内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

論文指導の「余得」あるいは「果報」

2023-03-10 23:59:59 | 雑感

 修士論文指導の「余得」と言っては、指導される学生に対して失礼になってしまうかも知れないが、学生が選んだ研究テーマのおかげで日本の古典を読み直す機会が与えられるのは嬉しい。自分自身の楽しみの読書として好きなときに自由に読めばよいようなものだが、読みたい本は限りなくあり、必要に迫られないと、いくら古典であってもなかなか手にとる機会もない。
 今年度、修士一年の一人が『今昔物語集』の本朝仏法部と世俗部とに見られる因果思想をテーマとして選んでくれたおかげで、久しぶりに『今昔物語集』を読み直す機会が与えられた。一千余話を集成してしかも未完に終わり、作者(編者)、成立過程、編集目的等に関して謎に満ちた日本古典中最大のこの説話集が九百年余りも前の平安末期に生まれたこと自体、日本文学史上の一つの奇跡ではないだろうか。
 いわゆる仏教説話の枠組みを遥かに超え、天竺と震旦にまで開かれた視野は当時としては世界全体を覆っているとも言え、登場人物は、天皇、貴族、僧侶、武士、庶民、浮浪者、盗賊と、社会のあらゆる階層に及び、神仏はもちろんのこと、動植物や霊鬼や妖怪まで登場する。「人間喜劇」どころか、生きとし生ける万物への讃歌とさえ言ってもよいのではないだろうか。
 因果思想を仏教的教説としてではなく生きられた思想として『今昔物語集』の作品世界の中に捉えることが学生の修論の目的だ。まだまだ構想も方法もぼやけており、論文の体をなすには今少し時間がかかるだろう。焦らず怠らず進めていこう。彼の研究に伴走しながら、作品世界に遊べるのは「余得」どころか「果報」かも知れない。