きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影

「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

★★不思議なバッテリーあがり★★

2007-08-31 23:43:58 | ドライブ(県内)
不思議なバッテリーあがり
8月、帰省先から高速道路をとばして走っている時、雷雨に襲われました。
ものすごい豪雨と稲光。「バケツをひっくり返す」ことがそのまま当てはまるような豪雨でした。その中を走っている時、事の発端は起こりました。
ラジオの入りが悪いので、MDを聞こうかと思って、MDを挿入した時です。
「TOC READING」というメッセージがでて、なかなか再生が始まらないのです。
「頭出しに手間取っているな」と思っていましたが、いつまでたっても再生が始まらない。サービスエリアの標識が見えたので、サービスエリアに入ってゆっくり確認してみることにしました。
エンジンを止めて、キーをACCに入れてラジカセを操作しようとすると、パネルの表示が消えてしまっているではないですか。MDを取り出そうにも、取り出しボタンが反応しない。なんとか、ラジオは聞けるけど、今度は入りっぱなし。ラジカセのオン・オフボタンが機能しない。聞かない時は、ボリュームを下げないといけない。実に不思議な現象になってしましました。

エンジンのオン・オフを繰り返しても改善しない。どうしようもないので、そのままの状態で再度発進。とりあえず、家まで帰りました。その日は遅かったので、そのまま寝ました。

後日、どうなっているか、再度確認。しかし、ラジカセの現象は改善していません。どこか、ヒューズが切れているのではと思って、ハンドルの下のヒューズボックスやラジカセにつながっている電源コードのヒューズを確認しましたが、切れていません。
ラジカセの元電源を一旦切って、再度いれると復旧するかと思い、ACCのヒューズを抜き、再度入れましたが、ラジカセは復旧しない。
ラジカセの説明書で、ラジカセにACCの線と常にバッテリーにつながっている線があるとありました。常にバッテリーにつながっている線を切れば復旧するかと思いましたが、どれかよくわかりません。
結局、そのまま、その日は諦めました。
このときは、エンジンはかかるし、バッテリーもあがっていませんでした。


さらに後日、エンジンを入れようとすると、ウンともスンともいいません。
室内灯のあかりが僅かに点灯する程度。完全にバッテリーがあがってしまっていました。

自分で、バッテリーを交換してもかまわないのですが、ラジカセとの関連、放電、漏電などの疑いがあるので、かかりつけのモータースに修理を依頼。

バッテリーは新品に交換。調べてもらったら、「漏電はないようですね。バッテリーを交換したら、ラジカセのパネルも表示するようになりましたよ」と言われました。「バッテリーもすでに5年間使っているようですので(2002年11月と張ってあった)、そろそろ変え時ですよ」とも言われました。普段、走っている時は全然不具合を感じていなかったのですが、そういうものなのでしょうか?


自分で、エンジンを入れて、ラジカセを操作して見ると、完全に復旧していました。ラジオのプリセット局と時計はリセットされていたので、再度設定。MDも問題なく再生されました。

結局、何が問題だったのか?

雷で、ラジカセの電子回路が狂ってしまって、MDが機能しない。常に電源が入ったままの状態。になっていたのでしょう。

ローテクの車。変速はマニュアル。パワーウィンドウはもちろん、パワーステアリングもついていない。ましてや、カーナビなんて夢のまた夢。という車なので、電装系統で不具合をおこすなんて思ってもいませんでした。

結果として、バッテリーがあがって、ラジカセの電子回路がリセットされて、正常にもどったのでしょう。

交換した 新品のバッテリー


復旧したラジカセ






櫻井戸 瀬戸内を行きかう船の飲料水に

2007-08-23 08:30:53 | ドライブ(県外)
【櫻井戸】
この、変わった名前の井戸は、地元通津地区の飲料水や灌漑用水とともに、瀬戸内を行きかう船舶の重要な飲料水として使われました。

【史跡 名水櫻井戸由来記】
 この辺りは以前多くの櫻の木が植えられており古い櫻の木からはふくいくとした香りがし、水との調和が大変美しかったという。
この櫻井戸は昔から地区の重要な水源としてどんな干ばつにも枯渇することなく、その良質で豊富な水は住民や瀬戸内を往来する船舶の飲料水や灌漑用水として用いられ、営々として豊かな嬉野の里をはぐくんできた。
 そして、初代岩国藩主吉川如兼(広家)公が、本呂尾海善寺にご隠居の頃(元和8年西暦1622年)京都御所のご用水であった柳の水と比較して遜色のない水であったと伝えられている。
 この為、有名な茶人である浅野家の家老上田宗箇宗匠も如兼公に招かれたおり、この水をこよなく愛でられたという。
 そして、以後は、近郊の有名な茶会の席には好んでこの水を用いるようになったと言われている。また、住人からはいつからともなくこの水を、若水として汲むと長寿の薬になると言い伝えも生まれている。
 昭和57年4月 通津地区史跡櫻井戸保存会