毎年、千住大橋の駅に降りると、いつも足早に過ぎ去る人びとと居合わせる。
名前も知らない人の波に揉まれながら、ボクは駅の改札をくぐった。
毎日は誰にとっても、特別である。いや、特別のはずである。
誰かが生まれ、誰かが結ばれ、誰かが亡くなっていく。
毎日はいつも何かに包まれているはずだ。
改札を出て、高架下をゆく。
立ち飲み「はっちゃん」は、もう店を開けており、幾人のろくでなしらが酒をあおっている。
信号を渡ると、人影は急に途絶えた。
今日は特別な日だったはずじゃなかったか。
死後23年。
ボクは今年も来てしまった。
尾崎ハウスまで来て、手を合わせることに何の意味があるのだろうと、ボクはいつも考えてしまう。
だから帰り道、酒場を探して歩き回る際にボクは少し安心する。
あぁ、酒を飲みに来たんだと。
千住大橋の駅裏に点在する酒場を探し、ボクは一軒の店の前で立ち尽くした。
「おざき」?
大衆酒場を標榜する同店の赤提灯の文字を一瞬二度見した。
よく見ると店の名前は「おざわ」だった。
大衆酒場然とした小さな店。
ありふれた店構えだったが、ボクは店に入ってみることにした。
カウンターだけの店は大将と奥さんだけが2人で営んでおられる様子。既に客は何人かいて、思い思いに酒を飲んでいる。
ボクは客と客の間に空いた一席を見つけて座った。
店のメニューは意外に安価だった。
ビールは生と瓶ともに500円だったが、酒肴は180円から350円程度だった。
もつ焼きがメインメニューだったが、いずれも2本で200円と割安だった。
ボクは生ビールと「かしら」と「とりもも」、そして「白菜の漬物」をオーダーした。
もつ焼きは火加減、焼き方、素材、いずれも悪くなかった。ベテランの味である。
普通のことを普通にやる、という地道な技である。
だが、大衆居酒屋において2本で200円は良心的だ。さすがは京成線沿線の店。
生ビールをやっつけて、日本酒を常温で。
今夜は弔いの酒だ。運ばれてきたコップ酒をグイとあおると、隣の席から声がかかった。
「若いの、いい飲みっぷりだ」。
「いえ、若くもありません」。
声の方向を見ると、その声の主はもういい歳をしたおじいちゃんだった。
べらんめえ調の威勢のいいおじいちゃんは、いかにも京成線にいそうなご仁で、テレビのニュースに流れる事件の当事者らに強烈な言葉を投げかけた。
「兄ちゃん、どっから来たんだ」。
彼の歳からすると、ボクはまだ兄ちゃんなんだろう。
「東十条です」
と答えると、
「ちょっと遠いね」という。
「東十条、知ってるんですか?」
と聞くと、
「たまに仕事で行くよ」と返してきた。
おじいちゃん、まだ仕事してるのか。
「まだ、現役なんですか」と尋ねると、「あたぼうよ」と返してきた。
「明日の現場は宇都宮だ」。
更に話を聞くと、おじいちゃんはクレーン車を扱う現場監督だという。
「そういや、明日はな。4時に家を出なきゃいけない。早く帰らねば」。
そう言って、彼はやや前屈みに酒を一気にあおった。
そのとき、おじいちゃんの背中が少し見えた。そこには立派な和彫りの龍が見えた。
その後から、わたしはおじいちゃんを「親方」と呼んで、話を続けた。
親方はなかなか帰らなかった。
「早く帰って、『寅さん』見ないと」。
親方は何度もそう言った。
「親方、早く帰って休んでください」。
ボクも何度も言った。
気がつけば何本かの徳利が横になった。
親方は一人帰って行った。
いい酒だったと思う。
親方との楽しい酒。
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