「石の女王」の時代① 白いピラミッド
飛鳥路を歩いて、「石の女王」の異名をもつ斉明天皇(594~661)が生きた時代に思いをはせました。
「石の女王」とは飛鳥時代に大規模土木工事を繰り返したことからきており、遺構の一つが「酒船石」です。
斉明天皇の墓は近年の発掘調査で牽牛子塚(けんこしつか)古墳(明日香村越)であることがほぼ確定しましたが、決め手は陵の形状が飛鳥時代最後=古墳築造の最後=の八角墳だったことと、越塚御門古墳の発見で『日本書紀』の記述が裏付けられたからです。
崩れた古墳を5年かけて復元し終えたのは2022年3月。築造時は北西12キロの二上山から運んだ切石を用いましたが、復元には石川県小松市の「滝ケ原石」の凝灰岩を2500枚使用しました。
よみがえった牽牛子塚古墳は上空からみれば八角形ですが、地上からは、まばゆい白のピラミッド(角錐)で、明日香村の新しい人気スポットになっています。(写真)
(福島明博通信員)(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2023年10月4日付掲載
飛鳥路を歩いて、「石の女王」の異名をもつ斉明天皇(594~661)が生きた時代に思いをはせました。
「石の女王」とは飛鳥時代に大規模土木工事を繰り返したことからきており、遺構の一つが「酒船石」。
よみがえった牽牛子塚古墳は上空からみれば八角形ですが、地上からは、まばゆい白のピラミッド(角錐)で、明日香村の新しい人気スポットに。
飛鳥路を歩いて、「石の女王」の異名をもつ斉明天皇(594~661)が生きた時代に思いをはせました。
「石の女王」とは飛鳥時代に大規模土木工事を繰り返したことからきており、遺構の一つが「酒船石」です。
斉明天皇の墓は近年の発掘調査で牽牛子塚(けんこしつか)古墳(明日香村越)であることがほぼ確定しましたが、決め手は陵の形状が飛鳥時代最後=古墳築造の最後=の八角墳だったことと、越塚御門古墳の発見で『日本書紀』の記述が裏付けられたからです。
崩れた古墳を5年かけて復元し終えたのは2022年3月。築造時は北西12キロの二上山から運んだ切石を用いましたが、復元には石川県小松市の「滝ケ原石」の凝灰岩を2500枚使用しました。
よみがえった牽牛子塚古墳は上空からみれば八角形ですが、地上からは、まばゆい白のピラミッド(角錐)で、明日香村の新しい人気スポットになっています。(写真)
(福島明博通信員)(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2023年10月4日付掲載
飛鳥路を歩いて、「石の女王」の異名をもつ斉明天皇(594~661)が生きた時代に思いをはせました。
「石の女王」とは飛鳥時代に大規模土木工事を繰り返したことからきており、遺構の一つが「酒船石」。
よみがえった牽牛子塚古墳は上空からみれば八角形ですが、地上からは、まばゆい白のピラミッド(角錐)で、明日香村の新しい人気スポットに。
飛鳥路は最近、行けていません。白いピラミッドも初見です。
ぜひ、再訪してみたいです。