どうぶつえん 獣医師奮闘記② 壮絶カバの家庭内暴力
1972年8月末、私が天王寺動物園で獣医実習中にカバが出産しました。その1週間後、飼育担当の方が特別に母子のカバを見せてくれました。母親にぴったりと寄り添った子カバは秋田犬くらいの大きさ。
それに比べなんて母親のなんと大きなことか。乳牛の3倍、いや4倍はあるぞ、と身を乗り出した瞬間、母親は威嚇してきました。柔和だった眼が怒っていました。
この子カバが実は今年の1月31日に亡くなったナツコだったのです。私とは入園同期生みたいなものでしたから37年を越えるお付き合い。私の退職2カ月前に先立たれたのは大きな悲しみでした。
体ズタスタに
さて、そのナツコの両親、父親のフトシと母親のデブコは実に仲のよい夫婦で、2頭はナツコを含めて8頭の子宝に恵まれていました。
ところが78年12月のある朝、動物病院にカバの飼育担当者が飛び込んできました。カバの室内プールが赤黒く濁り、水面にはズボンのベルトみたいなものがいっぱい浮かんでいると。すぐにカバ舎に急行すると、奥の部屋でデブコが全身めった切りにでもされたように、線状の傷と噴出した血で見るも無残な姿になっていました。おびえとショックで立っているのもやっとという状態。
犯人はフトシ。何が気に食わなかったのでしょうか。カバの歯は全部で40本ありますが、草などを食べる草食動物ですから、奥歯の臼歯は草などを食べやすいように平たくなっています。しかしカバの犬歯は、特にオスでは牙状に長く伸び、下あごの犬歯は70センチにも達します。野生ではオス同士がけんかをしたりするときに武器になるのです。なんとフトシはその牙でデブコの体をズタズタにしてしまったのです。
ところで水面に浮かんでいたベルトのようなもの。すくい上げてみたらデブコの切り裂かれた皮膚と分かりました。私たちヒトの皮膚の厚みというのはせいぜい2ミリくらいですが、カバの皮膚は4センチほどもある分厚さ。そんな皮膚でもオスの牙にかかれば、かんなで板を削るようなものだったのでしょう。
消毒液かけて
小さな動物でしたら全身麻酔をして傷口を消毒して縫い合わせるところですが、当時はカバを麻酔できる麻酔薬はなく、抗生物質の注射もできないということで、1日2回、消毒液をデブコの体にかけることにしました。カバが水中に入ると薬の効果もなくなるし、汚れた水で傷口の汚染も心配されることから、1週間プールのない部屋に閉じ込め、連日、アクリノールという黄色の殺菌消毒液をかけつづけました。1週間後、デブコは黄土色のカバになっていましたが、傷口が化のうすることもなく治りました。
その後、フトシの牙はノコギリで短く切ることにしました。飼育担当者が清掃の際、ホースから水を出すと必ず大きな口を開けて水をねだる事から、そのすきに左右の下あごの牙を短く整形したのです。しかしカバも歯にノコギリを当てられるのはいい気持ちではないのか、せいぜい開口しているのは30秒。2本の牙を切り詰めるのに1週間ほどかかってしまいました。
2カ月たち、フトシとデブコは何事もなかったかのようにまた一緒に暮らし始めましたが、家庭内暴力はその後2度と起きませんでした。あの日は本当に何があったのでしょうね。(金曜掲載)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2010年9月10日付掲載
どうぶつえんで見る動物の裏にはいろんな出来事があるんですね。
1972年8月末、私が天王寺動物園で獣医実習中にカバが出産しました。その1週間後、飼育担当の方が特別に母子のカバを見せてくれました。母親にぴったりと寄り添った子カバは秋田犬くらいの大きさ。
それに比べなんて母親のなんと大きなことか。乳牛の3倍、いや4倍はあるぞ、と身を乗り出した瞬間、母親は威嚇してきました。柔和だった眼が怒っていました。
この子カバが実は今年の1月31日に亡くなったナツコだったのです。私とは入園同期生みたいなものでしたから37年を越えるお付き合い。私の退職2カ月前に先立たれたのは大きな悲しみでした。
体ズタスタに
さて、そのナツコの両親、父親のフトシと母親のデブコは実に仲のよい夫婦で、2頭はナツコを含めて8頭の子宝に恵まれていました。
ところが78年12月のある朝、動物病院にカバの飼育担当者が飛び込んできました。カバの室内プールが赤黒く濁り、水面にはズボンのベルトみたいなものがいっぱい浮かんでいると。すぐにカバ舎に急行すると、奥の部屋でデブコが全身めった切りにでもされたように、線状の傷と噴出した血で見るも無残な姿になっていました。おびえとショックで立っているのもやっとという状態。
犯人はフトシ。何が気に食わなかったのでしょうか。カバの歯は全部で40本ありますが、草などを食べる草食動物ですから、奥歯の臼歯は草などを食べやすいように平たくなっています。しかしカバの犬歯は、特にオスでは牙状に長く伸び、下あごの犬歯は70センチにも達します。野生ではオス同士がけんかをしたりするときに武器になるのです。なんとフトシはその牙でデブコの体をズタズタにしてしまったのです。
ところで水面に浮かんでいたベルトのようなもの。すくい上げてみたらデブコの切り裂かれた皮膚と分かりました。私たちヒトの皮膚の厚みというのはせいぜい2ミリくらいですが、カバの皮膚は4センチほどもある分厚さ。そんな皮膚でもオスの牙にかかれば、かんなで板を削るようなものだったのでしょう。
消毒液かけて
小さな動物でしたら全身麻酔をして傷口を消毒して縫い合わせるところですが、当時はカバを麻酔できる麻酔薬はなく、抗生物質の注射もできないということで、1日2回、消毒液をデブコの体にかけることにしました。カバが水中に入ると薬の効果もなくなるし、汚れた水で傷口の汚染も心配されることから、1週間プールのない部屋に閉じ込め、連日、アクリノールという黄色の殺菌消毒液をかけつづけました。1週間後、デブコは黄土色のカバになっていましたが、傷口が化のうすることもなく治りました。
その後、フトシの牙はノコギリで短く切ることにしました。飼育担当者が清掃の際、ホースから水を出すと必ず大きな口を開けて水をねだる事から、そのすきに左右の下あごの牙を短く整形したのです。しかしカバも歯にノコギリを当てられるのはいい気持ちではないのか、せいぜい開口しているのは30秒。2本の牙を切り詰めるのに1週間ほどかかってしまいました。
2カ月たち、フトシとデブコは何事もなかったかのようにまた一緒に暮らし始めましたが、家庭内暴力はその後2度と起きませんでした。あの日は本当に何があったのでしょうね。(金曜掲載)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2010年9月10日付掲載
どうぶつえんで見る動物の裏にはいろんな出来事があるんですね。