3— 「習慣の世界」― 行為的直観の立場から捉え直された能動的習慣(1)
本節で考察の対象となるテキストは、一九三五年に執筆、発表された「行為的直観の立場」である。その当時の西田の哲学的立場がきわめて明確に示されているこのテキストを読むとき、場所の論理の確立後に、「行為的直観」という概念の創出とともに、西田哲学に今一度大きな転回が起こっていることがよくわかる。この論文においてはっきりと見て取ることができるビランの能動的習慣に対する西田の考察の深化は、最後期の西田哲学に起こったこの転回によって開かれた新しい理論的展望の方向性を鮮やかに示している。
西田は、この論文の中で取り扱われる主題に応じて、それぞれ異なった視角からそれらについての議論が展開されていることを示すために、以下のような異なった包括的概念を提示している。すなわち、「弁証法的世界」「行為的直観の世界」「歴史的実在の世界」「歴史的生命の世界」「永遠の今の世界」である。世界における内在性と外在性の動的な関係が強調されるとき、西田は主として「弁証法的」という語を用いる。「働く」ということが認識と創造との起源にあるということを主張するときには、特に「行為的直観」という術語が用いられる。私たちがそこにおいて生き、それを生きている具体的な現実そのものを指すときには、それは「歴史的現実」と呼ばれる。人間の世界、生物の世界、自然の世界、自然の中で完全に固定された習慣として考えられる物理の世界、これらすべてを含んだ〈生命〉の創造的全体性が問題になるときには、この全体性は、「歴史的生命の世界」と呼ばれる。私たちの現実の世界の中に永遠のイデアが映され表現されるという事実が問題になるとき、それは「永遠の今の世界」の出来事として語られる。これらすべての概念は、同じ〈場所〉に異なった光を当てようとしているのである。
「歴史的自然」は、歴史的生命の世界という西田の世界像を理解する鍵となる概念である。それによれば、自然は歴史と対立しない。自然は歴史的世界の「自己限定面」である。自然は、歴史的世界の中で限定されている私たちの行為的身体が物理的生理的身体として生まれる次元である。自然の世界は、世界の一つの限定面として、諸々の形が行為的直観の事実によって自己限定する歴史的世界の中に含まれている。行為的直観の立場からすると、歴史的実在の世界は、「創造的自然」の世界にほかならず、そこにおいて行為的直観は、世界に諸々の形を与えると同時に、世界は、その行為的直観の働き方を歴史的に限定する。この歴史的に限定された仕方で働く行為的直観が世界の創造性を現実的に構成している。この創造性に対して否定的な方向に、種的に限定された形によって特徴づけられる生物の世界が位置づけられ、その方向の極限に普遍的な法則によって支配された物理的世界が位置づけられる。反対に、この創造性の肯定的な方向に向かわせるのが、弁証法的に自己を限定する世界における「構想力」である。この肯定的な方向に現れるのが可塑的な自然の世界としての能動的習慣の世界である。この習慣の世界を現実に構成しているのは、単なる意識でもなく生物的自然でもない。自己限定的な弁証法的世界においては、習慣は、「表現作用」として私たちの生物的身体において形成される。
西田がビランによる能動的習慣と受動的習慣との区別を再び導入し、能動的習慣の創造的側面を強調するのはまさにここにおいてである。