
「ガイド料金はいくらなんだい?」
わたしが尋ねると、彼はまことに真剣な顔でこう返してきた。
「5ドルだよ」。
わたしは、思わず噴出してしまいながら、オウム返しに「5ドルだって?」と答えた。
5ドルと言えば、今泊まっている宿に2泊もでき、しかも朝食のバインミーと夜食のぶっかけ飯も充分に食べることができる金額だ。
だが、彼は、悪びれる様子もなく笑顔を浮かべている。年の頃はいくつだろうか。まだ10歳にも届かないように見える。恐らく、この子は学校に行っていないのだろう。身なりも随分着古したTシャツをまとっていた。
「君のウチはどこだい?」とわたしは尋ねた。
その問いに深い意味があったわけではなく、ガイドをあっさりと断るのも憚れ、苦し紛れにそう尋ねたのだった。
彼は、にこにこと笑顔を作りながら、「Over there」を繰り返し、やがて走り去ってしまった。
僅か数分の会話だったが、彼との出会いは、強烈な印象を持って、そして心に引っかかった。まるで他愛もない棘のように。
忘れているときは痛くないのだが、一度思い出すと、ズキンと痛くなる。そんなささくれのように。
何故、彼との出会いが心に引っかかったのだろうか。
わたしは、そんな思いに捉われながら、その後、残りのアンコール遺跡を回った。
アンコールトム(写真)は噂通りの素晴らしさだった。詳しいことはよく分からないが、この建築の技術の高さは、全くわたしのような素人でも胸に迫ってきた。
だが、その横で無邪気に遊ぶ子供達の姿も気になった。
アンコールトムの周囲では、遺跡の復旧作業が行われていた。内戦の爪痕が今も多く残っている。少し、脇道に逸れれば、髑髏の不気味なマークの看板が立ち、地雷埋設の危険を告げる。
何故、シェムリアップの子供達が見せる笑顔は素敵なのか。
棘がまたわたしの心で疼く。
「プノン・バッケインに行ってくれ」。
わたしは、バイタクの運転手にそう頼んだ。
シェムリアップに黄昏が近づいている。バックパッカー達の間で朝焼けのアンコールとともに噂になっていたのが、プノン・バッケインという小高い丘から眺めるサンセットであった。その夕日を見ようと、2日間の最後にその丘に行こうと決めていたのである。
その丘はちょうど夕暮れ時を迎えていた。そして多くの外国人が丘の頂を目指して山道を登っている。
頂上に登ると、その見事な眺望に思わず息を呑んだ。オレンジ色の夕日が遙か彼方の地平線に吸い込まれていこうとしている。誰もが息を潜めてそれを見守っている。ただ一人を除いては。
そのひとりとは、銃を構えた少年兵だった。
わたしは、バイタクの運転手に聞いてみた。「彼は何をしているんだ?」
「警備さ。彼は元々ポル・ポトの残党兵なんだ。今は政府軍の傭兵さ」
彼の横顔はまだあどけなかった。
夕日はいよいよ地平線に沈んでいく。
だが、彼にとっても、5ドルのガイド料金を要求した少年にとっても、いつもと変わらないいつもの日常がそこにあるだけなのではないか。
そう思うと、目の前の夕暮れがとてももの悲しくみえるだけだった。
与えられるばかりで、わたしは何も与えてはいない。
考えれば、考えるほど、分からなくなってきた。
わたしに一体なにが出来ようか。わたしは何をなすべきか。
カンボジアの夕日は今まさに、地平線に沈んでいこうとしていた。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
わたしが尋ねると、彼はまことに真剣な顔でこう返してきた。
「5ドルだよ」。
わたしは、思わず噴出してしまいながら、オウム返しに「5ドルだって?」と答えた。
5ドルと言えば、今泊まっている宿に2泊もでき、しかも朝食のバインミーと夜食のぶっかけ飯も充分に食べることができる金額だ。
だが、彼は、悪びれる様子もなく笑顔を浮かべている。年の頃はいくつだろうか。まだ10歳にも届かないように見える。恐らく、この子は学校に行っていないのだろう。身なりも随分着古したTシャツをまとっていた。
「君のウチはどこだい?」とわたしは尋ねた。
その問いに深い意味があったわけではなく、ガイドをあっさりと断るのも憚れ、苦し紛れにそう尋ねたのだった。
彼は、にこにこと笑顔を作りながら、「Over there」を繰り返し、やがて走り去ってしまった。
僅か数分の会話だったが、彼との出会いは、強烈な印象を持って、そして心に引っかかった。まるで他愛もない棘のように。
忘れているときは痛くないのだが、一度思い出すと、ズキンと痛くなる。そんなささくれのように。
何故、彼との出会いが心に引っかかったのだろうか。
わたしは、そんな思いに捉われながら、その後、残りのアンコール遺跡を回った。
アンコールトム(写真)は噂通りの素晴らしさだった。詳しいことはよく分からないが、この建築の技術の高さは、全くわたしのような素人でも胸に迫ってきた。
だが、その横で無邪気に遊ぶ子供達の姿も気になった。
アンコールトムの周囲では、遺跡の復旧作業が行われていた。内戦の爪痕が今も多く残っている。少し、脇道に逸れれば、髑髏の不気味なマークの看板が立ち、地雷埋設の危険を告げる。
何故、シェムリアップの子供達が見せる笑顔は素敵なのか。
棘がまたわたしの心で疼く。
「プノン・バッケインに行ってくれ」。
わたしは、バイタクの運転手にそう頼んだ。
シェムリアップに黄昏が近づいている。バックパッカー達の間で朝焼けのアンコールとともに噂になっていたのが、プノン・バッケインという小高い丘から眺めるサンセットであった。その夕日を見ようと、2日間の最後にその丘に行こうと決めていたのである。
その丘はちょうど夕暮れ時を迎えていた。そして多くの外国人が丘の頂を目指して山道を登っている。
頂上に登ると、その見事な眺望に思わず息を呑んだ。オレンジ色の夕日が遙か彼方の地平線に吸い込まれていこうとしている。誰もが息を潜めてそれを見守っている。ただ一人を除いては。
そのひとりとは、銃を構えた少年兵だった。
わたしは、バイタクの運転手に聞いてみた。「彼は何をしているんだ?」
「警備さ。彼は元々ポル・ポトの残党兵なんだ。今は政府軍の傭兵さ」
彼の横顔はまだあどけなかった。
夕日はいよいよ地平線に沈んでいく。
だが、彼にとっても、5ドルのガイド料金を要求した少年にとっても、いつもと変わらないいつもの日常がそこにあるだけなのではないか。
そう思うと、目の前の夕暮れがとてももの悲しくみえるだけだった。
与えられるばかりで、わたしは何も与えてはいない。
考えれば、考えるほど、分からなくなってきた。
わたしに一体なにが出来ようか。わたしは何をなすべきか。
カンボジアの夕日は今まさに、地平線に沈んでいこうとしていた。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
旅人は所詮旅人、その土地の人々と長く付き合うことがないのもまた事実。そんな中で、中途半端に何かをするべきなのか、それとも、自分は影のような存在と思ってあえて何もしないのか。それについては俺も結構悩んだ。
ただ、今思うのは、わざわざしないと言うのも変だし、無理にしなければと思うのもなんだなと言うこと。
だから、したいと思ったらすればいいし、強いられる感があるならしなければいいしといった自然な感じでいいように思うんだけどどうかな?
まあ最近、そういったシーンに会う機会すらないんだけど・・・。
久々に行きたいなあ、師よ。
師と別れて、ひとりになって、考えることが増えたな。ベトナムの街並みは戦争の爪痕をあまり感じなかったが、カンボジアは否が応でもそれを直視せざるをえなくて、旅の意味はカンボジアから変わってきたかもしれないな。
しばらく、「オレ深」は自問自答を繰り返すスタイルで進むかも。
また、旅に出たいなぁ、師よ。
今、名古屋に向かってるとこだ。時間があれば、また温泉にでも行きたいとこなんだがね。
下呂からもう一年が経ったんだな。
たまにそういった一人旅もいいなと思ったりするなあ。
久しぶりにアジアに旅立ちたいね。
しかし、下呂からもう一年か。はやいなあ、おっさんになると・・・。またどっかの温泉におっさん二人で行きたいもんだね。
私は5月にアンコールワットに行きました。
そう・・・
私もあちこちに旅行に行きましたが
カンボジアの人の金銭感覚と笑顔のギャップに
胸が締め付けられるような感じになりました。
なんなんでしょうかねぇ~
プノンペンからは空路で?
アンコールはすごいことになっていそうですね。
観光客がいっぱいいるんでしょうね。
さて、師よ。
>久しぶりにアジアに旅立ちたいね。
それは、同意を求めているのか?
いや、行きたい願望はあるさ。
しかし、しばらく行けないな。
夏には家族がもうひとり増えることだし。
以前は、3年に一度は旅の続きをしようと思っていたんだが、ね。
しかし、イラン、イラクに加え、パキスタンがあんな調子だと、旅の再開もできないけれどね。
当然、師は置いてきぼりにするつもりだ。(笑)
こちらのブログの読破めざして今奮闘中です!
感想などあれば嬉しいです。
「地球浪漫紀行」もかなりの読み応えですね。
写真が満載で楽しそうです。
じっくり拝見させて頂きます。