大学のレポートに追われ、参考文献を読み漁る日々だった。
「ジャーナリズム」(清水幾太郎)、「ジャーナリズムとメディア言説」(大石裕)
「日本史瓦版」(鈴木亨)
「図書館情報学用語辞典」(日本図書館情報学会用語辞典編集委員会)
「メディアコントロール 日本の戦争報道」(前坂俊之)
「戦後史にみるテレビ放送中止事件」(松田浩・メディア総合研究所)
「現代日本社会論 戦後史から現在を読む30章」(新井直之 渡辺修)
「ジャーナリズムが滅びる日 ネットの猛威にさらされるメディア」(猪熊建夫)
「ビデオジャーナリズム カメラを持って世界に飛び出そう」(新保哲生)
「グローバル社会とメディア」(武市英雄,原寿雄)
「客観報道とは何か 戦後ジャーナリズム研究と客観報道論争(中正樹)
「マスコミは何を伝えないか」(下村健一)
「ニュースに騙されるな 報道現場本当の舞台裏」(椎名健次郎)
上記以外でも斜めに読んだ本が数冊。
日本のジャーナリズム研究の本は意外に少ないことに気が付いた。
この間隙をついて、貪るように読んだのが、「沈まぬ太陽」。
とにかく打ちのめされた。著者の山崎豊子さんに。
取材の姿勢には感服。そして、何をも恐れない執筆スタイルにはただただ驚かされる。
ナショナルフラッグキャリアを巡る怪しげな利権構造に迫っていく手法はレポートで読んだあらゆる書物んじあったジャーナリズムを超越していた。
取材に基づき、小説に再構築とした本作こそジャーナリズムに迫っていると感じざるをえない。
劇中にたびたび登場する大手新聞社と主人公と二項対立を浮き彫りにする広報部長の行天四郎の設定は、もしかすると著者が御用ジャーナリズムを痛烈に批判したいという意図があったのではないだろうか。
何が正しいのか、そして何が間違っているのか。ぼくらはもうあらゆるものに麻痺をしてしまい、もう上も下も右も左も分からない。
だからとにかく打ちのめされた。
自分の仕事がたまらなくみすぼらしく感じるほど、ただただ打ちのめされた。
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