保坂和志著「小説の自由」。
1 「第三の領域」を読み終え、
2 「私の濃度」を昨夜読み終えた。
今夜からセクション3の「視線の運動」を読み始める。
(あ、いかん、柳田国男を録画しなくちゃ)
昨夜「私の濃度」の後半を読んでいると、
映画監督のタルコフスキーとか、装飾過多の三島とか、
ああ、同じようなこと考えているこいつ、と思いながら読んでいた。
ただ、小津安二郎の映画はまだ一本か二本しか見ていない。
この章では小津に多くのページをさいて「私の濃度」にからませている。
高橋幸宏のアルバムで「元気ならうれしいね」とかが最初に入っているのがある。
あれの表紙とか、アルバムの雰囲気とか、まるっきり小津であるに違いない、
とずっと思っている。幸宏も「小津好き」って言ってたし。
で、保坂も小津が好きと。
大好きな映画で何度も見る「ベルリン・天使の詩」の監督、ベンダースは、
この映画を小津に捧げている。
当たり前のことですけど、
他のジャンルの方法論が、小説の方法にいかに置き換え可能かが、
よくわかる「私の濃度」でした。
数日前も書いたけど、
この本の最大のおもしろさは、
保坂が考えながら書いていること。
こっちも保坂と一緒に考えながら読んでいる。
こういう本は初めてだ。めずらしい。
一緒に考える。上の方から教示します、ではなく。
で、今書いていてハッと気が付いたのですが、
一緒に考える本、っていう方法自体が、保坂の方法論にもなっている。
1 「第三の領域」を読み終え、
2 「私の濃度」を昨夜読み終えた。
今夜からセクション3の「視線の運動」を読み始める。
(あ、いかん、柳田国男を録画しなくちゃ)
昨夜「私の濃度」の後半を読んでいると、
映画監督のタルコフスキーとか、装飾過多の三島とか、
ああ、同じようなこと考えているこいつ、と思いながら読んでいた。
ただ、小津安二郎の映画はまだ一本か二本しか見ていない。
この章では小津に多くのページをさいて「私の濃度」にからませている。
高橋幸宏のアルバムで「元気ならうれしいね」とかが最初に入っているのがある。
あれの表紙とか、アルバムの雰囲気とか、まるっきり小津であるに違いない、
とずっと思っている。幸宏も「小津好き」って言ってたし。
で、保坂も小津が好きと。
大好きな映画で何度も見る「ベルリン・天使の詩」の監督、ベンダースは、
この映画を小津に捧げている。
当たり前のことですけど、
他のジャンルの方法論が、小説の方法にいかに置き換え可能かが、
よくわかる「私の濃度」でした。
数日前も書いたけど、
この本の最大のおもしろさは、
保坂が考えながら書いていること。
こっちも保坂と一緒に考えながら読んでいる。
こういう本は初めてだ。めずらしい。
一緒に考える。上の方から教示します、ではなく。
で、今書いていてハッと気が付いたのですが、
一緒に考える本、っていう方法自体が、保坂の方法論にもなっている。