内的自己対話-川の畔のささめごと

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固有名詞に内包された同一性 ― ヴァンサン・デコンブの対談を読む(17)

2015-07-14 00:00:00 | 読游摘録

 昨日見た「アイデンティティ」という言葉の新しい使用法は、多くの点で驚くべきものである。この新しい意味と一九五〇年代以前の辞書に見いだせた唯一の意味(つまり「古い」意味)との間には、一体どのような関係があるのであろうか。「アイデンティティ」という言葉の新しい使い方は、その「古い」意味に対して、正当化されうるのだろうか。
 「古い」意味は、すでに見たように、簡単に説明できる。例えば、私たちが固有名詞を使う度に、私たちは同一性概念を使っているのである。なぜなら、固有名詞は、その使用の都度、その名詞がそれを名指すために作られたところの同じ対象を指すからである。この意味でのアイデンティティは反駁不可能である(とデコンブ氏は言うが、私は、たとえ固有名詞であっても、事態はそれほど簡単ではないと思う。文脈によって、同定操作・個体化は必ずしも同様に機能しないからである。しかし、この問題は一旦脇に置こう)。言い換えれば、固有名詞の実際のその都度の使用の中で同定操作は実行されており、この意味で、固有名詞の使用には、必然的に同一性概念が含意されているのである。
 ところが、固有名詞にいわばすでに書き込まれいてる同一性のこの「古い」意味は、今日いわゆる「アイデンティティ」の危機や共同体への帰属意識の問題とは、見たところ、何の関係もなさそうである。