「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。
第11回兵庫県平和美術家協会作品展 作品の紹介
神戸・三宮のサンパル5階の市民ギャラリーで「第11回兵庫県平和美術家協会作品展」が開催さてています。
2月1日まで・・・
例によって、独断と偏見でお好みの作品を紹介していきます。
笑顔文字 青空舞飛龍 posted by
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いつもの「笑顔文字」。「青空舞飛龍」
笑顔文字 心を結ぶ posted by
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「心を結ぶ」
笑顔文字 夢はきっと叶う posted by
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「夢はきっと叶う」
過ぎゆく秋 posted by
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次に、墨彩画。「過ぎゆく秋」
雲湧く posted by
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「雲湧く」
いちご大好き posted by
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次は、パステル画。「いちご大好き」
元気ジャンボゆず posted by
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「元気ジャンボゆず」
バラ posted by
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「バラ」
希望を求める人 posted by
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水彩。「希望を求める人」
姫路城旧武器庫 大中遺跡 posted by
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油絵。「姫路城旧武器庫」「大中遺跡」
絆 元旦の祈り posted by
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書。「絆」「元旦の祈り」
絆 posted by
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「絆」の糸偏部分が東北地方の地図になっています。
書 鶴彬 禁煙 posted by
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書。「鶴彬の川柳」「禁煙」
芋の葉 posted by
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洋画。「芋の葉」
最後に写真のコーナー
ふるさとを守る・・・_01 posted by
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神戸市北区の農村を撮った写真。「ふるさとを守る」「田を守る」
ふるさとを守る・・・_02 posted by
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「家を守る」
三徳山 三佛寺 投入堂 posted by
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「三徳山 三佛寺 投入堂」
初もうで カモ posted by
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「初もうで おじいと孫」「カモ」
最後に出品者の方で墨彩を描かれる方が展示会をやられるので紹介します。
そのお知らせをします。
貴瑛社展_01 posted by
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水墨・墨彩 第29回【貴瑛社展】
と き:2012年2月14日(火)~19日(日)
午前11時~午後6時(最終日は午後4時まで)
ところ:神戸・北野坂 ダイヤモンドギャラリー
住 所:神戸市中央区中山手通1丁目8-17、ダイヤモンドビル
電 話:078-331-2755
(阪急三宮東口から北へ・正家そば山側)
貴瑛社展_02 posted by
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ぜひ行ってみてください。
第11回兵庫県平和美術家協会 作品展 イン神戸
平和美術家協会主催の会員展が2012年1月27日~2月1日、神戸市内のサンパル5階市民ギャラリーで開催されている。
1月28日、午後1時から4時まで受け付け当番を仰せつかって鑑賞と合わせて会場を訪れた。
会員展 市民ギャラリー案内 posted by
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会員展 鑑賞者たち_01 posted by
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会員展 鑑賞者たち_02 posted by
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会員展 鑑賞者たち_03 posted by
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会員展 鑑賞者たち_04 posted by
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【会員展出品録】
作者 | ジヤンル | 作品名 |
飯原弘喜 | 書 | 「松明」 | |
飯原洋子 | 切り絵 | 希望 | |
内田節子 | 書 | 青空舞飛龍 | 心を結ぶ |
夢はきっと叶う | | 大田トミ子 | 水彩 | ヒートアイランド | 希望を求める人 |
樫村道子 | 墨彩 | 雲湧く | 過ぎゆく秋 |
金子賢治 | 写真 | 初もうでおじいと孫 | カモ(有馬富士の福島大池) |
川井正弘 | 写真 | いつかきた道(陸1) | いつかきた道(陸2) |
いつかきた道(海1) | いつかきた道(海2) |
いつかきた道(空) | |
川瀬風子 | 書 | 憶良・貧窮問答詩抄 | |
間 康成 | 油絵 | 姫路城旧武器庫 | 大中遺跡 |
黒坂 泰 | ちぎり絵 | あねもね | だいだい ラディシュ |
笹井俊司 | 写真 | 投入堂 | 壁画1(メキシコ国立自治大学にて) |
壁画2 | |
田付瑞穂 | パステル | 元気ジャンボゆず | いちご大好き |
写真 | キリン | |
絵皿 | バラ | |
段野太一 | 写真 | 中国の僧 | |
段 重喜 | 漫画 | 絆 | アメリカいいなり |
堤 隆二 | 写真 | 災害は忘れぬうちにやってくる | 原発はいらない |
徳原尚世 | 写真 | 家を守る | 田を守る |
ふるさとを守る | |
友成陽子 | 水彩画 | 武庫川上流 | 万願寺ししとう |
中村信司 | 書 | 鶴彬の川柳 | 禁煙 |
西澤 慎 | 書 | 希望 魯迅 | 一日 立原道造 |
平部 成 | 油彩 | 鳴門風景 | |
薬谷礼子 | 切り絵 | 元旦の祈り | |
山口克己 | 洋画 | 芋の葉と虫 | 深まる秋 |
芋の葉 | |
出品作品を紹介します・・・
平和美術家協会 作品_01 posted by
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平和美術家協会 作品_02 posted by
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平和美術家協会 作品_03 posted by
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平和美術家協会 作品_04 posted by
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平和美術家協会 作品_05 posted by
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平和美術家協会 作品_06 posted by
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平和美術家協会 作品_07 posted by
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平和美術者協会 作品_08 posted by
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出品作品のなかでお気に入り作品を紹介していきます・・・
日本共産党の連続教室の古典教室第11回 多数者革命論の補論と次回の予告
1月24日は、日本共産党の連続教室・古典教室の第11回。第10回に続く「多数者革命論」の2回目。
エンゲルスの「『フランスにおける階級闘争』1895年版への序文」をテキストに残りの部分をやりました。
不破さんは講義の後半に、「多数者革命論」の補論を語りました。
1、エンゲルス死後のドイツ社会民主党
2、レーニンと多数者革命論
3、スターリンの革命論と「50年問題」
4、1960年の共産党・労働党会議での革命論争
5、フランス共産党とイタリア共産党のその後
6、日本共産党綱領と多数者革命論
補講に続いて、不破さん曰く、古典教室も最初のころの感想から最近の感想はずいぶんかわっていまして、最初のころは「マルクス・エンゲルスは同一人物ではなかったのか」という感想から、最近は「多数者革命論を勉強したら、ここに4中総があったか」という感想がずいぶんあったと。
不破さんは、「世界の共産党で、マルクスの目で日本の歴史を見て、エンゲルスの目で日本の社会を見て、マルクス・エンゲルスの目で日本の変革の展望を語るって党は見当たらない」という。
今、「新メガ」としてオランダのアムステルダムでマルクス・エンゲルスの著作はもとよりあらゆる手紙やメモ書きまですべて集めた本当の全集を編集しているといいます。100冊余りになって、1冊は5~6cmの厚さになるといいます。
でも、集まってきている研究者はマルクス・エンゲルスの思想が正しいと思ってやっているのではなくって、数ある偉大な思想家の2人として扱っているそうです。
そこで不破さん曰く、「日本共産党員が1年間を通して綱領と古典を学び、日々の活動の糧にしようとしている事。多少の差はあるが、すくなくともしようと試みていることは歴史的な事」だそうです。
日本にもマルクス・エンゲルス研究の歴史があると。世界で初めて「マルクス・エンゲルス全集」を出版したのは、なんと絶対主義的天皇制のもとの日本だったのだそうです。
ヨーロッパから古本を買って帰ってきたり、書き写したりして、努力を重ねて出版にこぎつけたそうです。もちろん今ある全集にくらべるとかなり収録数は少ないものでしたでしょうがね。
入れたくれも入れられなかったものに『共産党宣言』があるそうです。入れても検閲ですべて×××になるだからそうです。『共産主義の原理』は『××××の原理』で入れられたそうです。
不破さん曰く、これで古典教室を終わらせるのはもったいない。志位さんの綱領教室も12回までやるので古典教室も12回までやりたいと思う。
テーマとして、「マルクス・エンゲルス以後の科学的社会主義の理論史」と名づけたい。
マルクス・エンゲルスの理論がレーニン時代にどうなったのか、スターリン時代にどんなものになったか、それが世界を制覇したんだけど、自主独立の党である日本共産党がどうやってそれを突破して、(綱領確定後)半世紀かかったけど今日まで来ているか。
その歴史のあらすじをみなさんと一緒に振り返ってみたいということです。
こうご期待です。
最後に村主のお願い!たくさんの感想を寄せてくださいね!
阪神・淡路大震災17周年 その教訓を生かせ・・・ その2
引き続いて「しんぶん赤旗」の特集を転載します。
知っている人の知らなかった震災での苦しみ。震災の長田ウォークで訪れた丸五市場の店主さん。
避難所で、ポートアイランドの仮設住宅で、復興住宅で・・・、被災者のために奮闘されている安田さん。
17年前の事。 被災支援で関東方面からこられて来ている方に入浴してもらうために、神戸市でも被災していなかった北区の事務所にお連れした時のことだった。
テレビで神戸市の緒方助役が「幸か不幸かこういうことになったので、インナーシティの再開発をさせてもらいます。神戸空港もつくります」って言ったのです!
支援に来てこられた方々がいっせいに「被災者のことを置き去りにいったい何を考えているんだ!」「絶対許せない!」と・・・
東日本大震災とあわせて人間復興を改めて築いていきましょう!
その④ 「復興」とは ゼネコン潤う巨大開発
「私たちには公的支援がないのに神戸空港や銀行には大金がつぎ込まれたのが、悔しくて悔しくて…」
神戸市中央区の復興県営住宅に住む山本尚代さん(77)は、ふり返ります。
「復興のシンボル」神戸空港。建設の借金を返せず、運営も赤字です=神戸市中央区
家の再建断念
1988年に6500万円で東灘区岡本の土地と家を買い、さらに、海を見ながら食事できるようにとキッチンを2階に移しました。「すごく思い入れがあった」という家が震災で全壊。当時は「国が1000万円くらい出してくれるだろう。頑張れば家を再建できる」と思っていましたが、結局、公的支援はなく、断念しました。
一方、震災からわずか2週間後、当時の神戸市長が「神戸空港は復興のシンポル。当然推進する」と宣言。「驚きました。あの非常時に。溺れている者を助けるのが先じゃないの、と」。市は31万人の住民投票請求署名も無視し、99年に空港建設に着工して2006年に開港しました。
被災者が置き去りにされた阪神・淡路。そこでおこなわれた「復興」とは何だったのでしょうか。
国や県は「単に震災前の状態に回復するのではなく、『創造的復興』を」と掲げ、震災を絶好のチャンスとして、以前から計画していた巨大開発を「復興」の名を冠して一気に推進しました。
震災直後、当時の神戸市助役はテレビで、開発計画をもりこんだ従来のマスタープラン(総合基本計画)にふれ、「これを実行するのが震災復興。タイトルを書き換えて、今日からでも明日からでも実行する」「幸か不幸かこういうことになりましたので」と露骨に語りました。
震災後10年間の国・自治体の復興事業費は16兆3000億円。その6割、9兆8000億円が県の復興計画の柱の一つ「多核・ネットワーク型都市圏の形成」に投入されました。そこにはインフラ整備のほか、高速道路網建設、新都市づくり、神戸港の最新鋭整備、巨大再開発、土地区画整理、神戸空港1など大型事業がズラリ。ゼネコン・大企業だけがもうかる復興」でした。
破綻が鮮明に
いま、その破綻が鮮明です。神戸空港は、空港島の土地が売れないため建設の借金1982億円を返済できず、運営も赤字のため、新たな借金や別会計の資金の流用で穴埋めする事態です。面積20診と全国最大級の長田区の復興再開発は、地元被災者を追い出したうえ、ビルに業者が入らず軒並みシャッター通りです。
山本さんは「国はムダ遣いをやめ、お金は迷わず東北の人たちに回してあげてほしい。本当にそう思います。私たちは苦労がわかるから」といいます。
(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年1月14日付
その⑤ 消費税増税 復興妨げ、地域に打撃
政府・民主党は、消費税を2014年に8%、15年に10%に引きあげる方針を決めましたが、東日本大震災の復興の時期と重なります。阪神・淡路大震災の2年後の1997年4月に3%から5%になったとき、どう影響したでしょうか
被災したうえ
「蓄えがものの見事になくなったうえに、消費税アップ。買い渋りが起きて売り上げは2割減った。あれはきつかった」
神戸市長田区の丸五市場事業協同組合理事長、西村政之さん(68)=鶏肉店経営=はふり返ります。
被災した店と自宅の補修のために借金し、貯金を全部使いました。そこに襲った消費税増税。「仕入れは消費税を払う。5%はとても負担できないのでお客さんからもらうようにした」といいます。一部の客に「市場やのに消費税取るんか」といわれました。
「怒りをぶつけられ、増税の矢面に立たされたのは小売りのわれわれ。国は最後に取っていくだけ」。いまも怒りが納まりません。
神戸市灘区で工務店を営む松吉稔さん(64)は、徐々に減っていた仕事が消費税増税でいよいよなくなりました。「私も震災後に建てた家のローンがある。アルバイトもしました。冷や汗がでて夜中に目が覚め、死んだら楽になるのに、と思うこともあった」
消費税増税とそれによって起きた大不況のため、ただでさえ震災で沈下していた阪神・淡路の経済は大打撃を受け、復興どころかいっそう落ち込みました。当時、「震災と消費税の二重苦」という言葉が広く使われました。
丸五市場の店の前に立つ西村さん=神戸市長田区
売り上げ下降
97年12月の被災地事業所調査(〈財〉産業復興推進機構調べ)によると、「震災前より売り上げが減った」という事業所が57%。その理由として最も多い回答が「消費税率の引き上げ」と「買い控え等の消費者マインドの変化」でした。消費を落ち込ませた消費税増税の影響が歴然としていました。
震災後の売り上げの推移は、「一時期回復したが今は下降気味」「悪くなる一方」と答えた事業所が合計62%で、「順調に回復」はわずか8%でした。また97年の県内倒産件数は過去10年間で最悪になり、98年は過去最悪を記録。地域経済は著しく悪化していきました。
阪神・淡路の経験は、大災害の復興の過程では消費税増税などあってはならないことをしめしています。
西村さんは、「根こそぎやられた東北の商売人が立ち上がるには、われわれの数倍のエネルギーがいると思う。そんなときに消費税10%とは、何という政治か」といいます。
(つづく)
消費税アップ反対、被災者への公的支援・個人補償を求めた1万人大集会が開かれ、デモ行進する参加者目1996年10月13日、神戸市兵庫区
「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年1月15日付
その⑥ たたかいが切り開く 政治動かし、支援拡大
「復興は終わっていない。今後も被災者の実態を訴えていく」
日本共産党元県議で阪神・淡路大震災被災者ネットワーク代表の安田秋成さん(86)は力強く語ります。
神戸市兵庫区で被災し、仮設住宅で自治会長を務め、いま同区の借り上げ復興住宅に住んでいます。
震災後の17年間は、被災者と救援復興県民会議、日本共産党のたたかいが政治を動かし、被災者支援を一歩一歩前進させてきた日々でもあります。安田さんは、高齢ながら常に先頭にいました。
震災当時の村山内閣は「私有財産制では認められない。生活再建は自力で」と、全被災者が切望した公的支援・個人補償を拒否。「立ち上がろうとしている人が、こん棒で頭を殴られたようなものでした」と安田さん。
支援法が成立
以来、県民会議は「人間復興」を掲げ、公的支援実現の大運動にとりくみます。「住宅・店舗再建に500万円、生活支援に350万円の公的支援」を求め100万人を超えた署名運動、2度の1万人集会、約87万人が投票した1997年の公的支援実現「住民投票」運動、度重なる政府・国会要請―などをくり広げてきました。
これと結んで国会で共産党が他党との共同を追求し、97年、共産党など参院6会派39議員が超党派で全壊に500万円支給などの法案を提出。これに被災者の熱い期待が集まり、公的支援を否定していた自民党は追いつめられ、初めて現金給付にふみこんだ対策を取らざるをえなくなりました。自民は「被災者生活再建支援法」案をまとめ、民主、公明、社民などと共同提案し、98年5月に成立。世論と運動が政治を動かしたのでした。
同支援法は、全壊世帯の生活支援だけに100万円支給と不十分なうえ、阪神・淡路は対象外でした。
県民会議は引き続き運動を強め、全国でも世論が高まり、2004年と07年の法改正で阪神・淡路に適用しないとはいえ住宅再建に最高300万円支給が実現。いま、東日本の被災者救済へ抜本的拡充が間われています。
県民集会で被災者への公的支援・個人補償実現を訴える参加者=2000年1月17日、神戸市
孤独死が続発
一方、震災後5年間存在した仮設住宅では孤独死が続発。劣悪な住環境も深刻でした。
安田さんがいた仮設住宅でも、必死に努力しても仕事がない男性がアルコール依存になり、孤独死しました。
安田さんは「孤独死は“絶望死”ともいえます。個人補償があるか、公営住宅に移れるか、仕事があるかなど希望を持てなければ閉じこもって酒におぼれ、孤独死、自殺につながりやすい」と指摘します。
仮設住宅の住民が集う仮設住宅ネットワークの代表世話人も務めた安田さん。公的支援や公営住宅大量建設実現で「生きて仮設住宅から脱出しよう」と訴えました。
世論と運動で、仮設住宅にエアコンやひさしが設置され、復興公営住宅の戸数増と低家賃が実現しました。
ほかにも被災者や県民会議の要求で、民間賃貸住宅の家賃補助、災害援護資金の月千円からの少額返済などが実現しました。
「東日本の人たちとも連帯して、借り上げ住宅問題をはじめ被災者のための運動を続けたい」と話します。
(おわり)(喜田光洋、秋定則之が担当しました)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年1月16日付
阪神・淡路大震災17周年 その教訓を生かせ・・・
阪神・淡路大震災17周年にあたって「しんぶん赤旗」に特集記事が組まれました。
それを2回にわけて紹介します。
その① 棄民政策 復興住宅退去迫られる
死者6434人、家屋全半壊(焼)約47万世帯という阪神・淡路大震災から17日で丸17年。昨年の東日本大震災後の復旧・復興策をめぐって、被災者の生活再建・公的支援の拡充を第一に置くのか、政治的対決点が鮮明になっています。阪神・淡路の誤りをくり返さないためにも、あらためて教訓を考えてみます。
(兵庫県・喜田光洋)
神戸市兵庫区にあるUR(都市再生機構)住宅「ルゼフィール中道」の一室。能勢治実さん(74)は怒気を含んだ声で語りました。
「この年で引っ越しなんか無理や。金も気力もない。通っている医者にも行けなくなる。それでも出うとゆうなら切腹したるわ」
生まれも育ちも兵庫区です。阪神・淡路大震災で被災し、マンションを購入しましたがローンが払えず、6年前、復興市営住宅として神戸市が借り上げた同住宅に入居。
ところが市は2010年秋、URからの借り上げが20年を迎える2018年までに退去するよう通告してきました。
(右から)能勢さん、北村さん、黄さん。UR借り上げ市営住宅「ルゼフィール中道」の前で=神戸市兵庫区
平均年齢78歳
「ここに来たときは期限の話なんか一切なかった。愛着のあるこの地で永住できると思っていたのに…」
同住宅は高齢者用で、59世帯が入居し平均年齢は78歳。99歳の人もいます。
同住宅に住む北村昌子さん(76)も「私たち年寄りを追い出すのはどう考えてもおかしい。みんな助け合って何とかやってきた。バラバラにされたら生きていけません」と声を張り上げます。
阪神・淡路大震災で復興公営住宅が約4万2000戸供給されましたが、そのうち、兵庫県や神戸市などがURや民間から約6600戸(昨年10月末)を借り上げています。借り上げ契約期間は20年で、2015年度から23年度にかけて順次契約期間終了を迎えます。
県や神戸市はそれを理由にいま入居者に期間終了までの退去を迫っており、避難所、仮設住宅をへて“終(つい)の住み家”に落ち着いたはずの被災者が追い出されようとしています。
一方、入居者のたたかいが広がっています。各地の借り上げ住宅で借り上げ継続を求める署名、「市長への手紙」提出などがとりくまれ、昨年12月15日には「住み続けるために力を合わせよう」と、「借り上げ住宅入居者連絡協議会」が結成されました。
市長に嘆願書
「ルゼフィール中道」の住民代表で同協議会の世話人、黄恵祥さん(63)は「うちも、入居者の『市長への手紙』と嘆願書を近く市に提出します。住み続けるという強い気持ちでのぞみたい。意思をしめすときです」と語ります。
個人補償を否定し、遠方の不便な仮設住宅や復興住宅に追いやるなど、被災者に冷酷な国や県、神戸市の姿勢は「棄民政策」と呼ばれましたが、いまもなお続いています。(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年1月11日付
その② 孤独死914人 絆を奪われ 希望も失い
914人。阪神・淡路大震災後、2010物年12月までに仮設住宅と復興公営住宅で起きた孤独死の数です。
(グラフ)
六甲山の北側、神戸市北区鹿の子台の復興県営住宅に住む永楽正夫さん(63)=前自治会長=は、警察による遺体の検視に数回立ち会いました。
「死後2週間の男性は、風呂上がりの裸のままうつ伏せになって、うじがわいていた。SOSの合図が外に伝わっていたら助かったかもしれないのに…」
男性は急性心不全。各戸に三つ設置された非常用ベルまでたどり着けなかったもようです。
地震では助かった命なのに、誰にもみとられず亡くなっていくーこの痛ましい死がいまも続いています。
知らぬ者同士
同住宅の小田康子さん(74)は兵庫区で被災し、役所で「入れるのはここだけ」といわれ、遠く離れた鹿の子台仮設住宅に入居しました。震災前の市街地での生活とは一変。冬は水道の水が凍り、冷たいすきま風が吹き上げました。イノシシやヘビも出ました。
3年後、同じ鹿の子台の現住宅に移転。市街地の復興住宅は3度落選し、やはり「ここしか入れない」といわれました。日中のバスは1時間に1本。車のない高齢者には過酷です。住民は各地の仮設住宅から集まった見知らぬ者同士でした。
「人間関係が希薄で、寂しい。でも住めば都と、前向きに考えるようにしています」
鹿の子台復興県営住宅の自室の前に立つ小田康子さん。後ろは雑木林です=神戸市北区
仮設住宅・復興住宅の孤独死数の推移
劣悪な住環境
大量の孤独死は、人と人とのつながりが断ち切られたこと、元の生活に戻る見通しがなく生きる希望を失うことが主な要因で、「棄民政策」の象徴です。
仮設住宅と復興住宅は数が足りないうえ、県や市は郊外など遠方に多く建設。被災者は、仮設入居の際も復興住宅に移る際も抽選でバラバラにされ、追いやられました。
仮設住宅では、引きこもってアルコールに依存する人が増え、孤独死が社会問題に。断熱性がなく極端な寒暖、湿気、すきま風など劣悪な住環境が体調を悪化させました。
復興住宅では、仮設住宅でせっかくできたコミュニティーが再び壊されたうえ、鉄のドアで仕切られて孤立がさらにすすみ、高齢化、病気、貧困が孤独死増に拍車をかけました。
行政は高齢者の巡回訪問など見守り事業を実施していますが、永楽さんは「彼らは一人ひとりの実態を把握していない。自治会と情報交換もしないし、よく見えない」といいます。永楽さんらは、カラオケの会を開くなどつながりを築く努力を懸命に続けています。
小田さんは「東北の人たちには、神戸のようなことをしないでほしい」と語ります。
(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2011年1月12日付
その③ 公的支援なし 借金苦、救ってほしい
「情けない話ですが、借金を返すためだけに生きているようなものです」
神戸市兵庫区の印刷業者、塚本維昭さん(71)は、機械を操作する手を休め、口を開きました。
震災で自宅が全焼し、プレハブの仮住居をへてマンションを購入し移住。震災後、住宅ローン3500万円、災害援護資金300万円、店の再開に営業用融資1000万合計4800万円借りました。災害援護資金は完済しましたが、なお月20万円近く返済中です。住宅ローンは93歳まであります。
ところが、震災の影響や不況でしだいに売り上げが減り、いま震災前の10分のー。「笑うほど少ない。月にたった3万円のときもある。収入はほとんど返済に回り、残らない」。
蓄えはとうになくなり、生命保険も解約しました。
印刷機を操作する塚本さん=神戸市兵庫区
「自己責任」
震災後、被災者が最も望んだのが生活、住宅、営業再建のための公的支援・個人補償です。しかし、震災当時の村山内閣は「私有財産制では認められない」とこれを拒否。自己責任による再建を押しつけ、いまも続く被災者の苦しみの最大の要因となりました。
1998年に被災者生活再建支援法ができ、2004年、07年の改正で住宅再建に最高300万円支給されるようになりましたが、阪神・淡路はいずれも適用されませんでした。
支援策は融資しかなかったため被災者が殺到し、その結果、返済の重圧を背負います。
5万6千人が借りた災害援護資金は、06年に完済のはずがいまも1万3千件が返済中(返済不能・困難含む)です。4万7千件利用があった業者むけ緊急災害復旧資金は、7千件近く(11年12月)が返済不能に陥りました。
持ち家の再建は、資金不足の人はあきらめ、再建してもローンに苦しみます。被災者むけ住宅ローンは旧住宅金融公庫分だけでも、返済不能による代位弁済(保証機構による返済肩代わり)が2465件。この人たちはせっかく再建した自宅を手放しました。
二重ローンが主に住宅再建で問題になりましたが、支援は利子補給だけでした。
ぜひとも必要
災害で生活と生業を立て直すには、住宅や店舗・工場再建への十分な公的支援がどうしても必要-阪神・淡路の17年は示しています。店舗・工場は除外し、最高300万円にすぎない現支援法はきわめて不十分です。
「借金がある限り震災は終わらない。神戸空港のようなムダなものをつくって、被災者に何の支援もないのはおかしい」塚本さんは、いまも告発します。
(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年1月13日付
行政やマスコミは「復興した神戸から東北に応援を」なんて言います。確かに、阪神・淡路大震災を体験した神戸から支援をすることは大切なことです。
しかし、17年経った今も、生活を立ちなおせていない人々、生きる絆が失われてしまった人々がいることを忘れてはいけません。
阪神・淡路で本当の復興を成し遂げることが、東北の人々への支援になります・・・