3月29日(土) 日の出町駅⇒神奈川駅
日の出町駅から神奈川駅まで最後のウォークです
野毛山を登って伊勢山皇大神宮へ
裏の参道から紅葉坂に出て掃部山(かもんやま)公園へ
桜の合間からランドマークタワーが見えます
みなとみらいを抜けて神奈川駅近くの幸ヶ谷(こうがや)公園へ
此処は横浜駅近くでは穴場の花見所です。
今日は約14kmも歩きました。
3月29日(土) 弘明寺駅⇒日の出町駅(2)
ここから日の出町駅⇔伊勢佐木町
花見の屋形船も出て賑わっています
都橋 (S3-7)竣工
ここから野毛商店街⇔伊勢佐木町
弘明寺駅から日の出町駅まで4区間歩きました、大岡川に架かる橋は20箇所、昭和初期建造が多いのは関東大地震(1923-大正2)後に復興したからだと思います。
<さらに続く>
3月29日(土) 弘明寺駅⇒日の出町駅(1)
東京・横浜桜満開のニュースを見て横浜へお花見ウォークに、
京急 弘明寺駅で降りて大岡川端を歩くことにしました。
駅名の由来になった瑞応山 弘明寺(ずいおうざん ぐみょうじ) 境内も満開
弘明寺商店街は花見客で一杯です。
商店街中央の大岡川に架かる観音橋を出発、橋の上から桜を見ながら野毛まで歩きます。
<続く>
3月25日(火)
東京麻布十番の麻布十番温泉が今月いっぱいで廃業するニュースを目にしたので、街歩きをしながらもう一度見ておこうと出かけました。
一年前まで通い慣れた新橋で降りて愛宕神社へ。
愛宕神社は東京23区内でもっとも高い標高26mの愛宕山山頂にあり、1603年(慶長8年)江戸幕府開府にあたり江戸の防火・防災の守り神として徳川家康の命により建立され、主祭神は火産霊命(ほむすびのみこと)です。
別名出世の石段を上り 上から見ると
同じ愛宕山にあるNHK放送博物館へ、勤務先がこの近くだったので昼休みにお弁当を持って花見に何度か来た事があります。
1925年(大正14)3月22日朝9時30分東京芝浦の東京放送局仮放送所で第一声が
そして7月には愛宕山で本放送開始、だから愛宕山は“放送のふるさと”なのです。
昼飯を食べ、元同僚に会いコーヒを飲みながらしばし歓談後。
まず麻布十番温泉(越の湯)へ、今月31日で廃業するそうで残念です、ネットで調べたら今日は定休日なので入浴は出来ませんが、勤めていた時何度か入ったので見るだけでお別れ。
(1949(S24)年に開湯、現在の建物は1967(S42)年完成)
と3軒の更科蕎麦屋があります、以前から不思議に思っていたのですが帰宅して調べたら複雑な訳がありますが、出処は同じだと分かりました。
童謡の「赤い靴」の像
横浜の山下公園の「赤い靴」像は知っていますが、実在の女の子がモデルで名前が「きみちゃん」、像が麻布十番・静岡県日本平・北海道留寿都・北海道小樽等にもあるなんてビックリです。
今日は14,138歩歩きました。
3月19日(水)
横浜に出かけ東急電鉄・東横線 反町駅 (横浜の次) で降りました。 反町駅は東横線がみなとみらい線と相互乗入れした時に、高架の高さにあったホームが地下深くに入り、エスカレータでも高所恐怖症の人は足がすくむのではないかと思います。
手前の四角のコンクリートのは地下の排気塔です、この先次の駅までの2/3程は高架が撤去され公園になっています。
遊歩道型の公園 高架時代に使われていた線路
東横フラワー緑道 公園はここまで 電車は地上に出ます
この先は元の高架です
3月10日(月)
「三浦竹友の会」の活動が雑誌に紹介されました。
(学習研究社 隔月発刊)
ドゥーパは日曜大工が趣味の人にはバイブル的な雑誌です、私も内容により購入しています。
平成の手作りエコライフ
環境にやさしい竹林保全と竹利用のすすめ
(集合写真には自分も写っています)
次回(5月8日発売)にも竹炭作りの様子が紹介されます。
3月7日(金)
日本キリスト教団横須賀教会
横須賀市内で民間第一号の国登録有形文化財として(2003-H15)登録され、設計は米国人キリスト教徒伝道者で建築家の
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ最後の弟子とも言われる横田末吉
東中里町内会館
船津眼科 裏側から見た六角塔が可愛いです
小松原医院
文化興業(旧松田建設) 設計・施工:松田建設
小松 横須賀市米が浜通(1923-T12)
1885年に開業の老舗料亭で、現在地には関東大震災のあった1923(大正12)年秋に新築移転した。
旧館はマンションになってしまい、今の建物は昭和9(1934)年に建築された新館です。
戦前海軍基地が置かれていた関係で、東郷平八郎司令長官・山本五十六司令長官・米内光政など海軍関係者に愛用され、「海軍料亭」の愛称で親しまれた。
目に付いたので写し、帰宅後 調べたら「出桁造」(だしげたづくり)と分かりました。
出桁造 とは江戸時代から続く商家の代表的な造りで、柱の上に載せた太い桁を店の前面に何本も突き出しそこに軒や屋根を乗せた建築です。
「浦賀道」と呼ばれた道は二通りあり、道筋は大分違うが共に江戸方面から三浦半島に入る道として大きな役割を果たしてきた。
一つは戸塚宿から鎌倉雪下を経由して小坪(逗子市)から三浦半島に入り浦賀に達する道、もう一つは保土ヶ谷宿から金沢道を経て六浦(横浜市)に至りそこから横須賀・大津(横須賀市)を通って浦賀に達する道である。
(吉川弘文館発行「街道の日本史 鎌倉・横浜と東海道」より)