザインし生地を選んで職人さんが制作したそうです。

カードがあったので貰いました

観光地でレンタル着物を着て巡るのが流行ですネ

<続く>

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浅草寺の歳の市へ-1

2019-12-19 15:54:57 | 街歩き

12月18日(水)

17日から19日に催されている浅草寺歳の市(納めの観音ご縁日 羽子板市)に

行って来ました。

浅草松屋(東武浅草駅)

何時来ても大勢の人がいる雷門を潜り

 

正月を迎える準備も済んでいる仲見世を見物しながら

 

仁王門(宝蔵門)前から並んでいる羽子板の店に着きました   

 

50店ほどの店が出ている様です

<続く>

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