内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「世界」と書いて「りふじん」とルビを振りたい夏時間初日 ―『瘋癲老人閑話録』(死後、遺稿として出版予定)

2023-03-26 15:09:56 | 雑感

 世界中、理不尽なことだらけである。世界そのものが理不尽であるとさえ言いたくなる。「世界」と書いて「りふじん」とルビを振りたい衝動を覚えるのは私一人ではあるまい(と思いたい)。
 そもそも理不尽とはどういうことか。
 『日本国語大辞典』によれば、「道理をつくさないこと。また、すじみちの通らないこと。道理に合わないこと。また、そのさま。むりむたい。」
 『新明解国語辞典』(第八版)はもっと先鋭な語釈を示している。「筋の通った論拠に基づくことなく、弱い立場にある相手に有無を言わさず自分の方の主張を一方的に通そうとする様子だ。」
 『新明解』のこの語釈に現時点において該当する大国を二つ挙げなさいと聞かれたら、あなたはどの二国を挙げますか。簡単すぎて問題にもならぬ、と鼻で笑うだろうか。しかし、笑って済ませられる問題ではないことは皆さん同意してくださるでしょう。この世界はかくも理不尽なのだ。その終末が近づいているのも宜なるかな。
 閑話休題。と、この便利至極な表現をつい使って、その不適切さに直ちに気づく。「閑話休題」とは、「本筋からはずれて語られていた話やむだ話をやめにすること。」(『日本国語大辞典』)だからである。そもそも本筋などなく、思いついた無駄話をただだらだらと書いているだけの拙文にこの表現は使えない。
 さて(くらいにしておきますか)、中央ヨーロッパ夏時間を採用しているEU諸国は今日夏時間に移行した。私自身、二十七回目の夏時間である。が、いい加減、止めてほしい、と切に願っている。オイルショック後、つまりもう半世紀も前に採用され、ここ二十年程は毎年廃止論が喧しく取り沙汰されるのが夏時間移行前後の恒例行事化している。コロナ禍直前の2019年には、欧州議会でいよいよ廃止が本決まりになったはずだが、その後のコロナ禍のてんやわんやでまた話がうやむやになってしまった。
 なんで時間の変更を強制されなくてはならないのか。私には、それが理不尽であり、不愉快なのだ。こちらが望んでもいない融資を国家権力によって「無利子ですよ」と押し付けられ、こちらの口座に勝手に一定額が振込まれ、その額が半年後にこれまた一方的にこちらの口座から引き落とされているような不愉快さと言えばわかってもらえるだろうか。
 これを毎年繰り返す。何の意味があるの? 冬時間移行に伴う一時間の「融資」など、最初からこっちは必要としていない。にもかかわらず、十月最後の日曜日だけ25時間にして、三月最後の日曜日は23時間にして帳尻を合わせる。これは理不尽である。