8月4日(月)
夏真盛り、そんな中を横須賀 浦賀の街を探訪に出かけました、イヤー暑かった。
京浜急行浦賀駅で下車。(地図をクリックすれば拡大されます)
浦賀は1853(嘉永6)年黒船が来航、伊豆下田から奉行所が移され、日米修好条約批准のため勝海舟らが咸臨丸でアメリカに向けて出航したところとしても知られ、江戸末期から明治にかけて干鰯(ほしか)問屋や回船問屋が多く、鰯を干してプレスし搾り出した油は安価な灯油として、その絞りカスは肥料として使われ、浦賀の干鰯問屋がほぼ独占し、江戸時代の隆盛は目を見張るばかりであったそうです。
浦賀駅は京浜急行品川駅からの本線で、明治以降も浦賀ドック(住友重機械工場株式会社追浜造船所浦賀工場)が2003(H15)年に閉鎖されるまでは造船の町として栄えてきました。今日は湾の西側を探訪します。
途中見かけた出桁建築の商店
西叶神社 1842(天保13)年建造
社殿を取り巻く総数230を超える彫刻 (名工とうたわれた安房国千倉(現在の千葉県)の彫刻師後藤利兵衛橘義光の作)は素晴らしいです。
社務所で鏝絵を見つけました 三浦の善吉作
浦賀は鏝絵も多く残り、「伊豆の長八美術館」で有名な伊豆の長八・三浦の(石川)善吉として全国に知られていた名人がいたそうです。
蔵を見つけました
浦賀には現在15棟ほどが現存するそうです。
通称陸軍桟橋
太平洋戦争終了後、南方や中国大陸からの引き揚げ者約56万人が、懐かしい日本の地に第一歩を印したところです。
舟番所跡
舟の関所として江戸へ出入りするすべての船の乗組員とその荷物の検査が行われた浦賀奉行所の付属機関跡、現在何もなし。
為朝神社
神奈川県指定重要文化財の民俗芸能‘虎踊り’で知られています。
川間町内会館1960(S35)年
名人三浦の善吉さんの息子石川梅尾さんが腕を振るった鏝絵で、2階の部分は大きく羽ばたく鳳凰、2階部分には松を中心に鶴と亀が色つきで描かれている。
浦賀奉行所跡 石垣が残るだけ。
大六天神社 三浦の善吉作
戸袋に描かれた見事な「昇り竜・降り竜」の鏝絵
2時間半程の探訪でしたが、長い歴史を感じた時間でした、 次回はポンポン船に乗って東側の探訪に行きたいと思います。