
都営新宿線の新宿3丁目の改札をくぐったところで、怪鳥に電話をすると、怪鳥は既に現場に着いているらしく、店の名前と道順を説明してくれた。
店の名前は「のみや」。
怪鳥が伝えた事前の情報によると「レバ刺し」を食べさせてくれるお店らしい。
怪鳥に教えてもらった道順通りに行くと、確かに「のみや」と記された店に辿りつく。
そうして、中に入ってみて、驚いた。
店内は渋いショットバーのような雰囲気だったからだ。
わたしは一瞬、店を間違えたのかと錯覚した。実は「のみや」の隣の店に入ってしまったのではないか、と。
すると、男性の店員が近寄ってくる。
「お一人ですか」。
わたしは少したじろぎながら、その感情の揺れをなるべく悟られないように、努めて冷静に、「地下に友人がいるはずです」と言った。
だが、わたしの声は消え入りそうなくらいかぼそいものだった。
階段もウッド調の洒落た作りになっており、ますます心配になってきた。
「のみや」という名前の居酒屋で、「レバ刺し」が評判の店だという。この2つのキーワードから想像できるお店のイメージは大衆的王道を行く居酒屋だ。
だが、今わたしが居る酒場は瀟洒な作りで、そのイメージにはそぐわない。
階下に着いて、きょろきょろ見回すと、怪鳥が手を振っていた。
やはり、この店で間違いなかったのだ。
わたしは、安堵の溜息をついたのだった。
テーブルについて、まず生ビール。
数秒としないうちに泡のキメ細かさが映えるビアグラスが運ばれてきた。早速、ングングと飲んでみると、実に繊細な味がする。まさに泡までうまい!とはこのことだろう。ビールはサントリーのモルツ。何故かモルツを扱う店は泡のキメ細かさを競う店が多い。これが、「樽生達人の店」の特徴というものなのだろうか。
ビールと一緒に大きめのお皿が出てきた。
盛られているのは、小魚の天ぷら。
怪鳥は思わず店員に「頼んでいませんけれど」と言えば、イケメンの店員は「これは突き出しですよ」と返した。
恐らく、しっかり「お通し代」もお支払いすることになるのだろうが、とにかく突き出しに天ぷらとは恐れ入る。そして、その小魚の正体、ワカサギの大きさもまた見事だった。体長は10cm近くもあり、大柄で立派なものだ。
そのアツアツのワカサギを食べてビールを飲んでいると、怪鳥のケータイが鳴った。
どうやら、怪鳥夫人がいらっしゃるらしい。
ホッピー研究会の準会員資格を持つH美夫人だ。
ホピ研参加は05年2月以来(居酒屋放浪記NO.0007)、約2年8ヶ月ぶり2回目だ。
ちなみに、ウチの妻も準会員の資格を持っているが、僅か1回きりの参加で、もう3年以上参加がない。規約によると、準会員は5年間参加がなければ、資格は剥奪されること(規約12条の3項)になっているので、彼女の場合、いよいよ怪しい。
さて、3年ぶりにお会いしたH美夫人。しかし、あぁやはりお美しい。
その神々しい笑顔は会った全ての人を虜にするのだという。
「『のみや』のレバ刺しを食べると聞いたから、来ました」という女神。やはり、このお店のレバ刺しは特別なようだ。
早速、そのレバ刺しを頼む。
いつしか、そのレバ刺しが運ばれ、眼前に運ばれてくると、我々のテーブルで歓声があがった。
「おぉ~っ」。
その艶々とした照りとゆらゆらと揺れる瑞々しいレバーは、一見して只者ではないことが分かる。色も黒すぎず、さりとて赤すぎず、絶妙な鮮やかさでお皿にたたずんでいる。
早速、一同は箸を掴んで一切れつまみ、特製のタレに浸して口に運んだ。
そして、またしても歓声とも溜息ともつかない驚嘆のような声があがるのだ。
「こ、こ、これは」で始まる、あの「ミスター味っ子」(原作=寺沢大介、講談社)の如く、「うーまーい」と叫びながら、わたしの意識は宇宙空間へ飛んでいってしまったのだ。
ときあたかも、店内のBGMはカルチャークラブの「カーマは気まぐれ」。
「♪カマカマカマカマ♪」という軽快なリフレインが更に我々の気分を高揚させ、ひとつ まみ、またひとつまみと食欲をそそらせたのである。
怪鳥によると、「のみや」の店主さんが、目利きをして、極上のレバーを仕入れてくるのだという。食へのこだわりがとにかく垣間見える。
だが、レバ刺しを2口食べたところで、わたしは気がついた。
レバ刺しにビールは合わない、ということを。
それでは、何が最もレバーの味を一層引き出してくれるのか、わたしはメニュー表の頁を繰った。すると、そこにはまさにうってつけの飲み物が用意されていたのである。
それは、亀甲宮のソーダ割。この芸術的ともいえる甲類焼酎ならば、口の中に余計な味を残さず、レバーの旨みだけを引き出し、浮き彫りにさせてくれるのではないだろうか。
そう、考えたわたしは、それを実践してみると、やはり、その考えがあながち見当違いでなかったことを思い知る。亀甲宮の冷静ともいえる淡い味わいが、きれいに口の中を清めてくれ、レバーは更に旨さを増幅させた。
我ながらすごい発見だと思った。
そして、レバーのような、ともすれば臭みがある食べ物には絶対、焼酎甲類が相性抜群であろう、と。
「カーマは気まぐれ」が終わると、わたしの宇宙旅行も終わりを告げた。
だが、口に中は亀甲宮とレバ刺しの絶妙なハーモニーが未だ余韻を残しては、わたしの口腔内を震わせている。
H美婦人は、満足そうに微笑を湛え、新鮮なレバーを摂取したことで、お肌は更に艶々と上気していた。
これぞレバ刺し、まさにレバ刺し。
レバ刺しを食べたくなったら、真っ先にこの店を頭に思い浮かべるだろう。
わたしの心の手帳を書き加えるとするならば、「レバ刺し」の項の筆頭は間違いなく「のみや」になる。
店の名前は「のみや」。
怪鳥が伝えた事前の情報によると「レバ刺し」を食べさせてくれるお店らしい。
怪鳥に教えてもらった道順通りに行くと、確かに「のみや」と記された店に辿りつく。
そうして、中に入ってみて、驚いた。
店内は渋いショットバーのような雰囲気だったからだ。
わたしは一瞬、店を間違えたのかと錯覚した。実は「のみや」の隣の店に入ってしまったのではないか、と。
すると、男性の店員が近寄ってくる。
「お一人ですか」。
わたしは少したじろぎながら、その感情の揺れをなるべく悟られないように、努めて冷静に、「地下に友人がいるはずです」と言った。
だが、わたしの声は消え入りそうなくらいかぼそいものだった。
階段もウッド調の洒落た作りになっており、ますます心配になってきた。
「のみや」という名前の居酒屋で、「レバ刺し」が評判の店だという。この2つのキーワードから想像できるお店のイメージは大衆的王道を行く居酒屋だ。
だが、今わたしが居る酒場は瀟洒な作りで、そのイメージにはそぐわない。
階下に着いて、きょろきょろ見回すと、怪鳥が手を振っていた。
やはり、この店で間違いなかったのだ。
わたしは、安堵の溜息をついたのだった。
テーブルについて、まず生ビール。
数秒としないうちに泡のキメ細かさが映えるビアグラスが運ばれてきた。早速、ングングと飲んでみると、実に繊細な味がする。まさに泡までうまい!とはこのことだろう。ビールはサントリーのモルツ。何故かモルツを扱う店は泡のキメ細かさを競う店が多い。これが、「樽生達人の店」の特徴というものなのだろうか。
ビールと一緒に大きめのお皿が出てきた。
盛られているのは、小魚の天ぷら。
怪鳥は思わず店員に「頼んでいませんけれど」と言えば、イケメンの店員は「これは突き出しですよ」と返した。
恐らく、しっかり「お通し代」もお支払いすることになるのだろうが、とにかく突き出しに天ぷらとは恐れ入る。そして、その小魚の正体、ワカサギの大きさもまた見事だった。体長は10cm近くもあり、大柄で立派なものだ。
そのアツアツのワカサギを食べてビールを飲んでいると、怪鳥のケータイが鳴った。
どうやら、怪鳥夫人がいらっしゃるらしい。
ホッピー研究会の準会員資格を持つH美夫人だ。
ホピ研参加は05年2月以来(居酒屋放浪記NO.0007)、約2年8ヶ月ぶり2回目だ。
ちなみに、ウチの妻も準会員の資格を持っているが、僅か1回きりの参加で、もう3年以上参加がない。規約によると、準会員は5年間参加がなければ、資格は剥奪されること(規約12条の3項)になっているので、彼女の場合、いよいよ怪しい。
さて、3年ぶりにお会いしたH美夫人。しかし、あぁやはりお美しい。
その神々しい笑顔は会った全ての人を虜にするのだという。
「『のみや』のレバ刺しを食べると聞いたから、来ました」という女神。やはり、このお店のレバ刺しは特別なようだ。
早速、そのレバ刺しを頼む。
いつしか、そのレバ刺しが運ばれ、眼前に運ばれてくると、我々のテーブルで歓声があがった。
「おぉ~っ」。
その艶々とした照りとゆらゆらと揺れる瑞々しいレバーは、一見して只者ではないことが分かる。色も黒すぎず、さりとて赤すぎず、絶妙な鮮やかさでお皿にたたずんでいる。
早速、一同は箸を掴んで一切れつまみ、特製のタレに浸して口に運んだ。
そして、またしても歓声とも溜息ともつかない驚嘆のような声があがるのだ。
「こ、こ、これは」で始まる、あの「ミスター味っ子」(原作=寺沢大介、講談社)の如く、「うーまーい」と叫びながら、わたしの意識は宇宙空間へ飛んでいってしまったのだ。
ときあたかも、店内のBGMはカルチャークラブの「カーマは気まぐれ」。
「♪カマカマカマカマ♪」という軽快なリフレインが更に我々の気分を高揚させ、ひとつ まみ、またひとつまみと食欲をそそらせたのである。
怪鳥によると、「のみや」の店主さんが、目利きをして、極上のレバーを仕入れてくるのだという。食へのこだわりがとにかく垣間見える。
だが、レバ刺しを2口食べたところで、わたしは気がついた。
レバ刺しにビールは合わない、ということを。
それでは、何が最もレバーの味を一層引き出してくれるのか、わたしはメニュー表の頁を繰った。すると、そこにはまさにうってつけの飲み物が用意されていたのである。
それは、亀甲宮のソーダ割。この芸術的ともいえる甲類焼酎ならば、口の中に余計な味を残さず、レバーの旨みだけを引き出し、浮き彫りにさせてくれるのではないだろうか。
そう、考えたわたしは、それを実践してみると、やはり、その考えがあながち見当違いでなかったことを思い知る。亀甲宮の冷静ともいえる淡い味わいが、きれいに口の中を清めてくれ、レバーは更に旨さを増幅させた。
我ながらすごい発見だと思った。
そして、レバーのような、ともすれば臭みがある食べ物には絶対、焼酎甲類が相性抜群であろう、と。
「カーマは気まぐれ」が終わると、わたしの宇宙旅行も終わりを告げた。
だが、口に中は亀甲宮とレバ刺しの絶妙なハーモニーが未だ余韻を残しては、わたしの口腔内を震わせている。
H美婦人は、満足そうに微笑を湛え、新鮮なレバーを摂取したことで、お肌は更に艶々と上気していた。
これぞレバ刺し、まさにレバ刺し。
レバ刺しを食べたくなったら、真っ先にこの店を頭に思い浮かべるだろう。
わたしの心の手帳を書き加えるとするならば、「レバ刺し」の項の筆頭は間違いなく「のみや」になる。
でも、師のいきつけの焼き肉屋もいい感じだったな。
オレにはフェイバリットな焼き肉屋ってないなぁ。
京都に行った時はまたあの店に是非寄らせてもらいたいね。
>とにかく、食べ物は「その人がそれで満足なら、それが最高。」であるなあと最近良く思うよ。
その通りだな。
食べものに感謝して食べないとね。
師といった俺行きつけの焼肉屋では、しっかり食ったぞ、レバ刺し。せんまい刺しも食った気がする。
あの店も確かに悪くないが、あそこは俺の幼少から行っていたというその事が、俺に慣れ親しんだ味としてより美味しいと思わせる何かがあるようにも思うよ。
って訳で、ブログで紹介したあらたや、依然いた茨城の焼肉屋ビヲンの方が、レバ刺しに関しては上をいっているような気がするよ。
なお最近、産地問題が話題になっているが、そんなもん余程のプロじゃないとわかんないんじゃないだろうか?
ただ、嘘をつくのは、例え選挙中の点数稼ぎだったとしてもいけないとは思うけどね。(笑)
ちなみに自分は、「麦芽とホップだけのモルトビールでないとビールじゃない。」とか言ってるけど、利きビールしたら全く分からない系統の口腐り系だと思うよ。(苦笑)
とにかく、食べ物は「その人がそれで満足なら、それが最高。」であるなあと最近良く思うよ。
でも、ジャンクフードが最高だと思ってしまうのは、その人にとって決して幸福ではないだろうなと思うけどね。
確か、師の家にいったときに連れていってもらった焼き肉屋さん。師が幼少の頃から通っているというお店に行ったとき、レバ刺し食べなかったっけ?
それとも、「せんまい刺し」だったか?
あのお店はおいしかったね。
当ブログでも、店の仕入れとかに言及したいんだが、なかなかしおれを暴くことはたった一度の訪問じゃ無理だよ。
しかし、そこを知らなければ、結局、比内鶏じゃないものを食べて「比内鶏はうまい」と言ってるようなもので。まぁ実際はそんあところなんだろうけれどね。
肉の刺身はとにかく鮮度との勝負、とそんな風に思う俺だったりします。
ちょうど先日再訪したかったもつ料理の店に行ったんでトラックバックしといたよ。
師と一度行ってみたい店だよ。
年末進行で多忙を極めているのか?
全ては今p次第で焼き鳥ツアーが進んでいきます。
レバ刺しツアーにしますか?
ということは、大体同じ時間にコメントをうっていたようですね。まき子さん、失礼しました。
300円のレバ刺し?
大丈夫ですか?
以前、「肉のまえかわ」(居酒屋放浪記NO.0133)で220円のささみ生食を食べた際に、後日「安い生物はやめたほうがいい」と怪鳥に諭されました。
確かに、それは一理ある、と気がついた次第です。
でも、小岩、新小岩はいいですよねぇ。
先週土曜日、新小岩でうまい店に連れて行ってもらいました。
その店に行く道中、僅か5~6分の間に立ち飲み屋を3軒も発見。今度、ゆっくりはしごするゾ~。
今年のアワードでは、テレビがあるお店とそうでない店の比率でも統計だしてみましょうか。
元サントリーの方だから、ビールの注ぎ方にもこだわりがあるのでしょう。
また、おいしいお酒の出し方なども心得ているのでしょうね。
「相当な美人」じゃん。
もう少し厳密に表現すると、「可憐な美人」だね。
次回、放浪記にも、可憐さあふれる夫人が登場!
この前、小岩のもつ焼「大竹」で食べた300円でも、激ウマだったレバ刺しが忘れられません(>_<)!!!
コメントしづらいのは、妻が「相当な美人」になってしまっているから・・・(笑)。
元酒造メーカーの方、というのは「のみや」さんの店主?
作る側から売る側に、というのはコペルニクス的転回だね。
久々にテレビのないお店に行きました。
怪鳥の持論とする「テレビのある店に名店なし」。テレビがないところはやはり、お店の人と言葉のキャッチボールがしっかり出来ていると思いますね。
H美さん!
是非またご一緒しましょう!
むさ苦しいホピ研に愛の手を!