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帰ってきた県北の天才少年(原口元気)

2024-11-05 20:22:06 | 浦和レッズ
今季、10年ぶりに古巣浦和レッズに戻ってきた、写真の原口元気選手の記憶です。原口は江南南サッカー少年団に在籍した小学生の頃から、「県北に天才少年がいる」と地元で噂になるほどの才能でした。浦和の下部組織に入ったのはジュニアユース時代ですが、当時指導した池田伸康氏(現トップチームコーチ)によれば、当時の原口はチームのために犠牲になるような気持ちが足りないところがあったようです。

そんな天才少年が組織的なプレーを覚えて、ユースに上がった2年目は浦和ユース史上最強の年でした。1学年上の高橋峻希、山田直輝らとともに、当時の高円宮杯全日本ユースで名古屋U-18に9-0で完勝してタイトルをものにしました。3年生のときはトップチームのフィンケ監督から必要とされ、ユースの試合には出られなくなってもいいからとプロ契約を結び、背番号24でトップチームでレギュラーになります。

この当時の原口は左サイドのウイングでした。当時、トップ下だったポンテからは怒られてばかりだったと当時を振り返っていましたが、それでもポンテのサッカーセンスに付いて行ける選手でした。C大阪戦でドリブルで切れ込んで得たゴールが印象的でした。この活躍で海外からも注目されますが、あえて3年契約を結んで、移籍するときは浦和に移籍金が入るようにしていました。

海外挑戦はドイツ1部のヘルタ・ベルリンでした。このときの移籍金8000万円で、レッズランドにフットサルコートができて「原口コート」と今でも呼ばれています。その後は日本代表で、最終予選で4試合連続ゴールを決め、W杯ロシア大会でもゴールを決めるなど活躍しました。その後、ウニオン・ベルリンに移籍したあたりから、ポジションがボランチに移ったらしいとは聞いていました。

今回、浦和に戻ってきた原口は、年齢的にも33歳ということで、昔のようなウイングではなくなっていました。それでも、スピードが落ちた分を技術でカバーすることはできており、トップ下もしくはボランチに入って、パスで味方を生かす選手になっていました。昔の永井雄一郎がドイツに行って上手くなって帰ってきた記憶があり、原口もドイツでいろんな経験をして、視野の広さが武器になっていました。

昔の原口のイメージがあると「ドリブルが見たい」と思いがちですが、今の原口は別の選手になったようです。それでも、この元日本代表が、浦和を選んで戻ってきてくれたのは嬉しいです。今はグスタフソンと併用の形ですが、トップ下など、パスが出せるポジションでの活躍を期待したいです。

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