「新潟屋」に行こうとしたがちょっと出遅れた。恐らくもう席は埋まっていることだろう。東十条に向かって歩いている時、大事なことに気が付いた。しまった。すっかり忘れていたのだ。
その用事を済ますと時刻は17時になっていた。もはや「新潟屋」に行くには時既に遅しか。ならばどこへ行こうか。「杯一」か、それとも「飛葉」か。あれこれ思案して思いついた店があった。そうか、この機会に行ってみようか。
豊島の「とん平」に。
豊島というのにも訳がある。実は王子にも同じ名前のお店があるのだ。両店が関係しているかは分からない。けれど、豊島の「とん平」は和気あいあいのお店に対し、王子のお店はママが一人で営んでいる小さな酒場である。王子の「とん平」には1度おうかがいしたことがある。もう12年半も前のことだ。かみさんが出産のために帰郷していた時である。
一方、豊島の「とん平」にもチャレンジしたことがある。2回行って2回とも休業という憂き目にあった。自宅から片道徒歩15分はそれほど近いとは言えない。いや、このお店、陸の孤島にある。何しろ駅からめちゃくちゃ遠い。東京メトロ、南北線の王子神谷駅、或いはJR京浜東北線の王子駅から徒歩25分くらいはかかるだろうか。そんな立地にあるにも関わらず、いつもお店は満席なのだ。余程、地元のお客に愛されているかが想像できる。
お店に着いたらしっかりと営業していた。外から中の様子はうかがえないので、戸を開ける時は緊張する。戸を開けたら、目の前は通路になっていて拍子抜けした。「一人」と告げると、奥にどうぞと通された。その奥の部屋に行って、更に驚いた。長テーブルが2脚平行にしつらえてあり、対面でお酒をいただく形状になっているのだが、テーブルが壁際にぴったりと収まっているのだ。通路側の人はすぐに腰かけられるが、壁側の人の出入りは難儀なのだ。長テーブルの手前側に人がいて、その奥に行くには、手間側の人がいちいち席を立って人を通さないとならない。トイレに立つときも同様で、いちいち隣の人に声をかけて立ってもらわなければならない。運悪く、自分はその壁側奥に座れと命じられた。わざわざ、手前側の人に立ってもらって、奥へと収まったのである。しかも、対面する女性がまた厄介な感じだった。スマホでずっと通話しているのである。うわぁ、いきなりなんだか後悔の嵐に包まれたのである。
「ホッピー」白をオーダーし、しばらく様子を見るのだが、この場所がとにかく悪い。3人の客に囲まれたうえに、メニューの短冊は自分の背後の壁にあって、一部しか見えない。これは困った。
自分の右側にある壁にテレビがあるのだが、自分の視点からは角度がなくてこれまた見にくい。向こう側のカウンターは爺さん連中が忘年会をしていて騒がしく、いよいよ進退窮まった感がある。
すると一人の男性が現れ、自分の左隣に座った。3人に囲まれていたとはいえ、左側には余裕があったのだが、これでそのスペースすら失った。しかも、その男性客と目の前の女性客は知り合いのようである。自分の目の前でおしゃべりが始まった。身体的にも精神的にもいよいよ追い詰められたのである。
この長テーブルにいる自分以外の4人は常連さんだった。しかもほぼ毎日顔を出すらしい。一方、向こう岸のカウンターには総勢5人が飲んでおり、その中に一人「とん平」の常連がいるらしいが、その人は王子の名店、「山田屋」でも常連さんらしく、どうも他の4人はその「山田屋」のメンバーではないかとのことだった。「山田屋」に入れず、あぶれたために「とん平」に流れてきたというのが、常連女性の見立てだった。下品な会話をしているその爺さん連中を見て、女性は罵るのである。なんとも下劣な連中だと。
「山田屋」といえば、初めて行った時、嫌な気持ちになったことがあった。勝手を知らずに席に着いたら、そこは常連さんの席だと注意された。予約席の札とか置いておけばいいのにと思う。気難しい常連を抱える店も実は気難しかったりする。
その「山田屋」から流れてきたという人を、今度は「とん平」の常連さんがなじる。どうも常連はテリトリー意識も強いようだ。
結局、ホッピー1杯、なんのつまみも頼まずに飲み干してしまった。さて、困ったな。店員さんは忙しくしていて、姿が見えず、これでは「中」もお代わりできないぞと暗澹たる気持ちになったとき、隣の男性が声をあげて店員さんを呼んだ。
「韮たまひとつ!」と男性。
おっ、とこれはチャンスだ。この機会を逃してはならない。
すかさず自分も「こっちにも一つください」とわりかし大きな声で言った。その一言で一息つけた。
無事につまみにありつけたし、それがきっかけでこのカウンターの常連さんとも話しができるようになった。ただ、常連意識というのは怖い。これは何にでも当てはまると思うのだが、先輩という立場が人に権力を与えるものなのだと改めて分かった。組織はもちろん、人が集まると自然にこういう序列が形成される。バックパッカーだって同じだった。長く滞在している者ほど偉いみたいな空気が自然と醸成される。それは居酒屋にもあるのだなと痛烈に感じた。いや、自分もその立場になったら、少なからずそうなる可能性は充分にある。先輩風を吹かせて、一見客を見下すかもしれない。常に謙虚であるよう自分を戒めていきたい。
そうした常連さんの心象風景はやがて店の雰囲気をも支配する。どういう訳か、自分はこの店に入った瞬間、ワクワクしなかった。何か邪悪なものを感じたのだろうか。
最後にかろうじて、焼きものをいただいた。
「レバー」2本に「つくね」と「ねぎま」をタレで。
焼きものも悪くはなかった。けれど、最近は祐天寺「ばん」、東十条「新潟屋」と絶品の串焼きをいただいてるせいか、それほどとも思わなかった。いや、このなんか息苦しい魑魅魍魎とした雰囲気が味まで左右したのかもしれない。
この記事を読むと、師の新しい店へのチャレンジ精神にホント感心するよ。俺なら、ガラスの膝同様、根性なしのガラスの心が3分も持たないよ・・・。
しかし人間というのは、なんだかんだで大勢になると常に序列を作りたくなる生き物だよなあ。そういうのから離れたいと思うけど、そうなるともう、世捨て人になるしかないからなあ。
あ、よく考えたら俺もうほとんど世捨て人だったよ。
こちらこそ今年もよろしく。
以前に比べると格段に新規店舗へのチャレンジは減っているよ。10年前はほぼ新規だったけど、今は3分の2くらいはリピートだと思う。自分もガラスの膝でガラスのハートだけど、まだ好奇心はあるんだなって感じる。
人は2人集まればもう序列づくりにいそしむんじゃないかな。こいつより勝ってるなって。差別はなくならないよ。
このコロナ禍、世捨て人の方が強いね。何かに属さなくても食えればいいんだから。その覚悟があるかだね。社会も会社も人は救わない。「資本論」じゃないけど。