12月16日(土)
東京意匠學舎(主宰:高橋直裕)のガイドツアー落語を歩く・其の弐「文七元結」
に参加して来ました。
'東京意匠學舎(主宰:高橋直裕)'は元世田谷美術館の学芸員で教育普及課長だった高橋氏が、在職中に世田美主催のイベントとして企画・実施・案内役を勤めていたガイドツアー建築意匠學入門・萬KENBUN録で、定年1年前の今年3月に退職され落語家(遊興亭福し満)に転身されて終了してしまいましたが、常連参加者の要望で同じ趣旨で再開してくれたガイドツアーの会です。
集合時間より早く着きそうなので築地で途中下車し8月の火災現場を見に行きました。
NETで見つけた火災の様子と今です、
仮囲いのお隙間から見たら片付いてはいます、
場外市場は日本語では無い言葉が行き交いながら、どこも人で溢れていました。
集合場所の都営大江戸線蔵前駅に到着。
今日の目的は暮れの人情噺の傑作ともいわれる「文七元結」この話で描かれる場所を巡り
最後は浅草花街の見番大広間で「文七元結」を観賞しましょう。
案内役は東京意匠學舎の主宰の高橋直裕さんこと落語家(遊興亭福し満)さんです。
資料を貰い注意事項を聞いて出発、参加者は33名。
文七元結は落語家初代三遊亭圓朝の創作人情噺です
噺のどこで登場するかあらすじを聞きながら本所〜吉原へ向かって歩きます。
駅を出て厩橋を渡り墨田区へ本所へ
主人公左官の長兵衛が住んで居た長屋は本所達磨横丁で江戸切絵図にも描かれており
以前は北本所表町、現在の墨田区東駒形1丁目・本所1丁目辺りです
通りかかった船江神社の鳥居の台座には表町と標されて居ました。
池上正太郎の「鬼平犯科帳」では枕橋にある蕎麦屋「さなだや」が登場します、
鼈甲問屋近江屋卯兵衛の手代・文七が枕橋の袂の水戸徳川家下屋敷小梅邸
(現在の墨田公園)で集金した50両を掏られたと勘違いし、
手代・文七が吾妻橋で大川に身投げをしようとしている処に主人公が通りかかる
江戸期の隅田川に架かる橋は市中に架かるのは吾妻橋・両国橋・永代橋の三橋
吉原に通じる道筋にある西方寺(現在は巣鴨に移転)の和尚は土手の道哲と呼ばれ、小塚原(現南千住駅周辺)の刑場に引かれていく囚人を日本堤の土手で罪人仏果得達のため昼夜念仏を唱えながら見送っていた和尚が「道哲」で吉原三浦屋の傾城二代目高尾の墓もあった。
切絵図に描かれている西芳寺と日本堤跡の道路
<続く>