内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

倫理・正義・責任などの根本概念について大規模で深刻なパラダイムシフトを迫る気候変動の哲学

2023-03-12 17:06:36 | 哲学

 再来年度2024/25年から全学的に新しいカリキュラムに移行する。前回の移行は2018/19年度で、当時学科長としてそのカリキュラム作成に関わった。今回はほとんど関わっていない。現学科長と他の二人の同僚が主に作成にあたってくれている。
 現カリキュラムにある問題点をできるだけ解消し、よりよい教育プログラムになるように改善することが新カリキュラムの最大の目的であるが、授業時間数上限、教員数その他必ず考慮しなくてはならない条件が多々あり、作成には多くの時間と労力を必要とする。
 それに高等教育省からのお達しも組み込まなくてはならない。そのなかで今回ちょっと驚かされたのは、分野を問わずすべての学部・学科において、学士課程・修士課程を通じて、選択科目の一つとしてではなく必修科目として、気候変動問題を扱う科目を必ず一つ組み入れること、というお達しである。
 私個人としては、方針そのものには基本的に賛成である。が、日本学科のカリキュラムにどうやって組み込むかという教育現場の問題がある。翻訳を担当する同僚からは、翻訳するテキストの中に気候変動の問題を扱ったテキストを含めるという案が出され、私もそれが最も穏当な解決策だと思う。
 ただ、学科長からは、私が新カリキュラムで担当する学部三年生対象の「思想史」の授業で、自然概念というテーマの枠組みの中で気候変動問題を取り上げてはどうかという提案があった。私としては望むところで異存はない。
 このお達しと何か関係があるのかどうかわからないが、今年の一月に Vrin 社の叢書 « textes clés de philosophie » の一冊として Philosophie du changement climatique. Éthique, politique, nature が刊行された。この分野の代表的な九つの論文を集めた論集だが、すべて英語からの翻訳である。
 気候変動という問題が、環境学や生態学などの科学の枠を超え、経済的利害を巡る各国間の駆け引きという政治の枠も超えて、哲学の一分野として、特に倫理と正義の応用問題として、発展し始めるのは1980年代の終わりからで、この十数年飛躍的に研究活動が活発化している。それはちょうど気候変動問題の深刻化と呼応している。
 しかし、気候変動問題に対して具体的に解決策を提案するのがこの哲学の役割ではない。気候変動が人類そのもの存続を地球規模で脅かすところまで来ている現在、西洋哲学の伝統的な倫理や正義の枠組みがまったく通用しなくてなってきており、いわば大きなパラダイムシフトが今人類に求められている。人類がこれまで経験したことのないこの危機的な状況の中で、気候変動問題の途方もない複雑さをなしている諸要件・諸要因を明確に分析し、根本問題の所在を的確に提示し、分野の枠を超え、専門家のみならず、広く一般に問題を考えるための開かれた共同の議論の空間を構築すること、それがこの哲学の役割である。