昨日のお昼前に高山を出て名古屋へ向かった。
家を出る頃は小雪が舞い、道路脇の気温の表示はマイナス5度で、路面凍結を示していた。
いつものように「せせらぎ街道」経由で、郡上八幡ICから東海北陸道に入った。
激しく降っていた雪も、美濃市辺りからは止んで、時折陽射しも出ていた。
家に着いて二人でお茶を飲んでいたら、家が突然揺れ始め、緩やかな横揺れは数分間続いたように思う。
先日高山で起きた震度4の地震は、突然がたがたと上下に振動して家鳴りがしたが、今回は同じ震度でも体感的にはずいぶん違っていた。
テレビから地震速報が流れ、震源は三陸沖で津波警報や、余震に対する警戒とともに、一部被害の状況などを伝えていた。
最初はテレビ局内や役所内部の様子を伝える程度であったが、時間とともに被害の深刻さが広がっていく状況は、阪神淡路大震災を思い出す。
今朝になって、新しい被害の状況を刻々と伝えていたが、いずれも目を覆う惨状で、被災者への見舞いの言葉すら見当たらない。
またしても、自然の脅威を前に、人間の非力さを思い知らされた。 この激震災害の痛みは、被災者だけでなく国民全員が等しく受け止めなければならないと思う。