田沢湖姫観音と朝鮮人強制労働⑤ 開眼80周年記念法要
茶谷十六
田沢湖姫観音の開眼80周年にあたる今年11月10日、記念の法要がとり行われた。実行委員会からの案内状には、次のように記されていた。
「田沢湖姫観音像開眼80周年の年にあたり、日中戦争から太平洋戦争に至る日本の歴史のもっとも不幸な時代に、もっとも困難な状況の中で、わが郷土の先達たちが姫観音像に込めた願いと祈りを改めてかみしめ、工事犠牲者の御冥福を祈りするとともに、田沢湖が豊かな生命の湖水としてよみがえり、日本と韓国・朝鮮の友好・親善が深まり、世界の平和が末永く発展することを願って、記念の法要を執行したいと思います」
当日、空には黒雲が走り、田沢湖の水面が激しく波打っていた。姫観音像前に祭壇が設けられ、僧侶の読経が続く中、100名近い列席者一人ひとりが焼香した。秋田県仙北市の市長、教育長をはじめ多くの市民が参加、在日韓国民団秋田県本部の代表、朴容民・駐仙台韓国総領事の列席もあった。この日のために韓国から駆けつけたドキュメンタリー映画監督辛(シン)ナリ女史一行、写真家の朴哲・金客旭両氏の姿もあった。
焼香の後に、日韓両国の舞踊家による鎮魂の献舞が行われた。わらび座の安達真理さんが、鹿児島県川内市につたわる盆踊り「想夫恋(そうふれん)」をもとにした舞を舞った。豊臣秀吉の朝鮮出兵に駆り出された兵士や軍夫の妻たちが、出征したまま帰らない夫をしのんで踊ったという言い伝えをもつ舞だ。哀調をおびた胡弓の調べがむせぶように流れ、能の仕舞のような緊迫した動きの中に万感の思いをこめた舞が美しかった。
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姫観音像の前で鎮魂の「サルプリ」を舞う金順子さん
在日韓国人舞踊家・金順子さんが韓国の伝統舞踊「サルプリ」を舞った。哀切きわまりない伽耶琴の曲にあわせて、観音像の台座に体をすりよせて嘆き、湖・面に身を乗り出してはるかな空を見すえる姿に胸うたれた。白い絹布サルプリが激しく風になびいた。
続いて田沢寺(でんたくじ)墓地の朝鮮人無縁仏慰霊碑前で慰霊祭がとり行われ、寺の本堂で、私が「田沢湖姫観音像建立をめぐって」と題して講演した。多くの人たちにとってはじめて聞く話であったようだ。
法要後の直会(なおらい)の席で、朴総領事が、日韓両国の関係がギクシャクしている中で、日本の民間の人たちがこのような取り組みを続けてきたことへの感謝を述べられた。静かで力強い言葉が心にしみた。
田沢湖姫観音像が、日本と韓国・朝鮮との真の友好・親善のシンボルとして生き続けることを切望する。
(おわり)(ちゃだに・じゅうろく 秋田県歴史教育者協議会会長)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2019年12月25日付掲載
観音像の建立から80年の時を経て、改めて犠牲になった労働者たちの鎮魂の舞がおこなわれた。
日本と韓国との友好の輪です。
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そして、田沢湖湖畔の元祖「辰子姫」像。僕が若い時に旅行に行った時撮影(1985年5月)
茶谷十六
田沢湖姫観音の開眼80周年にあたる今年11月10日、記念の法要がとり行われた。実行委員会からの案内状には、次のように記されていた。
「田沢湖姫観音像開眼80周年の年にあたり、日中戦争から太平洋戦争に至る日本の歴史のもっとも不幸な時代に、もっとも困難な状況の中で、わが郷土の先達たちが姫観音像に込めた願いと祈りを改めてかみしめ、工事犠牲者の御冥福を祈りするとともに、田沢湖が豊かな生命の湖水としてよみがえり、日本と韓国・朝鮮の友好・親善が深まり、世界の平和が末永く発展することを願って、記念の法要を執行したいと思います」
当日、空には黒雲が走り、田沢湖の水面が激しく波打っていた。姫観音像前に祭壇が設けられ、僧侶の読経が続く中、100名近い列席者一人ひとりが焼香した。秋田県仙北市の市長、教育長をはじめ多くの市民が参加、在日韓国民団秋田県本部の代表、朴容民・駐仙台韓国総領事の列席もあった。この日のために韓国から駆けつけたドキュメンタリー映画監督辛(シン)ナリ女史一行、写真家の朴哲・金客旭両氏の姿もあった。
焼香の後に、日韓両国の舞踊家による鎮魂の献舞が行われた。わらび座の安達真理さんが、鹿児島県川内市につたわる盆踊り「想夫恋(そうふれん)」をもとにした舞を舞った。豊臣秀吉の朝鮮出兵に駆り出された兵士や軍夫の妻たちが、出征したまま帰らない夫をしのんで踊ったという言い伝えをもつ舞だ。哀調をおびた胡弓の調べがむせぶように流れ、能の仕舞のような緊迫した動きの中に万感の思いをこめた舞が美しかった。
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姫観音像の前で鎮魂の「サルプリ」を舞う金順子さん
在日韓国人舞踊家・金順子さんが韓国の伝統舞踊「サルプリ」を舞った。哀切きわまりない伽耶琴の曲にあわせて、観音像の台座に体をすりよせて嘆き、湖・面に身を乗り出してはるかな空を見すえる姿に胸うたれた。白い絹布サルプリが激しく風になびいた。
続いて田沢寺(でんたくじ)墓地の朝鮮人無縁仏慰霊碑前で慰霊祭がとり行われ、寺の本堂で、私が「田沢湖姫観音像建立をめぐって」と題して講演した。多くの人たちにとってはじめて聞く話であったようだ。
法要後の直会(なおらい)の席で、朴総領事が、日韓両国の関係がギクシャクしている中で、日本の民間の人たちがこのような取り組みを続けてきたことへの感謝を述べられた。静かで力強い言葉が心にしみた。
田沢湖姫観音像が、日本と韓国・朝鮮との真の友好・親善のシンボルとして生き続けることを切望する。
(おわり)(ちゃだに・じゅうろく 秋田県歴史教育者協議会会長)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2019年12月25日付掲載
観音像の建立から80年の時を経て、改めて犠牲になった労働者たちの鎮魂の舞がおこなわれた。
日本と韓国との友好の輪です。
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そして、田沢湖湖畔の元祖「辰子姫」像。僕が若い時に旅行に行った時撮影(1985年5月)