NHK朝ドラ「ブギウギ」が大詰め 脚本の足立紳さんが寄稿 スズ子に励まされ楽しんだ
NHKの連続テレビ小説「ブギウギ」が大詰めを迎えています。脚本を手がけた足立紳さんに、ドラマに寄せる心境や最終盤の見どころについて寄稿してもらいました。
写真・橋爪拓治
あだち・しん=1972年鳥取県生まれ。「佐知とマユ」(NHK)で創作テレビドラマ大賞、市川森一脚本賞。映画「百円の恋」(脚本、監督)で日本アカデミー賞最優秀脚本賞。映画「喜劇愛妻物語」(脚本、監督)で東京国際映画祭コンペティション部門最優秀脚本賞。おもな作品は、「雑魚どもよ、大志を抱け!」(監督)、テレビドラマ「拾われた男」(脚本、NHK)、小説「それでも俺は妻としたい」など。
早いもので連続テレビ小説「ブギウギ」も間もなく最終回を迎える。このお仕事のお話をいただいたのは2021年の秋だった。翌春に映画を撮影する予定があった私は「このスケジュールでは正直無理だろうな……」と思った。
「やって後悔しろ」
きっと「朝ドラ」の仕事は忙しいに違いない。1日15分とはいえ週に5回、半年も続くのだ。もともと忙しいのが大の苦手な私は映画の撮影も重なるのではどんな忙しさになるか想像しただけでびびってしまった。果たして私に乗り切れるだろうかと。びびる私の背中を押したというのかケツを蹴っ飛ばしてくれたのはいつも通り妻で、「やっても後悔するだろうし、やらなくても後悔するんだからやって後悔しろ」と言った。似たようなセリフをスズ子が4カ月間、娘の愛子を置いてアメリカに行くべきかどうかで悩む場面でも使ったが、「やって後悔しろ」と言った妻に従って良かった。
映画やドラマを監督していると、撮影が終わるのが寂しくなるときがある。俳優が命を吹き込んだ登場人物と会えなくなるのが寂しく感じるのだが、脚本を書いているときは、まだ紙の中のこの人物たちに早く会いたい気持ちでいっぱいだ。そして今回のように脚本だけの担当の場合、撮影が始まるとなんだか寂しい気持ちになる。必死になって書いた我が子たちを、今度は撮影のスタッフたちに預けなければならないからだ。
スズ子が愛子を何とか自分の手だけで育てようとしたように、我が子を箱入りにしたくなる。私の書いたシナリオが現場でいじめられたりしないか、ひどい目にあわされていないかといつも心配でたまらない。撮影の様子を陰から見たくても、今回のような長丁場は撮影しながら私は家で必死に脚本を書いているからどうにもできない。だが、完成品が放送前から少しずつ送られてくる。それを見ると、登場人物たちがどうやら現場でもすこくかわいがられているようだなとホッと胸をなでおろした。
日帝劇場・舞台にて、大声援の中「ヘイヘイブギー」でトリを飾る福来スズ子=3月22日放送
戦前戦後を歌で生きて
「ブギウギ」主人公・福来スズ子は、昭和の時代に活躍し、“ブギの女王”と呼ばれた笠置シヅ子がモデルです。スズ子が歌う「東京ブギウギ」「ラッパと娘」などを作曲した羽鳥善一(草弼剛)は服部良一が、スズ子と竸い合った“ブルースの女王”・茨田りつ子(菊地凛子)は淡谷のり子がそれぞれモデルとなっています。ドラマは、戦前戦後を歌で生きたスズ子の姿を描きます。
終わるのが寂しい
俳優たちの演じる登場人物たちは、紙の中から生き生きと飛び出していた。ひとえに紙の中の人物に命を吹き込んでくださった俳優とスタッフの方々のおかげだ。いつものように過保護でいらぬ心配をしていた私は、すぐさま愛助以上に福来スズ子のファンになっていた。もちろん脚本を書いているときも、福来スズ子のファンの気持ちになっていたから愛助とスズ子の出会いのあたりを書くのはひと際楽しい時間だったのだが、趣里さんが命を吹き込んだ福来スズ子の魅力は、語彙のない私は「ハンパない」としか言えない。最終週あたりでは羽鳥善二とスズ子の関係とは何だったのかが見せ場となるが、楽しみにお待ちいただきたい。
それにしても画面の中の福来スズ子に一番励まされ、一番楽しませてもらったのは愛助ではなく私だろう。あ、こんなことを書くと「なに、言ってんだい、それは僕だよ」と羽鳥善一がドラマの中のように言ってくるに違いない。
今は、ただただ終わってしまうのが寂しい。最終回の3月29日来ないでと思わずにはいられない。
「しんぶん赤旗」日刊紙 2024年3月14日付掲載
スズ子が愛子を何とか自分の手だけで育てようとしたように、我が子を箱入りにしたくなる。私の書いたシナリオが現場でいじめられたりしないか、ひどい目にあわされていないかといつも心配でたまらない。
完成品が放送前から少しずつ送られてくる。それを見ると、登場人物たちがどうやら現場でもすこくかわいがられているようだなとホッと胸をなでおろした。
それにしても画面の中の福来スズ子に一番励まされ、一番楽しませてもらったのは愛助ではなく私だろう。あ、こんなことを書くと「なに、言ってんだい、それは僕だよ」と羽鳥善一がドラマの中のように言ってくるに違いない。
NHKの連続テレビ小説「ブギウギ」が大詰めを迎えています。脚本を手がけた足立紳さんに、ドラマに寄せる心境や最終盤の見どころについて寄稿してもらいました。
写真・橋爪拓治
あだち・しん=1972年鳥取県生まれ。「佐知とマユ」(NHK)で創作テレビドラマ大賞、市川森一脚本賞。映画「百円の恋」(脚本、監督)で日本アカデミー賞最優秀脚本賞。映画「喜劇愛妻物語」(脚本、監督)で東京国際映画祭コンペティション部門最優秀脚本賞。おもな作品は、「雑魚どもよ、大志を抱け!」(監督)、テレビドラマ「拾われた男」(脚本、NHK)、小説「それでも俺は妻としたい」など。
早いもので連続テレビ小説「ブギウギ」も間もなく最終回を迎える。このお仕事のお話をいただいたのは2021年の秋だった。翌春に映画を撮影する予定があった私は「このスケジュールでは正直無理だろうな……」と思った。
「やって後悔しろ」
きっと「朝ドラ」の仕事は忙しいに違いない。1日15分とはいえ週に5回、半年も続くのだ。もともと忙しいのが大の苦手な私は映画の撮影も重なるのではどんな忙しさになるか想像しただけでびびってしまった。果たして私に乗り切れるだろうかと。びびる私の背中を押したというのかケツを蹴っ飛ばしてくれたのはいつも通り妻で、「やっても後悔するだろうし、やらなくても後悔するんだからやって後悔しろ」と言った。似たようなセリフをスズ子が4カ月間、娘の愛子を置いてアメリカに行くべきかどうかで悩む場面でも使ったが、「やって後悔しろ」と言った妻に従って良かった。
映画やドラマを監督していると、撮影が終わるのが寂しくなるときがある。俳優が命を吹き込んだ登場人物と会えなくなるのが寂しく感じるのだが、脚本を書いているときは、まだ紙の中のこの人物たちに早く会いたい気持ちでいっぱいだ。そして今回のように脚本だけの担当の場合、撮影が始まるとなんだか寂しい気持ちになる。必死になって書いた我が子たちを、今度は撮影のスタッフたちに預けなければならないからだ。
スズ子が愛子を何とか自分の手だけで育てようとしたように、我が子を箱入りにしたくなる。私の書いたシナリオが現場でいじめられたりしないか、ひどい目にあわされていないかといつも心配でたまらない。撮影の様子を陰から見たくても、今回のような長丁場は撮影しながら私は家で必死に脚本を書いているからどうにもできない。だが、完成品が放送前から少しずつ送られてくる。それを見ると、登場人物たちがどうやら現場でもすこくかわいがられているようだなとホッと胸をなでおろした。
日帝劇場・舞台にて、大声援の中「ヘイヘイブギー」でトリを飾る福来スズ子=3月22日放送
戦前戦後を歌で生きて
「ブギウギ」主人公・福来スズ子は、昭和の時代に活躍し、“ブギの女王”と呼ばれた笠置シヅ子がモデルです。スズ子が歌う「東京ブギウギ」「ラッパと娘」などを作曲した羽鳥善一(草弼剛)は服部良一が、スズ子と竸い合った“ブルースの女王”・茨田りつ子(菊地凛子)は淡谷のり子がそれぞれモデルとなっています。ドラマは、戦前戦後を歌で生きたスズ子の姿を描きます。
終わるのが寂しい
俳優たちの演じる登場人物たちは、紙の中から生き生きと飛び出していた。ひとえに紙の中の人物に命を吹き込んでくださった俳優とスタッフの方々のおかげだ。いつものように過保護でいらぬ心配をしていた私は、すぐさま愛助以上に福来スズ子のファンになっていた。もちろん脚本を書いているときも、福来スズ子のファンの気持ちになっていたから愛助とスズ子の出会いのあたりを書くのはひと際楽しい時間だったのだが、趣里さんが命を吹き込んだ福来スズ子の魅力は、語彙のない私は「ハンパない」としか言えない。最終週あたりでは羽鳥善二とスズ子の関係とは何だったのかが見せ場となるが、楽しみにお待ちいただきたい。
それにしても画面の中の福来スズ子に一番励まされ、一番楽しませてもらったのは愛助ではなく私だろう。あ、こんなことを書くと「なに、言ってんだい、それは僕だよ」と羽鳥善一がドラマの中のように言ってくるに違いない。
今は、ただただ終わってしまうのが寂しい。最終回の3月29日来ないでと思わずにはいられない。
「しんぶん赤旗」日刊紙 2024年3月14日付掲載
スズ子が愛子を何とか自分の手だけで育てようとしたように、我が子を箱入りにしたくなる。私の書いたシナリオが現場でいじめられたりしないか、ひどい目にあわされていないかといつも心配でたまらない。
完成品が放送前から少しずつ送られてくる。それを見ると、登場人物たちがどうやら現場でもすこくかわいがられているようだなとホッと胸をなでおろした。
それにしても画面の中の福来スズ子に一番励まされ、一番楽しませてもらったのは愛助ではなく私だろう。あ、こんなことを書くと「なに、言ってんだい、それは僕だよ」と羽鳥善一がドラマの中のように言ってくるに違いない。