ヨボ爺の与太話

街の見て歩きを投稿したのは昔の話、
今はヨボ爺が日常の与太話をたまに投稿する、
子供の絵日記の様なブログです。

大江戸歴史散歩(2014-10)-2

2014-10-31 11:08:16 | ガイド街歩き

 10月31日(金) 10月8日(水)の続き>

「大江戸歴史散歩を楽しむ会」 開催の

江戸東京の歴史散策に興味があり、健脚であればどなたでも気軽に参加できる「大江戸歴史散歩を楽しむ会」を開催しております。健康散歩や歴史探訪に好奇心がある趣味を同じくする人々が集い、江戸切絵図を片手に身近な散歩を楽しみながら懇親を深めることを目的としています。毎月の定例会は2・8月を除く第二水曜日に開催中。どうぞ、お誘い合わせの上ご参加ください。

テーマ江戸城の外濠を歩く④溜池・虎ノ門・新橋

ガイド: 渡辺功一(大江戸歴史散歩を楽しむ会) 

コース順路: 山王溜池駅→溜池交差点→米国大使館前→汐見坂→霊南坂
→江戸見坂→日本消防会館→虎ノ門ヒルズ→金刀比羅宮→
休憩→葵坂→商船三井ビル→溜池の堰・虎ノ門外濠史跡
虎御門跡文部科学省情報ひろば→新シ橋→幸橋門→土橋   

溜池の堰虎ノ門外濠史跡

文部科学省の中央合同庁舎7号館の建設にともなう発掘調査成果をもとに保存された石垣は

地下鉄銀座線虎ノ門駅の通路内に発掘された石垣の全貌が見える展示コーナー

 

文部科学省構内ラウンジ前の展示コーナーで見る事が出来ます。

  

 

文部科学省情報ひろば (旧文部省庁舎 国登録有形文化財(建造物))

築:1932 (S7)年  SRC造6階建 塔屋付  設計:大蔵省営繕管財局 施工:大林組

庁舎移転の機会に文化財の活用としてし設けられたそうです。

 

野次馬ジジイの勤め先はここの近くでしたがが、退職間もなく竣工したので

 

訪れた事はありませんでした、結構おもしろかったです。

今日はここで解散です、渡辺功一(大江戸歴史散歩を楽しむ会)さんご苦労様でした、

次回は文科省前からです、今日は15,000歩でした。

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萬KENBUN録 小川三知を巡る旅-日本のステンドグラスのパイオニア-(1-2)

2014-10-30 14:48:30 | ガイド街歩き

10月30日(木)  10月3日(金)の続き>

世田谷美術館が開催の萬KENBUN録 小川三知を巡る旅-日本のステンドグラスのパイオニア-

日本のステンドグラス製作者の先駆者として明治時代より活躍をした小川三知。その仕事は東京のみならず日本全国、旧満州、台湾まで及んでいます。規模も教会、倶楽部建築、博物館、大型商店といった大規模なものから個人住宅に至るまで様々あり、その精力的な仕事ぶりを窺い知ることができます。しかし、残念ながら現存する作品は建物の震災、戦争による被災や増改築などに伴い少なくなってしまいました。今回はその残された少ない作品の中でも代表的ともいえる小川三知の仕事を、三知の生きた時代の面影を残すレトロな東京風景とともに巡ります。

製作者の小川三知は'野次馬ジジイ'が育った静岡市内で生まれ育ったそうで、

生誕地はお城の西側の住吉町で(野次馬ジジイは小中高と東側です)周辺には

金座町・研屋町・両替町・大工町・桶屋町・番町と城下町ならではの名前が残っています。

次の目的地へ、建物を見ながら坂を昇り降りし

   

綱町三井倶楽部(港区三田2-3-7) 竣工: 1913(T2)年 設計:ジョサイア・コンドル(鹿鳴館の設計者)



三井家の迎賓館として建てられ1923(T12)年の関東大震災で受けた損傷を1929(S4)年に原型を崩すことなく改修、幸い戦禍を免れて戦後1945(S20)年より「米軍将校クラブ」として使用され、1953(S28)年返還後は復旧整備を施し三井グループ企業による会員制倶楽部として再生された。

慶応義塾三田キャンバスに到着、

慶応義塾図書館 国指定重要文化財

竣工:1912(M45)年 1925(T14)年(関東大震災による復旧工事)                               1928(S3)年(新書庫増築工事) 1948(S23)年(戦災復旧工事)
設計:曾禰中條建築事務所   施工:戸田組
構 造:ゴシック様式 煉瓦・石造 地下1階・地上2階(一部3階)・八角塔屋

 

ステンドグラス は玄関を入り正面の階段の踊り場にあります。

 

キャンバス内まだ国指定重要文化財で福沢諭吉が西洋のスピーチを導入しようとして建設した

日本で最初の演説会堂三田演説館もありますが、またの機会にします。

図書館の前で解散です、案内役の高橋さん(世田谷美術館学芸員)

ありがとうございました、今日は16,200歩でした。

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第4回岩手県復興支援産業祭り「大船to大船渡2014」

2014-10-29 16:04:43 | 街歩き

10月29日(水)

9月28日に鎌倉市大船鎌倉芸術館市民文化祭2014 第66回鎌倉市展美術・写真合同展

の帰りの第4回岩手県復興支援産業祭り「大船to大船渡2014」

の様子です、館の前から駅前までの商店街が屋台でいっぱいです。

 

 

秋刀魚が無料で振舞われていましたが、整理券はもう終了していました。

 

震災に遭われた方々に何もできないので、この様な催しがあれば少しでも

 

復興の足しになればと(野次馬ジジイはいやしいので食べ物を)購入して食べています。

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ヨコハマ・パノラマウォーク-写真家と歩く横浜- 2-2

2014-10-28 13:24:39 | ガイド街歩き

10月28日(火)  <10月25日(土)の続き>

世田谷美術館主催のガイドツアー

萬KENBUN録・根岸線開業50周年記念 ヨコハマ・パノラマウォ―写真家と歩く横浜―

横浜といえばみなとみらいや山下公園、中華街、あるいは伊勢佐木町を思い出しますが、中心市街地の南東部、元町から根岸あたりまでの台地は意外と知られていません。この台地はブラフ(崖)と言われており、幕末に横浜周辺を測量に訪れたペリーによって命名されました。今回は元町から山手に向かってブラフに登り、根岸で一気に崖を降り懐かしき街並みを鑑賞する台地回りコースと、海苔の養殖と「ベイサイド・コート」の二つの顔をもっていた本牧から港の見える丘公園を経て、新山下運河先の港湾地域までの海回りコースを歩きます。まさに景色はパノラマの連続。知られざるヨコハマがそこにあります。

『夜霧よ今夜も有難う』~海回り
八聖殿~本牧裏通り~ワシン坂~港の見える丘公園~横浜新港倉庫
元町~山手公園~中華義荘~根岸森林公園~浜マーケット~根岸                       
案内人は: 中川道夫氏(写真家)高橋直裕氏(世田谷美術館)

米軍からの接収解除になる前は車の修理工場も多く、こんな車を良く見かけました。

ワシン坂昇り口の小港松村カメラサービス(中区北方町2-95)

案内人の中川道夫氏(写真家)が気になっているカメラの修理屋さん、

何時通っても店に人の姿を見かけないそうで、今日もいません。

カメラ屋の少し先にはワシン坂の湧水があります、

ワシン坂 (山手町~小湊町一丁目/延長250m)

ワシンの語源に諸説があり①和親条約のワシンからきた②鷲見坂がなまった③ワシン(ウシン)という外人がこの付近に居住していた④坂下に清水が湧き出るところから「ワキシミズサカ」が外国人達に聞こえた、 いずれにしろ慶応2年に山手居留地に指定されているのでこの頃からの呼称と考えられている。

登りきると横浜港が一望できます。

 

港の見える丘公園にあるイギリス館(旧英国総領事公邸) 中区山手町115-3

築:1937(S12)年 設計:大英工部総署 RC造2階建、地下1階

 

下に降りて見上げると昔を思わせる崖が残っています、

ペルーが来た頃はこの近くまで海だったのでしょう。

横浜市設貯木場発祥の地記念碑 横浜木のみなと(中区新山下3丁目)は

1975(S50)年頃移転し現在は

石原裕次郎も通ったというYCC(横浜クルージングクラブ)になっています。

経営は岡本造船所 石原裕次郎の「コンテッサⅢ」号は此処で建造されたそうです。

絵に描きたいヨットハーバーの景色です。

 

ハーバーの前で解散です、

昔の面影は余りありませんでしたが、懐かしい街を歩いた半日は18.000歩でした。

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ヨコハマ・パノラマウォーク-写真家と歩く横浜- 2-1

2014-10-25 19:38:00 | ガイド街歩き

11月25日(土)

先週の続き世田谷美術館主催のガイドツアー

萬KENBUN録・根岸線開業50周年記念 ヨコハマ・パノラマウォ―写真家と歩く横浜―

横浜といえばみなとみらいや山下公園、中華街、あるいは伊勢佐木町を思い出しますが、中心市街地の南東部、元町から根岸あたりまでの台地は意外と知られていません。この台地はブラフ(崖)と言われており、幕末に横浜周辺を測量に訪れたペリーによって命名されました。今回は元町から山手に向かってブラフに登り、根岸で一気に崖を降り懐かしき街並みを鑑賞する台地回りコースと、海苔の養殖と「ベイサイド・コート」の二つの顔をもっていた本牧から港の見える丘公園を経て、新山下運河先の港湾地域までの海回りコースを歩きます。まさに景色はパノラマの連続。知られざるヨコハマがそこにあります。

『夜霧よ今夜も有難う』~海回り
八聖殿~本牧裏通り~ワシン坂~港の見える丘公園~横浜新港倉庫
元町~山手公園~中華義荘~根岸森林公園~浜マーケット~根岸                       
案内人は: 中川道夫氏(写真家)高橋直裕氏(世田谷美術館)

に参加して来ました。

先週の解散場所に集合、バスで移動し本牧市民公園へ

 

ペルーが本牧沖に来た際、数Km続くこの断崖に夕日が当たりオレンジ色に輝いていたので

マンダリンブラフ(オレンジ色の崖)と呼んだそうです。

公園奥の階段を登ると横浜市八聖殿郷土資料館(中区本牧元町76-1)に到着、

八聖殿は熊本県出身の政治家で逓信・内務大臣を歴任した安達謙蔵(1864~1948)が法隆寺夢殿を模して精神修養の場として1933(S8)年に建立した三層楼八角形の建物です。

八聖殿を出て坂の途中を曲がり、下りきった所に

バーナード(中区本牧元町)はあります

設計:ジャン・J・スワガー 施工:関工務店 竣工:1937(S12)年
構造:木造2階建一部鉄筋コンクリート

 

この辺りは海に近く海苔の養殖をやっていたので海苔街道と呼ばれていたそうで

今でも海苔屋さんが数軒残っているそうです。

   

 

米軍からの接収解除後この周辺は一大マンション群になっています、

旧横浜山手250番館(スタンダード石油会社社宅) 中区本牧原5-5-4

設計:アントニン・レーモンド 施工:不詳 竣工:1929(S4)年(1985(S60)年移築)                                     構造:鉄筋コンクリート造2階建て (旧所在地は中区山手町250番地)

 

現在はマンションのクラブハウスとして使われています。

野次馬ジジイは米軍キャンプや市電が走っていた1960(S30後半)年代に

隣町小港に住んでいましたから懐かしいのですが、様変わりし過ぎです。

昔この辺りはチャブと呼ばれていた街でもあります。
1860年代(江戸末期)から1930年代(昭和初期)に外国人や外国船の船乗り相手の売春婦を置く小料理屋街。
語源には諸説あり英語のCHOP HOUSE(チョップ・ハウス 簡単な手料理屋・簡易食堂)が訛ったものという説が有力だそうです。

1960年代のグループサウンズブームのハマを代表する「長い髪の少女」でしられるGSバンドの゛・ゴールデン・カップスも本牧から羽ばたいて行きました。

<続く>

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ヨコハマ・パノラマウォーク-写真家と歩く横浜- 1-3

2014-10-23 11:12:23 | ガイド街歩き

10月23日(木)  10月21日の<続き>

世田谷美術館主催のガイドツアー

萬KENBUN録・根岸線開業50周年記念 ヨコハマ・パノラマウォ―写真家と歩く横浜―

横浜といえばみなとみらいや山下公園、中華街、あるいは伊勢佐木町を思い出しますが、中心市街地の南東部、元町から根岸あたりまでの台地は意外と知られていません。この台地はブラフ(崖)と言われており、幕末に横浜周辺を測量に訪れたペリーによって命名されました。今回は元町から山手に向かってブラフに登り、根岸で一気に崖を降り懐かしき街並みを鑑賞する台地回りコースと、海苔の養殖と「ベイサイド・コート」の二つの顔をもっていた本牧から港の見える丘公園を経て、新山下運河先の港湾地域までの海回りコースを歩きます。まさに景色はパノラマの連続。知られざるヨコハマがそこにあります。

『横浜ブラフ/たそがれ市場』~台地回り
元町~山手公園~中華義荘~根岸森林公園~浜マーケット~根岸                       
案内人は: 中川道夫氏(写真家)高橋直裕氏(世田谷美術館)

森林公園を出て米軍ゲートの前を通り

 

 ユーミンが荒井由美時代の名曲「海を見ていた午後」(アryバムMISSLIM

1974年10月リリースに収録)の舞台になったレストランドルフィン(中区根岸旭台16-1)を

横に見ながら尾根道を進み、

 

途中の急な階段を下って

 

根岸なつかし公園(旧柳下邸 横浜市指定有形文化財 磯子区下町10 

1919(T8)年築 木造 和洋折衷)の前を通って

シフォンケーキが有名な金港ベーカリー(磯子区中浜町7-3-2 1950年代創業)

 今日は休みらしい

の脇道をさらに進むと浜マーケット(磯子商店街商業協同組合磯子区久木町20-5)に到着

戦後まもなくの1945(S20)年の闇市が発展してできたマーケットです。

 

旅館 磯一(磯子区久木町 創業68年)をチラ見して路地お抜けながら

JR根岸線根岸駅に到着、今日は歩きました世田美ガイドツアーで最長だそうです(23,100歩)

案内役の中川道夫(写真家)高橋直裕(世田美)さん皆さんお疲れ様でした。

今日の解散場所は次回(来週)の集合場所です。

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ヨコハマ・パノラマウォーク-写真家と歩く横浜- 1-2

2014-10-21 15:14:21 | ガイド街歩き

10月21日(火)  10月18日の<続き>

世田谷美術館主催のガイドツアー

萬KENBUN録・根岸線開業50周年記念 ヨコハマ・パノラマウォ―写真家と歩く横浜―

横浜といえばみなとみらいや山下公園、中華街、あるいは伊勢佐木町を思い出しますが、中心市街地の南東部、元町から根岸あたりまでの台地は意外と知られていません。この台地はブラフ(崖)と言われており、幕末に横浜周辺を測量に訪れたペリーによって命名されました。今回は元町から山手に向かってブラフに登り、根岸で一気に崖を降り懐かしき街並みを鑑賞する台地回りコースと、海苔の養殖と「ベイサイド・コート」の二つの顔をもっていた本牧から港の見える丘公園を経て、新山下運河先の港湾地域までの海回りコースを歩きます。まさに景色はパノラマの連続。知られざるヨコハマがそこにあります。

『横浜ブラフ/たそがれ市場』~台地回り
元町~山手公園~中華義荘~根岸森林公園~浜マーケット~根岸                      
案内人は: 中川道夫氏(写真家)高橋直裕氏(世田谷美術館)

車も通れない細い道が続き名前は可愛い高台に登って来ました、

   

この辺りの住宅は道から登るか降りるかして玄関、または2階が玄関です。

中華義荘(南京墓地)

横浜には4ヶ所の外国人専用墓地があり、他には観光 名所としても知られる山手の外国人墓地、  、保土ヶ谷区狩場町にある英連邦 戦死者墓地、根岸外国人墓地があります。

 

これで3ヶ所訪れました、残りは保土ヶ谷の英連邦戦死者墓地だけです。

  

根岸森林公園 旧横浜競馬場(根岸競馬場) 横浜市中区根岸台に到着、

まだ一部は接収されたままで、在日米軍根岸住宅地区に隣接しています。

1867(慶応3)年に外国人クラブの主催で日本初の洋式競馬が行われた場所で、                       1880(M13)年に運営が日本競馬クラブに引継がれ、                                                1943(S18)年に戦争のため閉鎖されるまで、東洋一の規模を誇っていた競馬場だった。 

一等馬見所 近代化産業遺産

設計者は東京の丸ビル・郵船ビルディングなどで知られるJ・H・モーガンです、

 

 

設計図や完成時の写真が展示されていました。

 

<続く> 

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ヨコハマ・パノラマウォーク-写真家と歩く横浜- 1-1

2014-10-18 16:54:08 | ガイド街歩き

10月18日(土)

今日は世田谷美術館主催のガイドツアー、

萬KENBUN録・根岸線開業50周年記念 ヨコハマ・パノラマウォ―写真家と歩く横浜―

横浜といえばみなとみらいや山下公園、中華街、あるいは伊勢佐木町を思い出しますが、中心市街地の南東部、元町から根岸あたりまでの台地は意外と知られていません。この台地はブラフ(崖)と言われており、幕末に横浜周辺を測量に訪れたペリーによって命名されました。今回は元町から山手に向かってブラフに登り、根岸で一気に崖を降り懐かしき街並みを鑑賞する台地回りコースと、海苔の養殖と「ベイサイド・コート」の二つの顔をもっていた本牧から港の見える丘公園を経て、新山下運河先の港湾地域までの海回りコースを歩きます。まさに景色はパノラマの連続。知られざるヨコハマがそこにあります。

『横浜ブラフ/たそがれ市場』~台地回り
元町~山手公園~中華義荘~根岸森林公園~浜マーケット~根岸                      
案内人は: 中川道夫氏(写真家)高橋直裕氏(世田谷美術館)

に参加して来ました。

集合場所はMM線元町・中華街駅、広い場所に移動し、

 

資料と注意事項を受け出発、参加者は50名。

 

駅前に戻り脇の代官坂を登り、名主石川家の代官屋敷を眺め

 

この辺りは数年前に横浜シティガイド協会昭和30年代横浜ノスタルジ映画”コクリコ坂から”

に登場した場所を巡るで訪れました、昭和を思わせる店舗があります。

  

1946(S21)年山手舞踏場」として創業し

数々の有名Jazz奏者・ミュージシャンがステージから巣立って行ったクリスサイト

 今も古き良き横浜の香りをそのままに愛され続けています。

フェリス女子学院大学の脇を下り、国の文化財名勝 近代化産業遺産の

山手公園 中区山手町

  

1870年M3)年に、横浜居留外国人の手によってつくられたわが国最初の洋式公園

でテニス発祥の碑もあり、

  

レストハウスとして使われている建物は関東大震災後の1934(S9)年に、

外国人住宅として建てられた旧山手68番館

奇珍 (正式な屋号は奇珍樓) 中区麦田町2丁目44

1918(T7)年創業の老舗で横浜では最も古い(伊勢佐木町の玉泉亭本店も同年の創業)

町の「ラーメン屋さん」です、また2年前に亡くなった「また逢う日まで」などで知られる

歌手尾崎紀世彦ここのネギソバが好物で良く来ていたそうです。

ヨーロッパの田園住宅岩田邸 中区柏葉 1912(T1)年建築 木造平屋 横浜市認定歴史的建造物

<続く>

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第18回 よこすか陶芸友の会 はまゆう作陶展

2014-10-15 15:45:23 | 展示・展覧・発表会

10月15日(水)

今年も元'竹友'仲間のIwさんから連絡をもらい、作陶展を観に行ってきました。

'よこすか陶芸友の会はまゆう'三笑窯陶工房主宰の菅野まり氏

講師をされいて陶芸の会です。

会員30名の作品展ですから見応えがあります。

昨日から開催の予定でしたが台風が来るので中止で、今日は初日です。

会場の様子と先生の作品。

 

左がIwさんの作品です、後ろの皿の色・表面の風合いが素敵でした。

 

 

特に目に付いた作品。

 

左は福島の窯焼きの様子、右は会員の方々の老人ホームのでのボランティア活動。

 

今年も素晴らしい作品を鑑賞させてもらい、ありがとうございました。

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PCでお絵描き(2014-10月講座)-115

2014-10-11 16:52:43 | PCでお絵描き

10月11日(土)

横須賀市生涯学習センター(まなび館)のPC水彩クラブで月に一回                                      

久野先生(山田みち子主宰:認定講師)から                                      

パソコン水彩画ソフト'水彩8'を使って水彩画を教えてもらっています。

毎月の課題は宿題として描きあげオリジナル作品と一緒に送ると

WEB画廊(← ここをクリック)に掲載し下さり、皆が見ることが出来ます。

何時もの様に教室に入りテキストを受取り着席、参加者は9名。

今月の課題は京都の秋を描くです、

先生が山田先生の教室で描かれた課題です。

   

左が山田先生 右が久野先生のお手本です。

 

 下絵用の参考写真

写真を下敷きにし、

私はさらに写真を画面に出して細かな個所を見ながら下絵を描きます。

 

 

 

下絵に使う写真と出来上がりの手本は同じでも、

 

其々にイメージする出来上がりは違って来ます。

 

私はいつもの様に中途半端で終了、自宅で復習でしながら仕上げます

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