11月26日(月) <11月10日(土)の続き>
東京意匠學舎(主宰:高橋直裕)のガイドツアー観音崎巡りー要塞の名残とゴジラの痕を辿る旅ー
幕末から観音崎は東京湾の船の出入りを監視し、帝都を守るための多くの要塞砲台が築かれ昭和の敗戦まで有事に備えていました。走水神社、ゴジラの上陸地とともにその名残を是非!
'東京意匠學舎(主宰:高橋直裕)'は元世田谷美術館の学芸員で教育普及課長だった高橋氏が在職中に世田美主催のイベントとして企画・実施・案内役を勤めていたガイドツアー建築意匠學入門・萬KENBUN録がルーツで、定年1年前に退職され落語家(遊興亭福し満)に転身されて終了してしまった催しを、常連参加者の要望で同じ趣旨で再開してくれたガイドツアーの会です。
案内役 : 中川道夫(写真家) 高橋直裕(東京意匠學舎主宰)氏 コース : 京急馬堀海岸駅→バス走水小前→展望台(東京湾) →御所ガ崎(ヤマトタケル渡海)・
低砲台跡(27cmカノン砲)→走水漁港→旧街道→走水神社→防大海上訓練所
→ボードウオーク→京急観音崎ホテル→横須賀美術館→観音崎公園(砲台・弾薬庫
掩蔽壕・榴弾砲台・堡塁・軍用切通し・隧道など遺構)→三浦断層→
東京湾海上交通センター→観音崎灯台→洞窟→崩落灯台→旧海軍聴音所廃墟
→素掘トンネル→海自警備所→観音崎自然博物館→ゴジラの足跡→たたら浜→
高橋勝七邸→鴨居浜→八幡神社→バス京急浦賀駅(解散)
地名の由来になった観音寺跡
洞窟(権現洞穴)
ニ代目観音崎灯台の残骸
旧海軍聴音所廃墟 1937(S12)潜水艦を捕捉するため設置され,開戦後間もなく湾外を潜航する米艦を探知したとも言われている。
NETで探したら 付近一帯は海上自衛隊観音埼警備所で立入禁止なので、遺構の由来を知るため警備所へ直接電話して用件をお話しすると警備所の所長さんが電話口に出られ,
「遺構は昭和12~3年頃に旧軍が建造したもので”潮位観測所(検潮所)”と呼ばれ,潮の干満を調査する機械が設置されていたが,現在はまったく使用されていません」とのご返事を頂いたそうです。
素掘りのトンネル 1852(嘉永5)年頃に台場の工事に合わせ、海岸沿いに道を造ると海側から丸見えなのでトンネルにした様です。
観音崎自然博物館の前を通り たたら浜浜(昔この辺りの浜で砂鉄が採れ製鉄が行われたので多々良浜と呼ばれた)
たたら浜には初代ゴジラ(1/10サイズ)の足跡があります 都市伝説的には"たたら浜"にゴジラが上陸したといわれていますが実際は
1954(S29)年公開された特撮怪獣映画〚ゴジラ〛でビキニ環礁での水爆実験で古代の眠りから目覚めたゴジラは横須賀観音崎たたら浜沖に姿を現したそうで、映画のなかでは「観音崎北東15マイルの海中を北西に向け移動中のゴジラを発見し、京浜地区に警戒警報が流れた」とあり、
作中ゴジラは横須賀の地を踏んでいないが、親子で映画を見た当時地元で「観音崎観光」という旅行会社を経営していた木村さん(故人)が「子どもたちが安心して遊べる観光地にしたい、地元にゴジラの滑り台を作ろう」と思い立ち設置したが、「ゴジラ」のネーミングの使用許可が下りず「ティラノサウルス」という断り書きを添えたが、子供達の間では「ゴジラの滑り台」として人気が広まっていったとのことです。 その後海辺なので腐食が激しく危険なため撤去されましたが、現在は久里浜「花の国」の山の上で子供達と仲良く遊んでいます。
高橋勝七邸 幕府が会津藩に江戸湾警備の任務を命じ会津藩が鴨居と三崎の地に陣屋を構え、鴨居の陣屋の世話した高橋勝七(若松屋)は横須賀中央周辺の海面を埋め立て造成し命名した土地は、今でも若松町とて町名が残っています。
鴨居浜前の八幡神社
此処からバスで京急浦賀駅まで行って解散です。
案内役の中川さん高橋さんありがとうございました、参加者の皆さん
疲れさまでした、楽しい時間をご一緒してもらった18,800歩でした。