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西川口に降りた。
「焼きとりジロー」以来である。金の斧と木製の斧を持つ物が一瞬のうちに入れ替わる街。灰とダイヤモンドの物語がこの街のどこかで今夜も紡がれる。栄華を極めた者も明日は容赦なく立ち飲み屋のカウンターに立ち、安価な焼酎に安らぎを覚える。一方、持たざる者は、川口オートで声を涸らし、その日の明暗で今夜の行き先は変わる。立ち飲み屋のカウンターか、それとも高級クラブか。
酸いも甘いも、ただ春の夜の夢の如しなのは、クラブのママも一緒だろう。最近、食えなくなったママが、立ち飲み屋に流れ着くケースが増えている。新橋でも、上野でも。そうこの西川口でも。
西川口駅東口を散策して、偶然見つけた「立ち飲み やまだ」のママもそんな感じだった。
それは不思議な店だった。ドアを開けると地下に行く階段があり、そこを降りていくと右手に折れる。そこには8畳ほどの部屋があり、そこが立ち飲み屋になっていた。実際にはテーブルがあり、座っている人もいるのだが、店の左手は立ち飲みコーナーになっていた。ここは元々なんの部屋だったのだろう。厨房があるのだから、元々飲食店だったのだろう。それにしても風変わりな造りである。
壁によしずがかけられ、夏らしい装飾がまるで小学校の教室のように飾られた空間にように見える。厚いファンデーションのママに「生ビール」と告げた。厨房のカウンターの向こうにはビールのサーバーがあり、「スーパードライ」のシールが貼られているのをみると、ビールはアサヒなのだろう。ママがビールを注ぎ、そのビールをチャイナドレスのような派手な赤が眩しい服装の従業員がわたしに運んできた。
そう、スナック風なのである。いや、スナックなのである。
その厨房のカウンターにはカラオケのセットも置いてある。ここは立ち飲みスナックなのだ。
「煮込み」(300円)をいただいた。
おいしい。優しい味がする。オーソドックスだけど、田舎の味がする。媚びてない。酔客に媚びずに自分の信念にしたがって作った煮こみの味。大鍋ではないけれど、十分なおいしさだ。
後ろを振り向くと、老人が一人で椅子に腰掛け、ウィスキーをやっている。目つきが悪くて話しかけづらいのだ。もうひとつのテーブルにも複数の客がいる。恐らく、恐らくだが、ママはきっとどこかでスナックのママをしていたのだろう。だが、景気の停滞で、閉店を余儀なくされた。しかしながら、店を持つ魔力を知った者はそれでも諦めなかった。彼女が選んだのは立ち飲みスナック。そしてまた店を持った、というシナリオは考えすぎだろうか。
わたしは、ホッピーを頼んだ。
スナックでホッピー。
この日は誰も歌わなかった。
立ち飲み屋でカラオケする人を見たかったのだが。
お店に哀愁が漂うのは、ママの刻んだ苦労の数からだろうか。立ち飲みスナックという新たな境地。意図したものではないにせよ、西川口発(十三にはそういう店があると聞くが)の新たなジャンルを見たような気がする。
持つものと者と持たざる者が激しく入れ替わる街。天使と悪魔が裏腹に同居する街。西川口。ここにはそんな危うさと妖しさがあるのだ。
「焼きとりジロー」以来である。金の斧と木製の斧を持つ物が一瞬のうちに入れ替わる街。灰とダイヤモンドの物語がこの街のどこかで今夜も紡がれる。栄華を極めた者も明日は容赦なく立ち飲み屋のカウンターに立ち、安価な焼酎に安らぎを覚える。一方、持たざる者は、川口オートで声を涸らし、その日の明暗で今夜の行き先は変わる。立ち飲み屋のカウンターか、それとも高級クラブか。
酸いも甘いも、ただ春の夜の夢の如しなのは、クラブのママも一緒だろう。最近、食えなくなったママが、立ち飲み屋に流れ着くケースが増えている。新橋でも、上野でも。そうこの西川口でも。
西川口駅東口を散策して、偶然見つけた「立ち飲み やまだ」のママもそんな感じだった。
それは不思議な店だった。ドアを開けると地下に行く階段があり、そこを降りていくと右手に折れる。そこには8畳ほどの部屋があり、そこが立ち飲み屋になっていた。実際にはテーブルがあり、座っている人もいるのだが、店の左手は立ち飲みコーナーになっていた。ここは元々なんの部屋だったのだろう。厨房があるのだから、元々飲食店だったのだろう。それにしても風変わりな造りである。
壁によしずがかけられ、夏らしい装飾がまるで小学校の教室のように飾られた空間にように見える。厚いファンデーションのママに「生ビール」と告げた。厨房のカウンターの向こうにはビールのサーバーがあり、「スーパードライ」のシールが貼られているのをみると、ビールはアサヒなのだろう。ママがビールを注ぎ、そのビールをチャイナドレスのような派手な赤が眩しい服装の従業員がわたしに運んできた。
そう、スナック風なのである。いや、スナックなのである。
その厨房のカウンターにはカラオケのセットも置いてある。ここは立ち飲みスナックなのだ。
「煮込み」(300円)をいただいた。
おいしい。優しい味がする。オーソドックスだけど、田舎の味がする。媚びてない。酔客に媚びずに自分の信念にしたがって作った煮こみの味。大鍋ではないけれど、十分なおいしさだ。
後ろを振り向くと、老人が一人で椅子に腰掛け、ウィスキーをやっている。目つきが悪くて話しかけづらいのだ。もうひとつのテーブルにも複数の客がいる。恐らく、恐らくだが、ママはきっとどこかでスナックのママをしていたのだろう。だが、景気の停滞で、閉店を余儀なくされた。しかしながら、店を持つ魔力を知った者はそれでも諦めなかった。彼女が選んだのは立ち飲みスナック。そしてまた店を持った、というシナリオは考えすぎだろうか。
わたしは、ホッピーを頼んだ。
スナックでホッピー。
この日は誰も歌わなかった。
立ち飲み屋でカラオケする人を見たかったのだが。
お店に哀愁が漂うのは、ママの刻んだ苦労の数からだろうか。立ち飲みスナックという新たな境地。意図したものではないにせよ、西川口発(十三にはそういう店があると聞くが)の新たなジャンルを見たような気がする。
持つものと者と持たざる者が激しく入れ替わる街。天使と悪魔が裏腹に同居する街。西川口。ここにはそんな危うさと妖しさがあるのだ。
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