しかし、ぶったまげたよ。
日刊スポーツで広島カープの木村拓也選手がトレードされた記事を読んだときにはさ。そりゃ、確かに今季は新監督マーティの構想に入らずに、開幕からずっとファーム暮らしだったかもしれないけれど。
しかし、キムタクはチームにとっては欠かせない選手の一人だと今でも思うね。
出場機会を望んで自らトレードを志願したのか、或いはチームが放出したのか、分からないけれど、(自身のコメントから推測すれば、チームが放出したんだろう)讀賣で元気な姿を見せていることを考えれば、これでよかったんだろうね。
しかし、これほど、器用にいろんなことができる選手も珍しかった。
投手以外はどこでも守れて、更に左右どちらでも打てる。
1、2番を任せることもできたし、下位打線を打たせることもできた。
送りバントなんどの小技から、足を絡めた野球。時には長打力も発揮したし、とにかくほとんどの野球を網羅できた稀有なユーティリティプレイヤーであることは間違いない。だからこそ、アテネ五輪の長嶋ジャパンにおいて代表にも選ばれたのだろうね。
とにかく、地味ながらも、努力を惜しまない姿勢がとにかく好きだった。
だから、アテネ五輪、カナダとの3位決定戦で初めてスタメンに起用されたときは、すっごく嬉しかったナ。
キムタクの思い出で真っ先に思い出すのが、10年くらい前の讀賣戦。
場所は広島市民球場。延長戦にもつれ込んだ試合を決めたのが、代打で登場したキムタク。遊撃手の頭上をライナーで超えるサヨナラヒット。
打った瞬間、左の拳を握って、小さくガッツポーズをしていたっけ。
あの頃から、メキメキと頭角を現してきたような気がする。
それから、2000年の開幕戦も忘れられない。
讀賣とのオープニングゲーム。舞台は東京ドーム。エース上原浩治投手のリズムを狂わせたのは、初回2番打者で左翼線にクリーンヒットを放ったキムタクだ!
この日、左翼の立見席で見ていた俺は、まさに狂喜乱舞したね。
翌日も勝って讀賣に開幕連勝したのは、このキムタクの初回の安打に他ならない。
忘れられない苦い思い出といえば、捕手を務めた試合。
あれは、大下剛ヘッドコーチの時代だから90年代の後半か。
広島市民球場での阪神戦。
何故か、途中で捕手にキムタクが起用されたんだよな。
しかし、キャッチングはもうボロボロ。いくら、捕手としてプロ入りしたとはいえ、既に捕手業は錆び付いていたね。
しかし、投手以外のポジションを満遍なくこなしているのを見たのはキムタクが初めてだった(長いプロ野球の歴史では全ポジションを守った選手が何人もいるけれど)。
怒りの矛先をキムタクにぶつけたこともあった。
3年くらい前のヤクルト戦。神宮球場にSちゃんと見に行った試合だ。
序盤に大量点を取ったカープが試合を優位に進めていたが、山本浩二監督の得意の継投から試合が面白くなっていく。
終盤、ヤクルトが追いつき、なおも勝ち越しのチャンスに打球は3塁線を襲う。3塁の守備に入っていたキムタクのグラブをかすめ、打球はファールグラウンドを転々。ヤクルトが勝ち越しに成功して、ジ・エンド。
不可抗力なのに、何故か怒りはキムタクに向けられたのだった。
あのときはごめん。
何の罪もないキムタクに敗戦の責任を押しつけたりして。
キムタクがトップバッターで安定した成績を収めた年の翌年、指揮官山本浩二が突然おかしなことを言い出したっけ。
「キムタクはスーパーサブとして使う」。
シーズン序盤はトップバッターに誰か他の選手を使ってみたりしたけれど、しっくりこなくてしばらくして、キムタクが斬りこみ隊長に戻ったこともあった。
確か、金本知憲選手がトリプルスリーを記録した翌年、キムタクは記者にその年の目標を訊ねられ「3割3本30盗塁」などと答えていた。
そんな愛すべきキムタクがチームを後にした。
今はただ、キムタクの今後の活躍を祈るだけ。
ただし、カープの試合のときは打ってくださんな。
そして、たくさん経験を積んで、またカープに戻ってきてくれよ。
日刊スポーツで広島カープの木村拓也選手がトレードされた記事を読んだときにはさ。そりゃ、確かに今季は新監督マーティの構想に入らずに、開幕からずっとファーム暮らしだったかもしれないけれど。
しかし、キムタクはチームにとっては欠かせない選手の一人だと今でも思うね。
出場機会を望んで自らトレードを志願したのか、或いはチームが放出したのか、分からないけれど、(自身のコメントから推測すれば、チームが放出したんだろう)讀賣で元気な姿を見せていることを考えれば、これでよかったんだろうね。
しかし、これほど、器用にいろんなことができる選手も珍しかった。
投手以外はどこでも守れて、更に左右どちらでも打てる。
1、2番を任せることもできたし、下位打線を打たせることもできた。
送りバントなんどの小技から、足を絡めた野球。時には長打力も発揮したし、とにかくほとんどの野球を網羅できた稀有なユーティリティプレイヤーであることは間違いない。だからこそ、アテネ五輪の長嶋ジャパンにおいて代表にも選ばれたのだろうね。
とにかく、地味ながらも、努力を惜しまない姿勢がとにかく好きだった。
だから、アテネ五輪、カナダとの3位決定戦で初めてスタメンに起用されたときは、すっごく嬉しかったナ。
キムタクの思い出で真っ先に思い出すのが、10年くらい前の讀賣戦。
場所は広島市民球場。延長戦にもつれ込んだ試合を決めたのが、代打で登場したキムタク。遊撃手の頭上をライナーで超えるサヨナラヒット。
打った瞬間、左の拳を握って、小さくガッツポーズをしていたっけ。
あの頃から、メキメキと頭角を現してきたような気がする。
それから、2000年の開幕戦も忘れられない。
讀賣とのオープニングゲーム。舞台は東京ドーム。エース上原浩治投手のリズムを狂わせたのは、初回2番打者で左翼線にクリーンヒットを放ったキムタクだ!
この日、左翼の立見席で見ていた俺は、まさに狂喜乱舞したね。
翌日も勝って讀賣に開幕連勝したのは、このキムタクの初回の安打に他ならない。
忘れられない苦い思い出といえば、捕手を務めた試合。
あれは、大下剛ヘッドコーチの時代だから90年代の後半か。
広島市民球場での阪神戦。
何故か、途中で捕手にキムタクが起用されたんだよな。
しかし、キャッチングはもうボロボロ。いくら、捕手としてプロ入りしたとはいえ、既に捕手業は錆び付いていたね。
しかし、投手以外のポジションを満遍なくこなしているのを見たのはキムタクが初めてだった(長いプロ野球の歴史では全ポジションを守った選手が何人もいるけれど)。
怒りの矛先をキムタクにぶつけたこともあった。
3年くらい前のヤクルト戦。神宮球場にSちゃんと見に行った試合だ。
序盤に大量点を取ったカープが試合を優位に進めていたが、山本浩二監督の得意の継投から試合が面白くなっていく。
終盤、ヤクルトが追いつき、なおも勝ち越しのチャンスに打球は3塁線を襲う。3塁の守備に入っていたキムタクのグラブをかすめ、打球はファールグラウンドを転々。ヤクルトが勝ち越しに成功して、ジ・エンド。
不可抗力なのに、何故か怒りはキムタクに向けられたのだった。
あのときはごめん。
何の罪もないキムタクに敗戦の責任を押しつけたりして。
キムタクがトップバッターで安定した成績を収めた年の翌年、指揮官山本浩二が突然おかしなことを言い出したっけ。
「キムタクはスーパーサブとして使う」。
シーズン序盤はトップバッターに誰か他の選手を使ってみたりしたけれど、しっくりこなくてしばらくして、キムタクが斬りこみ隊長に戻ったこともあった。
確か、金本知憲選手がトリプルスリーを記録した翌年、キムタクは記者にその年の目標を訊ねられ「3割3本30盗塁」などと答えていた。
そんな愛すべきキムタクがチームを後にした。
今はただ、キムタクの今後の活躍を祈るだけ。
ただし、カープの試合のときは打ってくださんな。
そして、たくさん経験を積んで、またカープに戻ってきてくれよ。
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