内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

一陣の涼風と鮮烈な清水の流れのごとき音楽 ― グリーグ 組曲『ホルベアの時代より』

2015-07-11 05:16:46 | 私の好きな曲

 昨日でやっと夏休み前の大学の仕事にけりを付け、今月24日から29日までの東京での集中講義とそのすぐ後の8月1日の研究会での発表の準備に集中できる態勢が整った。と言っても、15日にこちらを発ち、16日から東京に滞在するので、そうなると何かと落ち着かなくなるであろうから、出発前のこの四日間にできるだけ集中して準備を進めておきたい。
 それでもプールには毎日行くのである。何があっても毎日泳ぐのである。もうすでにどこかでヴァカンスを過ごしましたかと日本で聞かれそうなほどに日焼けしているが、これは毎日朝日を浴びながら泳いでいる賜で、日中は大学の仕事と自宅での研究に励んでいるのですよ。
 というわけで、今日からこのブログも「夏休みモード」に入ります。毎日記事投稿の原則は、これを順守するし、好評連載(?)「ヴァンサン・デコンブを読む」もまだ続けますが、日毎の記事はぐっと短くなります。
 今日は、「夏休みモード」初日を祝って(?)、連載は一日お休みし、毎年夏になると聴きたくなる音楽について、ちょっと思い出話をいたします。
 今からもう二十数年前のことだが、ある夏、松本市から車で一時間ほどのところにある(村の名前を失念してしまった。忘れたくないことを忘れ、忘れてしまえばいいことをいつまでも覚えている。これって、ほんと、つらいですね)山荘に一週間ほど滞在したことがある。東京のある音楽大学の学生さんとその卒業生からなる弦楽アンサンブルの合宿に、同じくその合宿に「見習い」として参加していた翌年入学希望の高校生の英語の教師という名目で、参加させてもらったのである。朝から夕方まで、昼食を挟んで、二十人ほどのアンサンブルのメンバーたちは、山荘地階の板敷きの大きな部屋で、指導者の先生と練習に明け暮れる毎日だったが、それを階上で聴きながら、その先生の「おまえは英語をちょっとさらってこい」との命令を受けて上がってくる高校生の英語の勉強を見ていた。それにしても英語の学習時間は、せいぜい二時間であるから、大いに暇を持て余した。昼寝をしようにも、階下ではいつも弦楽アンサンブルが鳴り響いているのであるから、昼寝どころではない。そこで、ふらふらと山荘の周りの森を散策したり、自転車で少し離れたところにある山葵の栽培園などを見学に行ったりした。空気も水も澄んで美味しく、その水で炊くご飯の味は格別であった。
 その合宿の最終日は、その成果のお披露目のために、松本市内の音楽ホールでアンサンブルのメンバー全員と先生によるコンサートが開かれた。もちろん私もそれを聴きに行ったわけであるが、そのとき演目の一つがグリーグの組曲『ホルベアの時代より』であった(他は綺麗さっぱり忘れてしまった)。
 若き演奏家とその卵たちによる、なんとも初々しく、瑞々しい演奏であった。コンサートマスターであるの先生による第五曲のヴァイオリンソロ演奏だけはやはり飛び抜けて光っていた。アンサンブルの若干の乱れやテンポが不安定になったところなど、瑕瑾はあったが、音楽する愉悦感に溢れた好演で、そのおかげでこの曲が好きになった。今でもこの曲を聴くと、その信州滞在中に見た鮮烈な清水の流れと、川面を吹き抜け、頬のほてりを冷やしてくれた涼風を思い出す。
 そのイメージにぴったりくるような演奏を求めて、いろいろなCDを聴いてみたのだが、これで決まりと言えるほどの演奏にはまだ出会っていない。指揮者を置かないオルフェウス室内管弦楽団の演奏をかつて聴いたことがあるが、とてもうまいのだけれど、なんか全然どこの風景も浮かんでこないという意味で、私にはつまらない演奏だった。手元にあるのは、ネヴィル・マリナー指揮セント・マーチン・イン・ザ・フィールドとオトマール・スウィトナー指揮シュターツカペレ・ベルリンの二枚だけ。これらが特に気に入っているというわけではなく、偶々この二枚を持っているというだけの話。その二枚の中では、ちょっと軽快さには欠ける憾みはあるが、ゆったりとしていて、各曲のそれぞれに異なった曲想を細部まで丁寧に表現している後者を好む。でもやはりこの演奏はなんといってもドイツ的重厚さが勝ちすぎていて、この曲が生まれた北欧の息吹からは離れていると思う。北欧の演奏家たちのものの中にきっともっといい演奏があることだろう。