10日付東京新聞4面、3・11後を生きるというタイトルの
楢葉町宝鏡寺の住職の決意『百年先のため人柱に』font>
と題する福島特別支局の記事だ
読んだ途端に何とも言えない気持ちになった。
腹立たしいというか
哀しいというか
悔しいだろうに…というか
自分でもとらえようのない気持ちだ
一方で このご住職の
元通りの町が再建されるなんてありえない
と地元の人間は肌感覚で分かっていた
という言葉に
やっぱりそうだよな~という気持ちも抱いた。
写真は 10月24日、25日の2日間
共産党後援会の皆さんと共に訪れたフクシマの風景である。
かつては豊かな米作や 畑作が営まれたであろう 営々と続く耕作地
今は 真っ黄色のセイタカアワダチソウが生い茂る荒れ地となっていた。
その風景が
走っている車窓に永遠に続くかと思うほど広がっていくのである。
見ていて ふつふつと怒りが湧き上がってくる。
今これを書きながらも何と表現してら良いかわからず
言葉を探し探し成しているのだ。
楢葉町を始め 浪江町にも避難指示解除が出されようとしている
地元の皆さんは、帰りたくても帰れないが
国や東京電力は
避難指示を解除することで
もう あんたたちには 補償金を払いませんよ
と言っているのだと怒っていた。
当然である。
上の写真は ある町の表通りだ
各家々の入り口には ゲートがあり 未だに入れない。
この地域の近くには、写真のように
未だに廃炉のめどがつかない福島第一原発の煙突が聳え
その隣には 再稼働も言われている
福島第2原発も残っている。
廃炉を決めていない原発が…である。
原発の煙突を車窓に見ながら走る国道6号線の沿道は
原発立地地域に入ると
人っ子一人いない荒涼とした風景が続き
立ち入り禁止区域の看板が町への入り口に立っているのである。
我々は、許可を得て浪江町に立ち入った。
広大な土地に ポツンポツン と囲いがある。
放射能汚染物質の仮置き場である。
かつて我々の食料を作り供給してきた田畑が
いま、いつまで続くかわからない放射能汚染物の仮置き場に変わりつつある。
そして、津波被害にあった建造物が放置されているのである。
避難指示が解除されても
いったいどこに帰ればよいのか 若い世代が本当に帰って大丈夫なのか
地元の方々の消えることのない問いである。
写真は人が住んでいない町の中心商店街である。
営業している店舗があると案内の方が言う。
除染作業などに関わる労働者のための金融機関と郵便局、そしてガソリンスタンドだそうだ。
先のご住職は
町は間違いなく消滅すると思う
が、
百年、二百年たち またこの土地に人が住み始めるかもしれないから
その人たちのために、人柱になれるような働きを私たちはするのだ
と結んでおられる。
この間、いくつかの町が首長選挙を行う。
人々は
実態のない町の選挙 やる意味があるのかわからない
と呟いた。
でも、きっとその方々は選挙に行くだろう
虚しさを抱えながら
ご住職の 将来の人々のために何とかしなければという思いと同じ気持ちで
こうした現実を押し付け、未だに 反省の色鳴く 原発の再稼働に突き進む輩(あえて使う)に
我が国の未来を託すわけにはいかないと
つくづく考えた旅であった。
フクシマ 必ず 見ておくべきである。
楢葉町宝鏡寺の住職の決意『百年先のため人柱に』font>
と題する福島特別支局の記事だ
読んだ途端に何とも言えない気持ちになった。
腹立たしいというか
哀しいというか
悔しいだろうに…というか
自分でもとらえようのない気持ちだ
一方で このご住職の
元通りの町が再建されるなんてありえない
と地元の人間は肌感覚で分かっていた
という言葉に
やっぱりそうだよな~という気持ちも抱いた。
写真は 10月24日、25日の2日間
共産党後援会の皆さんと共に訪れたフクシマの風景である。
かつては豊かな米作や 畑作が営まれたであろう 営々と続く耕作地
今は 真っ黄色のセイタカアワダチソウが生い茂る荒れ地となっていた。
その風景が
走っている車窓に永遠に続くかと思うほど広がっていくのである。
見ていて ふつふつと怒りが湧き上がってくる。
今これを書きながらも何と表現してら良いかわからず
言葉を探し探し成しているのだ。
楢葉町を始め 浪江町にも避難指示解除が出されようとしている
地元の皆さんは、帰りたくても帰れないが
国や東京電力は
避難指示を解除することで
もう あんたたちには 補償金を払いませんよ
と言っているのだと怒っていた。
当然である。
上の写真は ある町の表通りだ
各家々の入り口には ゲートがあり 未だに入れない。
この地域の近くには、写真のように
未だに廃炉のめどがつかない福島第一原発の煙突が聳え
その隣には 再稼働も言われている
福島第2原発も残っている。
廃炉を決めていない原発が…である。
原発の煙突を車窓に見ながら走る国道6号線の沿道は
原発立地地域に入ると
人っ子一人いない荒涼とした風景が続き
立ち入り禁止区域の看板が町への入り口に立っているのである。
我々は、許可を得て浪江町に立ち入った。
広大な土地に ポツンポツン と囲いがある。
放射能汚染物質の仮置き場である。
かつて我々の食料を作り供給してきた田畑が
いま、いつまで続くかわからない放射能汚染物の仮置き場に変わりつつある。
そして、津波被害にあった建造物が放置されているのである。
避難指示が解除されても
いったいどこに帰ればよいのか 若い世代が本当に帰って大丈夫なのか
地元の方々の消えることのない問いである。
写真は人が住んでいない町の中心商店街である。
営業している店舗があると案内の方が言う。
除染作業などに関わる労働者のための金融機関と郵便局、そしてガソリンスタンドだそうだ。
先のご住職は
町は間違いなく消滅すると思う
が、
百年、二百年たち またこの土地に人が住み始めるかもしれないから
その人たちのために、人柱になれるような働きを私たちはするのだ
と結んでおられる。
この間、いくつかの町が首長選挙を行う。
人々は
実態のない町の選挙 やる意味があるのかわからない
と呟いた。
でも、きっとその方々は選挙に行くだろう
虚しさを抱えながら
ご住職の 将来の人々のために何とかしなければという思いと同じ気持ちで
こうした現実を押し付け、未だに 反省の色鳴く 原発の再稼働に突き進む輩(あえて使う)に
我が国の未来を託すわけにはいかないと
つくづく考えた旅であった。
フクシマ 必ず 見ておくべきである。