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「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

熊本・川辺川ダム計画復活に怒り① 水害拡大「清流守れ」

2024-01-29 07:10:09 | 政治・社会問題について
熊本・川辺川ダム計画復活に怒り① 水害拡大「清流守れ」
「ダムによらない治水を」―。熊本県を流れる球磨川(くまがわ)水系川辺川でかつて中止に追い込まれた川辺川ダム計画を国と県が復活させました。
2020年7月の球磨川の水害を口実にしたものですが、県民からは怒りの声が湧き上がっています。
(田中正一郎)

川辺川ダムは半世紀以上前の1966年に計画が発表され、地域住民の大多数が反対するなか利水訴訟や漁業権の収用問題などで国が敗北。治水問題でも地元首長が次々と反対を表明しました。2008年、蒲島郁夫知事が白紙撤回を発表し民主党政権下で中止(実際には中断)されました。復活したダム計画はこれを災害専用にダム下部に穴の開いた「流水型」ダムとして再開するものです。



川辺川の流れにさおをさす釣り人=2023年8月27日、熊本県相良村

急激な増水
2020年の水害で被災した同県人吉市の林通親さん(74)は「ダムに2700億円使うお金があれば、もっと別の抜本的な治水ができるのではないか」と疑問を投げかけます。河川の氾濫を防ぐにはダム以外に川底の掘削や堤防建設など河川の流量を増やす方法がありますが、川辺川ダムに固執する国は岩盤の露出などを理由に人吉地点の流量見直しを拒否。1947年から毎秒4000トンに据え置かれたままです。
地域住民がダムに反対するのは、治水にダムが全く役に立たなかったばかりか被害を拡大したという経験からです。球磨川中・下流には1950年代、荒瀬ダム、瀬戸石ダムとダムが次々造られました。上流には59年、市房ダムがつくられましたが、その5年後の65年7月の水害以降、経験したことがないような急激な増水がたびたび地域を襲いました。
当時、川中流域の実家に住んでいた緒方雅子さん(75)は「それまでも水害にあってきたが、市房ダムができてから2階まで水がくるような洪水が起きるようになった。川の水がうねって盛り上がり、タンスなどが流れていた」と話します。
沿岸の住民らは、急激な増水の原因にダムの緊急放流を指摘します。「今も緊急放流におびえているのに、川辺川ダムもできれば流域は人が住めなくなるのでは」とし、ダム計画の中止や既存ダムの撤去を訴えます。

漁獲高減少
環境への影響も深刻です。「川はわれわれの命の母だ。ダムで川を壊されるのは嫌でしょうがない」。川漁師の吉村勝徳さん(75)はこう語ります。今も「清流」と言われる球磨川ですが、かつてはさらに透明度が高かったと振り返り、「(大型砂防ダムも含む)ダムができたことで雨の後の濁り水が長期化した」と証言します。濁りがアユの餌となる藻の生育に悪影響を及ぼすほか、ダム本体でも魚の遡上(そじょう)が断ち切られ、球磨川の漁獲高は年々減少しています。
「子守唄の里・五木を育む清流川辺川を守る県民の会」の中島康代表(83)は、「川辺川ダムをつくったら元の川ではなくなってしまう。『清流・球磨川』と言えなくなったとき、観光に来る人などいるのか」と指摘します。
川辺川ダム計画が進む過程で村中心部の立ち退きを余儀なくされた五木村では村の人口が激減。県がダム推進に転じた後も村としての賛否を示していません。中島氏は杢目で話せば「ダムはいかん」という住民が多数いるのではとし、「犠牲に見合う効果はない。絶対に造らせてはならない」
と言い切ります。(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2024年1月20日付掲載


2020年の水害で被災した同県人吉市の林通親さん(74)は「ダムに2700億円使うお金があれば、もっと別の抜本的な治水ができるのではないか」と疑問を。
沿岸の住民らは、急激な増水の原因にダムの緊急放流を指摘します。「今も緊急放流におびえているのに、川辺川ダムもできれば流域は人が住めなくなるのでは」と。
「子守唄の里・五木を育む清流川辺川を守る県民の会」の中島康代表(83)は、「川辺川ダムをつくったら元の川ではなくなってしまう。『清流・球磨川』と言えなくなったとき、観光に来る人などいるのか」と指摘。

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