内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

デタッチメントの一つの方法としての今の私への手紙

2023-03-18 13:31:16 | 講義の余白から

 日本語のみで行う三年生の授業で毎年この時期に、課題として日本語で手紙を書かせる。今年で五回目になる。誰宛にどのような内容にするかはまったく自由。実在する人物宛てでも想像上の人物宛でもよい。状況設定も自由。ただ、書体、インク、便箋(あるいはカード)、封筒などもよく考えて選択するように指示する。毎年なかなかに創意工夫が凝らされた「作品」があって読むのが楽しみである。
 今年も多彩な内容と体裁であった。今回は、女子学生たちの作品の方が圧倒的に優れていた。特に秀逸だったのは以下の作品である。
 幼少の頃からずっと一緒に暮らし最近十八歳で亡くなった飼い猫への切々たる思いを便箋四枚に綴った手紙。幼少期から自分とだけの親密な世界を作ってくれて、そこで自分の話を「聴いてくれた」三つの縫いぐるみへの感謝の手紙(A3サイズの厚紙に毛糸で刺繍をし、その中に小さな字でびっしりと綴られ、手製の布の封筒に入れてあった)。戦地と内地とに離れ離れになった若いカップルの愛の往復書簡(手紙はそれぞれシーリングスタンプで封印してあった)とそれが発見された経緯を記した別紙が木製の宝箱に入れてあったもの。五歳の私が二十歳になったときの自分宛てに送った手紙(すべて平仮名。一本取られた)。別の星の住人から地球の友へ宛てられた地球の現状を憂慮する手紙。女の子から好きな男のへの早すぎる稚拙な結婚申し込み(自分の日本語力の弱さを逆手にとった作戦勝ち)。ラブソングの歌詞のように同じ言葉がリフレインのように繰り返され、それが思いの丈を伝える効果を出している恋文(人は見かけによらぬ、といっては失礼か)。
 未来の自分への手紙というのは毎年必ず二三通あるのだが、今回、「昔の私へ」「今の私へ」「未来の私へ」と一連の三通の手紙をそれぞれデザインの違う封筒に入れた連作があった。作者は女子学生で、この学生は高校生の時に一年間九州の高校に留学していたこともあり、日本語が非常によくできる。それだけでなく、知性的にも優れている。それぞれは小さな便箋一枚の短い手紙なのだが、言葉選びのセンスのよさが光っている。それに、これらの手紙を黙って日本人に見せれば、日本人が書いたと思うほどに字が上手だ。
 彼女の手紙を読んでいて、現在の自分宛の手紙は、今の自分が置かれた状況からデタッチメントするのに一つの有効な方法だと思った。事態を冷静に観察する文章や内省的な文章は書簡形式でなくてももちろん可能だが、自分宛ての手紙はその読手としての自分に向けて書くことになるから、自ずと自分と向き合うことになる。これはただ思いを吐露するのとは違った書記行為だ。
 全部で三十五通の手紙を読んだ。それらすべてをスキャンし、PDF版にして、それに添削とコメントを付して返す。あと三日はかかりそうだ。