内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

明治初期のダイレクトメソッド ― 梅渓昇『お雇い外国人』(講談社学術文庫)より

2023-03-28 23:59:59 | 講義の余白から

 年によって取り上げたり取り上げなかったりだが、今日の記事のタイトルに示した本を授業で紹介することがある。今年は一回の授業丸々使ってその一部を読んだ。
 初版は1965年(日本経済新聞社刊)で、2007年に講談社学術文庫として復刊された。初版から復刊までの半世紀余りの間に積み重ねられたこのテーマに関する研究も日本語では多数あるし、英語圏でも、アメリカ人お雇い外国人第一号であったウイリアム・グリフィスが米国帰国後生涯かけて収集に努めたお雇い外国人関連資料のコレクションがあるから、それに基づいた研究が少なくないであろう。
 フランス人お雇い外国人もかなりの数にのぼり、著名なボアソナードについてはもちろんのこと、その前任者のブスケについてのフランス語圏での研究はもちろんあるが、お雇い外国人全般に関しては、管見の及ぶかぎり、寥々としている。近年このテーマを扱った博士論文があるという話も聞いたことがない。フェノロサについては本格的な研究一つがあるが、それは「お雇い外国人」という枠に限定されたものではない。
 確かに、日本研究の枠組みの中では傍流ということになるであろうが、明治政府に雇われたフランス人たちが日本の近代化にどのように貢献したのかという問題を総合的に取り上げる研究があってもよいと思う。あるいは、その中の一人についてのモノグラフィーも博士論文のテーマになりうると思う。学生たちが概して興味を持つテーマでもある。
 私自身が特に興味を持つのは、仕事柄、やはり教育の分野である。とりわけ、教育に用いられた言語に関心がある。お雇い外国人たちは、日本語で講義することはなく、英語かそれぞれの母国語で行った。明治初期、いくらまだ学生は少数だったとはいえ、それぞれの専門分野に関していきなり外国語で行われる講義には、それをする側も聴く側も多大な困難が伴ったと想像される。ボアソナードは仏語で講義し、初期の聴講者の証言によれば、やはりなかなかついていくのが難しかったようだ。
 しかし、日本語を介在させないがゆえに、取り上げられる事柄そのものの理解はかえって速かった場合もあるのではないかと思う。対応する概念がまだ形成されておらず、それをできたばかりの翻訳語に置き換えて日本語の中で問題を考えようとしても無理があっただろう。中江兆民が開設した仏学塾で漢学を必修とし、自身の著作も最晩年の『続一年有半』の一部を除いてすべて漢文脈で書いたのも、当時まだ建設途上にあった近代日本語ではヨーロッパの思想を伝えることができないと考えていたからだった。
 明治初期のお雇い外国人たちによる教育を受けた世代が教師になる時代になると、授業は当然のことながら日本語で行われたから、その教育を受けた世代は、語学力、特に聴解ではかえって第一世代よりもレベルが下がってしまったこともあったであろう。