写真は松本峠、大きくは熊野古道。
午前中、また42号線を新宮方面に用事でペダルを漕いでいたら、
どうしても松本峠にもう一度行きたくなった。
今日は花火だし、人も多いからやめた方が無難、
というのが地元の方の意見。
それでも、行った松本峠は、
行っただけのことがあった。
峠入り口まで自転車で行き、停め、歩いた。
ペットボトル二本に水を入れて。
雨がここでは降ったようで、
苔石がぬれている。すべるので、
気をつけて進む。
峠に立ち、花火のシートと人が埋まり始めた七里御浜、
また新宮までも見える海岸線を一望。
本当は以前のように、
ここで鬼ヶ城経由で42号線に戻りたい。
だがしかし、
今日はすでに鬼ヶ城に仕鰍ッ花火がセットされているので、
間違いなく海岸伝いの絶壁道は通行止め。
引き返すか、新しい道を下るか。
案内板を見ていると、
ちょうど、4人ぐらいの人たちも、
同じ峠にいる。
彼らは僕と反対側から登ってきたのだ。
「引き返そうか」
と彼らは言っていて、
山道であるし、少しまよったけれど、
行け、と、僕は尾鷲方面に出る山道を下る。
写真はその下り道を振り返って撮ったもの。
霊感というか、
歩きながら、強く思ってしたことは、
間違いなく俺はここで生まれた、
とつぶやく、叫ぶ、発していたこと。
ここ、熊野で、僕は前の世かその前の世か、
以前に、ここにいたことへの、確信。
思い込んでみたい心境であるのを差引いても
それ以上の感受があった。確信的。
42号に出て、
海水浴場に沿って、
歩道用のトンネルへ。
今日は花火客でいっぱいのトンネルで、
普段はたぶん、人はあまり通らないところと推測する。
500メートルのトンネルは、
すぐに出口の明るさが見え、
迷わず、松本峠の入り口へ行けた。
自転車を見つけ、
民家のおばあさんと挨拶。
ここで、たくさんの熊野のことが聞けた。
まず、追善供養のこと。
僕が一昨日見た、
民家の部屋にあった灯篭、ちょうちんは、
初盆を迎えた家であって、
昨日、海岸で供養したそれであったこと。
灯篭、ちょうちんを合わせて
5つまでの制限があること。
というのは、
お経が終わり、
ナイアガラの滝の花火があって、
その火で、灯篭、ちょうちんを燃やすので、
たぶん、有害物質を出さぬようという配慮からだと思う。
おばあさんの話の中で、
峠を引きかえしていたら意味がない、
とのこと。
峠にある地蔵様への信仰のためなのか、
峠は戻ってはいけない、というほどでもないだろうが、
進んだ方が良い、ということ。
引き返さなくてよかった。
おばあさんとずいぶん話していて、
花火を見たら、もっとたくさん(力を)持って帰れる、
とのこと。
挨拶をして、ペダルの先は、
5月に来たとき気になっていた、
木本(きのもと)の旧道。
42号ができる前は、
ここが道であった。
だからたくさんの人が通った気配を取ろうと、
体の皮膚の穴を全開にする気分で、
しっかり歩む。
というか、記憶を探す。
この旧道も、
たぶん、パワースャbトだと僕は思う。
とにかく、汗だくになって、
松本峠に行ったのが良かった。
今回の熊野は予想を超えて、
かなり力が体に充満していると思う。
今回の熊野は、
予感はあったけれど、
これほど、交感できるとは思わなかった。
「ここで俺は生まれた」
という確信は、本当だ。僕にとっての、ですけど。
だから、いずれ、
僕はここに住むか、帰るか、
ということになるのが自然かもしれない。
木本の道を歩いていても、
探しているのは、記憶だった、ずっと昔の、今生でない時の。
大花火大会は、
今回、念願の、
体感震度7の、
鬼ヶ城に近い場所で、
立って見た。
山が鳴っていた。
そして、大きな花火を見るというより、
体に浴びる、そんな感覚。
最後の鬼ヶ城での自爆花火は、
特にすごかった。
熊野の花火の、
迫力を、思った。
これだ、と思った。
月は山から昇り、
岩を、海面を照らした。
花火の向こうに、
月が見えた。
熊野灘の遠方に、
客船が見えた。
3隻。以前は1隻。
古道の力、
おばあさんの表情、
花火の力、
いろいろもらった。
新日曜美術館で、
オノヨーコを見た。
北海道の自然の中の、
今は誰もすんでいない民家。
「この部屋が青くなるまでいる」、
「この線は大きな円の一部である」、
そんな言葉をオノヨーコが、
民家の壁にいくつか書いていく、とても小さな字で。
名著「グレープフルーツジュース」の中の、
言葉を思い出す。
オノヨーコは気が沈んだときに、
空をみて、よく自分を奮い立たせた、という。
現代美術バリバリのころ、
作品を作っているとき、
いつも空を意識していたという。
空、
そして、
熊野である。