大きく見開かれた灰青色の眼には涙が少し浮かんでいた。
「高校、準備学級、学部と、ただひたすら勉強してきて、修士に入ったら、突然、自分がこれから何をしたいのかわからなくなってしまって……」
パリの名門校の準備学級に一年在籍した後ストラスブール大学に来た彼女は日本学科と哲学部に同時登録した(フランスでは珍しいことではない)。哲学部での成績は知らないが、日本学科では三年間ずっと他の追随を許さない飛び抜けた成績で卒業した。とにかくよく勉強する学生で、授業中は必死でノートを取り、試験の小論文で彼女が示す思考能力は他の学生たちの比ではなかった。
昨年、学部三年次に書く卒業小論文は私が指導教官で、テーマは大森荘蔵の「立ち現われ論」だった。すでにそのときから修士では同じテーマでさらに研究を発展させるつもりだった。今年度、日本学科修士一年に登録、研究テーマは予定通り継続することを年度初めの面談で確認した。
しかし、哲学部での修士への登録はせず、芸術学部のダンス科修士に登録したという。「これまで机に向かって勉強ばかりしてきたから、違うことをしたいと思って。ダンスは子供の頃からレッスンを受けてきたし、体を動かすことはもともと好きだったから」というのが理由。そのときにはむしろ明るい顔していたのだが、授業が始まってしばらくすると、明らかに学部のときと様子が違う。
ノートも取らず、心ここにあらずという感じでぼーっとしていることが目立つようになってきた。日本人学生との合同ゼミの準備もとても熱心に取り組んでいたとは言い難く、積極的に交流しようとはせず、どこか投げやりだった。
修士論文の途中経過報告は締め切りをちゃんと守って提出してきた。その最新の報告書を二月はじめに提出してきて、それについて何度かメールでやりとりした後、今日は面談で直接話すことになっていた。その報告書自体、一応体裁は整ってはいたが、彼女らしからぬフランス語の間違いや人名の綴りの間違いが目立ち、どうしたのだろうかと首を傾げざるを得なかった。
今日の面談で、まず「報告書に何か付け加えることはありますか」と聞くと、「いえ、何も……」と言い淀んだ後、この記事の冒頭に記したように話し始めたのだ。あきらかに燃え尽き症候群の兆候である。
面談の後、同僚とオンラインで話す機会があり、彼女のことを話題にすると、その同僚の翻訳の演習でも同じような状態で、学部時代の彼女からは考えられないような杜撰な訳を提出してきたという。
面談では、修士論文に関しては、彼女が方向を見失わずに少しずつでも前に進めるように具体的にこれからの作成計画についてアドヴァイスした。自分に対して過大な要求はせず、無理のない範囲で、しかしできるだけはやく修士号を取得することを差し当たりの目標にするためだ。
幸い、ダンス科のほうは楽しいらしく、修士号を取得すれば、ダンスの教師あるいはインストラクターの国家資格が得られるそうだ。
しかし、今はまだ先がよく見えない暗いトンネルの中にいるような気分かもしれない。来年度末には無事修士論文が提出できるように注意深く指導していきたい。