きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影

「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

広島 基町河川公園 「夕凪の街 桜の国」の舞台に

2007-11-27 19:39:28 | 写真撮影(県外)
本川をさらに上流に歩いていきました。

芝生に覆われた基町河川公園を歩きました







基町環境護岸
 昭和58年に総工事費約4億4000万円をかけて完成した基町環境護岸は、眺望が美しく、やすらぎが感じられるように配慮した設計になっています。また、昔から残されていた水制工(川に突き出した、洪水から町を守る構造物)を再現し、そのうちの2つは階段とし水面に近づきやすくしています。旧太田川沿いの平和公園や中央公園と一体となって市民の散策や憩いの場として広く利用されています。
 旧太田川には、水の都広島を川から眺めるリバークルーズが就航しています。アステールプラザ前から旧太田川を上り、平和公園・原爆ドーム・相生橋・基町護岸などを観覧するコースとなっています。




マンガ『夕凪の街 桜の国』の主人公の1人、平野皆実が住んでいたのが、基町河川公園のあたりです






マンガ『夕凪の街 桜の国』


この公園バックに原爆ドームを望む構図はサウンドトラックCD『夕凪の街 桜の国』のジャケットに採用されています。


広島平和記念公園 慰霊碑めぐり 原爆の子の像 原爆ドーム

2007-11-27 18:49:29 | 写真撮影(県外)
広島平和記念公園をさらに歩きました。



平和の鐘です


ぐるっと回って、原爆の子の像のところに戻ってきました。



元安川の西岸から望む原爆ドーム



元安橋のたもとから望む原爆ドーム



元安橋を渡って、元安川の東岸を原爆ドームへ歩いていきます。動員学徒慰霊碑がありました。



原爆ドームの前で説明文を読んでいる観光客



原爆ドームのアップです。


ここからさらに、本川と元安川が合流する相生橋のそばを通って、本川の東岸を上流に歩きました。

広島平和記念公園 慰霊碑めぐり いろんなものがあるんですね

2007-11-26 13:22:00 | 写真撮影(県外)
広島平和公園をさらに歩いてみました。いろんな慰霊碑があるんですね。


平和記念像

天心の三日月の上に
幻でない母と子の像
それこそ永遠の平和の象徴
童子よ母み愛につつまれて
金のトランペットを吹き鳴らせ
天にも地にも透明な
平和な調べ呼びおくれ
どんな未来が来ようとも
頬っいっぱいふくらまし
No More Hiroshimaの
金のトランペット吹き鳴らせ

1978年8月
 草野心平


平和観音



平和供養塔



被爆した墓石

慈仙寺内にあった広島藩浅野家の御年寄岡本宮内の墓であり、被爆により、墓の笠にあたる相輪が飛び崩れたものである。




在日韓国人慰霊碑



第2次世界大戦の終わりごろ、広島には約10万人の韓国人が、軍人、軍属、徴用工、動員学徒、一般市民として在住していた。
1945年8月6日原爆投下により、2万余名の韓国人が一瞬にして尊い人命を奪われた。
 広島市民20万犠牲者の1割に及ぶ韓国人死没者は決して黙過できる数字ではない。
 爆死したこれらの犠牲者はだれからも供養を受けることなく、その魂は永らくさまよい続けていたが、1970年4月10日、在日本大韓民国留民団広島県本部によって悲惨を強いられた同胞の霊を安らげ、原爆の惨事を二度と繰り返さないことを希求しつつ平和の地、広島の一隅にこの碑が建立された。

希望の念にかられつつ異国の地で爆死した霊を慰めることはもとより、今もなお理解されていない韓国人被爆者の現状に対しての関心を喚起し、一日も早い良識ある支援が実現されることを念じる。

在日韓国青年商工人連合会及び有志一同

日本語と合わせて、ハングル、英語で説明文があります。



中島本町の慰霊碑。
この町も、原爆投下で全滅したのでしょう。


一つひとつの慰霊碑に、慰霊と真の平和を求める願いがこめられています。

広島平和記念公園 慰霊碑めぐり

2007-11-25 15:30:40 | 写真撮影(県外)
広島平和記念公園の慰霊碑めぐりをしました。



被爆アオギリです
 市内東白島町の中国郵政局(旧広島逓信局)の中庭(爆心地から約1300m)で被爆し、爆心地側の幹半分が熱戦と爆風により焼けてえぐられていましたが、その傷跡を包むようにして成長を続けています。
 1973(昭和48)年5月に、平和公園内の現地へ移植されました。

被爆アオギリ2世
 2000(平成12)年夏、この場所から約10m離れた植え込みの中で自然の実生から育っていた「被爆アオギリ2世」と確認できる苗木が見つかりました。2003(平成15)年3月19日に移植しました。

被爆したにもかかわらず、50年以上経った今も元気に葉を茂らせ、2世も生まれている。生命の力強さを感じます。



被爆詩人 峠三吉の句碑です。

ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ




先生が、子供たちに、詩の文面を朗読させて、説明しています。



天神町北組の慰霊碑。 平和公園内には、被爆前には多くの町がありました。被爆とともに、住人が全滅した町が多くあります。天神町もそのひとつです。


広島平和記念公園 オブジェ

2007-11-24 18:34:24 | 写真撮影(県外)
広島平和記念公園には平和を祈願したいろんな記念碑があります。



平和記念公園の前の道路を挟んで南側にあるオブジェです。


いろんな国の言葉で、「平和」と書いてあります。



原爆資料館の前にある、「嵐の中の母子像」です。

 この作品のモチーフは、広島の惨害です。胸に乳飲み子を抱きかかえ、背にもう一人子どもを背負って、立ち上がろうとする母子の必死の姿は、まさに突進の形です。普通母子像は、暖かい愛情を表現するものですが、「嵐の中の母子像」は、いつ離れ離れになるかも知れぬという不安と、非常な事態の中での愛情の危機、もしくは極限の状態です。この、とことんまで生きようとする母子の像を通じて人間の生命の尊厳を象徴づけたつもりです。だから単なる母子像というより、母子二代にわたる悲しみ、二つの世代に横たわる悲劇の記念碑というわけです。



平和記念公園と言えば、「原爆死没者慰霊碑」です。
原爆ドームとともに、中心的存在です。
慰霊碑の中に、「安らかに眠ってください。過ちは、繰り返しませんから」とあります。



修学旅行で来た小学生たちは、記念撮影の「一つの場所」でしかないのでしょうか?

でも、安心して下さい。ちゃんと、子どもたちに平和を教えている先生もいました。
【次回紹介】