アテナイ市とは、その歴史において政治体制の変遷を経た共同体、つまり、初めは独裁制だったが、そののち民主制に移行した「同じ」市であるならば、その市は、古代に背負った負債ついて今日もなお返済義務を負い続けることになる。
ところが、昨日見たように、古代と今日とでは、二つの異なった市が問題になっているのであるならば、古代の負債は現代のアテネ市とは何ら関係がない、と今日のアテネ市民たちは主張することができる。
さて、それでは、このアテナイ市を巡る同一性問題について、それを取り巻く他の諸都市はなんと言うであろうか。それを無視してこの問題に決着をつけることはできるだろうか。
答えは、否、である。
いくらアテネ市民たちが自分たちで自分たちの同一性について規定しようとしても、アテネ市の内部だけではそれは実行不可能なのである。つまり、アテネの市民たちが自分たちの政治体制に与えたい定義は、これを他の諸都市に向かって言明・宣言し、それら諸都市から承認を受けなければ、実質的に機能し得ないのである。
このことは、内政についての自己規定は、外的観点によって左右される、ということを意味している。