左手に23区唯一の自然島、妙見島を見やり、右手は旧江戸川。その向こうには漆黒の闇に包まれている堀江ドック。
まさに、「青べか物語」の世界に戻ってきた気がした。
懐かしい。本当に懐かしい。そして、この風景は今も全く変わっていないことに興奮を覚える。
「出身地はどこですか?」と聞かれると返答に困る。幼少から17歳まで過ごした八千代市が最も長く住んだ場所であり、一応ここが出身となるのならば、足かけ8年過ごした浦安が2番目の故郷ということになるかもしれない。浦安橋をわたり終わり、当代島に。
路地裏の汚いおでん屋もそのままだったし、「マグロカレー」でお世話になったカレーハウス「ゴリラ」もまだ健在だった。スクランブル交差点に立ち、この懐かしい匂いをかぐ。やっぱり浦安はこの旧市街にこそ、醍醐味があると改めて思うのだ。
「住みたい街」の上位にいつもランキングされる「浦安」だが、それは恐らくディズニーリゾートに象徴される新市街のイメージだ。
だが、浦安とは当代島、猫実、或いは「浦安鉄筋家族」の舞台となった北栄までが、漁師町浦安である。「青べか物語」で奔放な性を描かれた陸の孤島浦安の独特の雰囲気はここにある。特に当代島の猥雑さはあまり本にも書かれておらず、特筆に値するだろう。
浦安駅に辿り着いた。ようやくここまで来たと実感した。足かけ7年、立ち飲みラリーは当初の目標だった最寄り駅に到達したのである。その間、実際に大地震が東日本を襲った。もし浦安に住んでいたなら、夜通しボクは歩いて帰宅したことだろう。その浦安も液状化の被災地である。
駅の前に立ち飲み屋があるという。なるほど、ロータリー脇の小道に店があった。2軒隣の「とんかつ屋」が懐かしい。この店の2階で彼女と喧嘩をした。もう20年くらい前のことである。
さて、くだんの立ち飲み屋は「ばんちょう」である。番長なのか、番町なのか、それとも店主が番丁さんというのか、分からない。早速入ってみると、黒を基調とした店内の雰囲気に何か浦安に似つかわしくない違和感を覚えた。お店は10坪にも満たない小さなものだった。カウンターに陣取り、「生ビール」を頼んだ。
店のざわめき、厨房の調理の音、テレビの音声、客の笑い声が白々しくなんとなく落ち着かない。メニューを繰る。串焼きもあれば串揚げもある。今どきの店のようである。
つまみに「煮込み」(300円)を頼んだ。やたらと出てくるのが遅く、それだけでも興ざめしたが、味は塩味で洗練された感じではあった。だが、あえて言うとすれば、店舗も雰囲気もメニューも味もなんだか浦安にはいずれも似つかわしくない。これがまだ新浦安ならばまだ話しは違うのだが。
チューハイを飲んで早々に引き上げた。
6年前の浦安には立ち飲み屋はなかった。この店がいつオープンしたのかは知らない。けれども浦安の街にはこんな今どきな店は似合わない。そう思って、この間店の前を通ってみたら、シャッターが閉まっていた。調べてみると西船橋に移転したのだという。立ち飲みラリーの終着点から東西線の終着点に。
そしてラリーはまだ続く。
まさに、「青べか物語」の世界に戻ってきた気がした。
懐かしい。本当に懐かしい。そして、この風景は今も全く変わっていないことに興奮を覚える。
「出身地はどこですか?」と聞かれると返答に困る。幼少から17歳まで過ごした八千代市が最も長く住んだ場所であり、一応ここが出身となるのならば、足かけ8年過ごした浦安が2番目の故郷ということになるかもしれない。浦安橋をわたり終わり、当代島に。
路地裏の汚いおでん屋もそのままだったし、「マグロカレー」でお世話になったカレーハウス「ゴリラ」もまだ健在だった。スクランブル交差点に立ち、この懐かしい匂いをかぐ。やっぱり浦安はこの旧市街にこそ、醍醐味があると改めて思うのだ。
「住みたい街」の上位にいつもランキングされる「浦安」だが、それは恐らくディズニーリゾートに象徴される新市街のイメージだ。
だが、浦安とは当代島、猫実、或いは「浦安鉄筋家族」の舞台となった北栄までが、漁師町浦安である。「青べか物語」で奔放な性を描かれた陸の孤島浦安の独特の雰囲気はここにある。特に当代島の猥雑さはあまり本にも書かれておらず、特筆に値するだろう。
浦安駅に辿り着いた。ようやくここまで来たと実感した。足かけ7年、立ち飲みラリーは当初の目標だった最寄り駅に到達したのである。その間、実際に大地震が東日本を襲った。もし浦安に住んでいたなら、夜通しボクは歩いて帰宅したことだろう。その浦安も液状化の被災地である。
駅の前に立ち飲み屋があるという。なるほど、ロータリー脇の小道に店があった。2軒隣の「とんかつ屋」が懐かしい。この店の2階で彼女と喧嘩をした。もう20年くらい前のことである。
さて、くだんの立ち飲み屋は「ばんちょう」である。番長なのか、番町なのか、それとも店主が番丁さんというのか、分からない。早速入ってみると、黒を基調とした店内の雰囲気に何か浦安に似つかわしくない違和感を覚えた。お店は10坪にも満たない小さなものだった。カウンターに陣取り、「生ビール」を頼んだ。
店のざわめき、厨房の調理の音、テレビの音声、客の笑い声が白々しくなんとなく落ち着かない。メニューを繰る。串焼きもあれば串揚げもある。今どきの店のようである。
つまみに「煮込み」(300円)を頼んだ。やたらと出てくるのが遅く、それだけでも興ざめしたが、味は塩味で洗練された感じではあった。だが、あえて言うとすれば、店舗も雰囲気もメニューも味もなんだか浦安にはいずれも似つかわしくない。これがまだ新浦安ならばまだ話しは違うのだが。
チューハイを飲んで早々に引き上げた。
6年前の浦安には立ち飲み屋はなかった。この店がいつオープンしたのかは知らない。けれども浦安の街にはこんな今どきな店は似合わない。そう思って、この間店の前を通ってみたら、シャッターが閉まっていた。調べてみると西船橋に移転したのだという。立ち飲みラリーの終着点から東西線の終着点に。
そしてラリーはまだ続く。
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