きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影

「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

コロナ看護の最前線① 大泉生協病院=東京・練馬 防護服・手袋2重… 動きにくい

2021-01-31 07:39:30 | 新型コロナウイルス
コロナ看護の最前線① 大泉生協病院=東京・練馬 防護服・手袋2重… 動きにくい
師長もシフトに
緊急事態宣言が出てから3週間がたちましたが、新型コロナウイルスの感染者数は高水準で推移しています。そんな中で患者を受け入れる医療機関では、看護師がもっとも患者と長時間接触し、治療に携わっています。最前線にいる看護師の状況は―。2病院の看護師の責任者に聞きました。(小梶花恵)

病棟看護師長・髙田絵里さん



感染拡大当初は自分たちが感染する恐怖がありました。第2波、第3波で入院できない患者が増えるに従い、積極的に受け入れる姿勢に変わりました。全日本民医連加盟病院の看護師として「困っている人は受け入れる」という姿勢です。
動きやすい配置をみんなで考え、昨年12月から入院の上で慎重な観察が必要な「中等症1」までの患者の受け入れを始めました。受け持ちの47床のうち4人用の1部屋を改造し、患者間の距離を取るため2人のコロナ患者の病床にしています。病棟の常勤看護師20人のうち15人が交代でコロナ患者をみています。患者が急変したときの体制を考えると、今の人員で2人の受け入れが限界です。
コロナ患者対応で夕方から翌朝までの当直看護師を1人置いたため、2シフト分の人員が余分にかかっています。普段、看護師長は病棟全体を見る仕事をしていますが、人員不足のため私もシフトでコロナ病室に入っています。



廊下の一部を仕切って特設したコロナ病室専用の看護師作業場。右の扉の奥が病室

コロナ病室には防護服を着た看護師しか入れません。その看護師が消毒や掃除、ゴミ捨てなど普段は看護助手らがすることをすべてしています。シーツや布団を消毒して絞るのが本当に大変です。
担当看護師はその時間帯はずっと1人で病室にいます。検温し、体を拭いたりおむつ交換するなど看護の内容は他の患者と同じです。ただ、ゴーグルをかけ、マスクをし、フェイスシールドと帽子をかぶって防護服を着るので暑くて動きにくい。手袋を2重にしているので採血などの作業が難しくなります。高齢で難聴の患者はフェイスシールドでさらに看護師の声が聞き取れず、顔を近づけて感染リスクが上がります。食事の介助でも患者がむせるとリスクが高いですが、目の前に患者がいればそうは言っていられません。

「しんぶん赤旗」日刊紙 2021年1月30日付掲載


感染拡大当初は自分たちが感染する恐怖。第2波、第3波で入院できない患者が増えるに従い、積極的に受け入れる姿勢に変化。全日本民医連加盟病院の看護師として「困っている人は受け入れる」という姿勢。
コロナ患者と対応する際には防護服。非常に作業が難しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤旗創刊93周年で考える② 権力の暴走・腐敗を監視 切磋琢磨する存在として

2021-01-30 07:29:41 | 赤旗記事特集
赤旗創刊93周年で考える② 権力の暴走・腐敗を監視 切磋琢磨する存在として
藤田 健(編集局次長

ジャーナリズムの歴史を考えるうえで、もう一つ考えなければならないのは、「中立公正」や「不偏不党」というスローガンがどうして生まれたのかです。
朝日新聞は創刊当初から「公平無私、勧善懲悪」(朝日新聞社執務規程)を看板にしましたが、その裏では1882年(明治15年)から85年(同18年)にかけて内閣機密費を毎月500円受け取っていました(注1)。当時の小学校教員の初任給が5円(明治19年)といわれますから、現在の初任給を25万円として、朝日新聞が受け取っていたのは月2500万円、年3億円もの大金でした。

(注1)「金百三十六円九十三銭九厘 朝日新聞補助金十五年五月より十八年四月迄毎月金五百円つつ相渡猶(なお)不足の分本行の通渡済明細勘定書並受取書あり」(伊藤博文『秘書類纂許財政編』)

「不偏不党」はどう生まれたか
決定的だったのが、1918年(大正7年)に起きた「白虹(はっこう)事件」です。当時、「朝日」は薩長の藩閥政府を批判、米騒動の報道禁止について抗議して寺内内閣を弾劾する「関西記者大会」を開くなど、政府追及の急先鋒(せんぽう)でした。
ところが、その記者大会を報じた「朝日」の記事に「白虹日を貫けり」という言葉がありました。これが、中国のことわざで「兵乱の前兆」だとして、政府から「朝憲紊乱(びんらん)」つまり天皇制政府の転覆を意図していると言いがかりをつけられ、新聞紙法違反で弾圧されたのです。右翼団体による中傷宣伝・不買運動が横行し、社長が右翼暴漢に襲われるという事件もおきました。
もちろん、非難されるべきは、言いがかりをつけて弾圧した政府の側です。しかし、このとき「朝日」は、沸き起こっていた言論界の抵抗・批判と結んでたたかうという方向をとりませんでした。社長の辞任、編集局長、社会部長らの退社などのうえ、朝日新聞として「皇室尊崇」「不偏不党」を宣言したのです(注2)。「不偏不党」はいわば天皇制政府への屈服の言葉だったのです。

(注2)朝日新聞社の「本領宣明」(1918年12月)「我社創刊以来茲(ここ)に四十年を閲(けみ)し、常に皇室を尊崇して国民忠愛の精神を鼓励し、言を立て事を議するは、不偏不党公平穏健の八字を以て信条と為し…」

生産階級の新聞 病的感覚を補正
このとき「大阪朝日」を追われた著名なジャーナリスト長谷川如是閑はこういいました。
「社会的事実の正しい感覚は、資本家新聞だけ見てゐては全く分らない、といふのは、欧米の新聞界の現状である。日本でも結局さうなるに違ひない。現に大部分さういふ傾向になつてゐる。それ故に、生産階級の新聞紙が日本にも生れることが、今の病的感覚を代表する多くの新聞紙の感覚を補正する唯一の道であらうと思ふ」(「社会的感覚機関としての新聞紙」、『解放』1923年9月)
時を経ていま、「朝日」の元編集委員・論説委員で新聞労連委員長も務めた藤森研さんが朝日新聞社刊の『ジャーナリズム』1月号に論考を載せています。そこで藤森氏は「もともと日本の新聞は、明治の自由民権運動を背景に、政党機関紙が主流を占めて成長してきた。明治中頃から『不偏不党』を掲げる報道新聞がとってかわって主流になり、現在に至る」という歴史を踏まえながら、こう主張します。
「機関紙が鋭敏なセンスでジャーナリズム性を発揮することは、一般メディアにとってもよい刺激だ。機関紙と一般メディアとが切磋琢磨(せっさたくま)しながら、権力の暴走や腐敗への監視を、さらに強めていくことを期待したい」
私たちはもちろん、商業新聞が権力監視というジャーナリズムの役割を発揮することを期待しています。同時に“機関紙とジャーナリズムは両立しうるし、実践している”と言い続けられるように、権力の暴走や腐敗への監視を強め、一般メディアと切磋琢磨できる存在でありたいと思います。
(おわり)(編集局次長)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2021年1月29日付掲載


「中立公正」や「不偏不党」と言うと、真っ当な事に様に思われがちですが…。
「公平無私、勧善懲悪」が看板だった戦前の「朝日新聞」。「白虹(はっこう)事件」を機に、社の方針を転換。「不偏不党公平穏健の八字を以て信条と為し…」とまで落ちぶれたのです。
「不偏不党」と「公平穏健」はセット、権力に抗わないってことだった。
いま 、政党機関紙と一般メディアとが切磋琢磨しながら、権力の暴走や腐敗への監視を、さらに強めていくことが求められている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「赤旗」創刊93周年で考える① 政党機関紙こそ日本のジャーナリズムの原点

2021-01-29 08:07:04 | 赤旗記事特集
「赤旗」創刊93周年で考える① 政党機関紙こそ日本のジャーナリズムの原点
藤田 健(編集局次長)

「しんぶん赤旗」は、2月1日で創刊93周年を迎えます。いま、日曜版の「桜を見る会」スクープのJCJ(日本ジャーナリスト会議)大賞受賞を契機に、大きな社会的注目を集めています。昨年は日刊紙が日本学術会議の会員任命拒否問題でスクープ。年初には内閣官房機密費の報道が話題を呼びました。
メディアへの登場は昨年11月以降、「毎日」「朝日」「沖縄タイムス」はじめ10社を超え、ラジオ番組出演や月刊誌での日曜版編集長と「週刊文春」編集局長との対談も企画されました。



安倍政権の「桜を見る会」私物化を報じる「しんぶん赤旗」日曜版

「赤旗」スクープ
その注目のほとんどは、なぜ大手メディアではなく、政党機関紙である「赤旗」がスクープできたのかという角度から、自省と自戒をこめてとりあげたものです。ただ、一部には「政党機関紙の活動とジャーナリズムは相いれるのか」と疑問を呈する向きもありました。
こうした疑問が出るのは、「中立公正」あるいは「客観報道」を旨とし、政治的には「不偏不党」を看板とする、いまの商業新聞のあり方がジャーナリズムの普遍的姿と映っているからではないか。
私は30年ほど前、昭和天皇死去後の異常な天皇礼賛報道を批判するなかで、明治期からの新聞を読み、「天皇報道の120年」という長期連載(1989年6月13日付から91年3月7日付まで92回)を同僚と2人で担当したことがあります。そこで知ったのは、日本の新聞の原点は、政党機関紙あるいは「政論新聞」(政治を論じる新聞)だったということでした。
日本で最初の日刊紙は、明治3年(1871年)に発行された「横浜毎日新聞」。その後発刊された新聞の多くは現在のブランケット判くらいの大きさで論説主体の「大(おお)新聞」と呼ばれました。これに対して、タブロイド判くらいの大きさで、警察ネタや花柳界の話題などいわゆる「3面記事」を中心にした新聞を「小(こ)新聞」と呼びました。代表格が東京で発行された「読売新聞」(1874年)と、大阪で創刊された「朝日新聞」(1879年)です。
「大新聞」は、自由民権運動とともに隆盛を誇りましたが、明治政府の度重なる弾圧で下火になります。とくに、1883年(明治16年)の新聞紙条例の改悪では、東京だけで13もの新聞社が閉鎖され、地方でも多くの新聞がつぶれたといわれます(板垣退助監修『自由党史』)。



毎日新聞夕刊「特集ワイド」(昨年11月30日付)

伝統を引き継ぐ
しかし、「政論新聞」の伝統は、ジャン・ジャック・ルソーの社会契約論を翻訳・紹介した中江兆民らが論陣を張った「東洋自由新聞」、日露戦争に際して幸徳秋水や内村鑑三らが非戦論を展開した「万(よろず)朝報」、あるいは共産党宣言を日本で最初に掲載した「平民新聞」につながっていきます。「赤旗」(当時は「せっき」と呼びました)は、こうした「政論新聞」の伝統を正当に引き継ぎ生まれました。
(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2021年1月28日付掲載


日本で最初に発行された日刊新聞。現在のブランケット判くらいの大きさで論説主体の「大(おお)新聞」と呼ばれた。これに対して、タブロイド判くらいの大きさで、警察ネタや花柳界の話題などいわゆる「3面記事」を中心にした新聞を「小(こ)新聞」と呼ばれた。
新聞条例などの施行で、既存の「大新聞」が下火になるなかで、ジャン・ジャック・ルソーの社会契約論を翻訳・紹介した中江兆民らが論陣を張った「東洋自由新聞」、日露戦争に際して幸徳秋水や内村鑑三らが非戦論を展開した「万(よろず)朝報」、あるいは共産党宣言を日本で最初に掲載した「平民新聞」につながっていきます。「赤旗」(当時は「せっき」と呼びました)は、こうした「政論新聞」の伝統を正当に引き継ぎ生まれました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はやぶさ2 カプセル回収班 豪での活動報告 着地点の予測精度誤差200メートル

2021-01-27 07:47:09 | 科学だいすき
はやぶさ2 カプセル回収班 豪での活動報告 着地点の予測精度誤差200メートル
小惑星リュウグウの物質を地球に持ち帰ることに成功した宇宙航空研究開発機構(JAXA)の探査機はやぶさ2。カプセル回収班のメンバーが着陸地のオーストラリアでの活動を報告しました。周到な準備の末に誤差200メートルという高い精度で着地点を予測できた一方、火薬を使った装置の未作動を思わせる状況にヒヤリとする場面があったことを明かしました。
(中村秀生)

昨年12月6日未明。総勢84人の回収班メンバーは、光学観測や方向探索などを分担し、地球大気圏に突入した着陸カプセルが火球となり発光しながら降下するのを待ち構えました。
前日からの強風や雲で火球の観測が心配されるなか、大気圏突入の約30分前に空が晴れて風も弱まり、絶好の条件に。午前2時30分ごろ、光学観測係は火球を視界にとらえて軌道を把握。火球が消滅する直前まで望遠追尾システムで追跡することにも成功しました。



カプセルからの電波信号を受信するアンテナの設置作業を炎天下で行いました(JAXA提供)

電波使い探索
方向探索係は、150×100キロメートルの着陸予想エリアを囲むように設置した五つの方向探査局で、パラシュートを開いて降下するカプセルからの電波信号を受信。三角測量の原理と風データから着地点を予測しました。その誤差は計画値(3キロメートル)よりはるかに高精度の200メートルでした。
カプセルからの信号の受信失敗に備えていた別の方向探索チームも、4カ所に配備した船舶用レーダーによる追尾に成功しました。
着陸予想地点へと飛び立った探索用ヘリコプターも、方向探査装置で信号を捕捉。上空からカプセルを目視で確認しました。



カプセル回収作業の様子(JAXA提供)

パラシュート分離も正常作動
それを受け、輸送用ヘリで現場に向かったのはカプセル係です。カプセルは着地後、火薬を使ってパラシュートを本体から分離します。そのためカプセル係は、まず安全化処理を行います。ところが到着してみると、パラシュートはカプセル本体の真横に。分離装置は不発か―。“不測の事態”が頭をよぎりましたが確認の結果、分離装置は正常に作動していたことが判明し、一安心となりました。
一方、カプセルが見つからない場合に備えていたドローン係。着陸予想の連絡を受けて離陸し、2キロメートル四方を約2500枚空撮しました。画像認識プログラムで解析し、米粒のように写ったカプセルを短時間で確認することに成功しました。

酷暑に負けず
現地は真夏。昼間の気温47度の酷暑や明け方の寒さ、ハエやガの襲来といった自然環境に悩まされました。コロナ禍の制約のもと、準備作業や訓練を入念に行いました。
大気圏突入からわずか11時間で現地本部にカプセルを届けることに成功。回収班メンバーも「非常に驚きだった」と振り返るほど、完壁な作業でした。

「しんぶん赤旗」日刊紙 2021年1月22日付掲載


はやぶさ2が地球に無事帰還して、「リュウグウ」で採取した物質を格納したカプセルを放出して、新たな小惑星探査に旅立ったことでも賞賛にあたいすることですが…
そのカプセルの回収もお見事でした。
地上に落下してわずか4時間余りで見つけたってこと。
現地本部にカプセルを届けられたのは、大気圏突入からわずか11時間。
あまりにも完璧すぎるってこの事ですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「しんぶん赤旗」日曜版 まちがい探し トナカイそり

2021-01-26 07:09:25 | 赤旗記事特集
「しんぶん赤旗」日曜版 まちがい探し トナカイそり

二つの絵にちがうところがあります。線のかすれはかぞえないで。





さあ、どこが違うでしょうか…






【こたえ】
①左下、トナカイの引綱
②中央の人、帽子の飾り
③その下、ベルトの模様
④右から2人目、帽子の飾り
⑤その下、手袋のマーク
⑥右端の人、帽子の形
⑦その下、靴の模様

「しんぶん赤旗」日曜版 2021年1月24日付掲載


民族衣装が良いですね。
右の女性の帽子の形などは見落としてしまいがち。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする