チベッタンキャンプは15分も歩けば、1周できる小さなコミュニティだった。
宿は数件あり、くまなく訪れて宿泊費を尋ねた。いずれもドミトリーはなく、シングルルームだったが、一泊80ルピーは安価ではなかった。
最後に訪れた宿はコンクリートが打ちっぱなしの薄暗い建物で、フロントは陰気臭く、不気味な雰囲気だったが、シングルルームが70ルピーとこれまでの宿と比べて10ルピーも安かったため、部屋を見せてもらうことにした。宿の主人は日本人と変わらぬモンゴロイドの顔をしており、下町の商店街にいるおっさんのように見えた。
階段をのぼった2階の角部屋に通され、中を覗くと、部屋は質素だったが、意外と清潔で、わたしはすぐに気にいった。
「OK」という前に、その商店街にいるおっさんに対し、「宿泊費をディスカウントしてくれないか」とさらりと言うと、はじめは渋っていたものの、とうとうおっさんは承諾し、宿泊費は一泊65ルピーとなった。
そうして、わたしは、このチベッタンキャンプの住人となったのである。
ザックを置いて、早速外に出てみようと思い、用を足そうとトイレに入ると、雰囲気が見事に違っていた。
これまでのホテルは外国人用の施設だったので、いわゆる洋式トイレになっていたが、チベッタンのゲストハウスは和式のような便器が設置されていた。これがチベット式なのか、それともインド式なのか。
異様だったのは、便器の横に水が貯めてある水槽のようなものがあり、水を汲む桶が添えられている。もしかするとこれが、インド人が自らの手を用いてお尻を洗うのに使用する水と桶なのだろうか。
わたしは便器にまたがり、用を足しながら、この桶をどうやって使うか、思案してみた。水槽から水を汲むまでは分かる。だが、その後の動作が思いつかない。桶を背中側に回し、背中伝いに水をお尻に流すのだろうか。それとも、前側から水をぴちゃぴちゃお尻に掛けるのだろうか。いろいろと考えてはみたものの、名案は浮かばず、わたしは持ち合わせていたトイレットペーパーでお尻を拭いた。
困ったのは、水を流すボタンやレバーが見当たらなかったこと。そこで分かったのは、水槽の水はトイレを流すためにも使うものということ。つまり手動なのである。
用を足して、わたしは外に出た。
キャンプは正面の入口とは正反対の方向にもうひとつ、入口が用意されていた。そこから外に出てみると、視界は急に開けた。
ヤムナー川だった。
チベッタンキャンプはヤムナー川のほとりに位置していたのである。
河原を歩く。
様々な人がそこでくつろいでいた。赤ちゃんを連れた親子。若い男たちの集団。学生たち。彼らはわたしがカメラを持っているのを見つけると、臆することなく「撮ってくれないか」と近寄ってきた。
はじめは、喜んで撮ってあげていたが、一人撮ると、多くの人が「オレもオレも」と近づいてきて、面倒くさくなった。わたしは「ごめん、No filmだ」と言って多くの人を追い返した。
だが、インド人との触れ合いは楽しいものだった。多くの言葉を交わすわけではなかったが、彼らは一様に人懐こかった。
これまでわたしが通過してきた各国の様子と明らかに違っていた。特に中国では、誰とも友達になれなかった。
ヤムナー川の水に手を触れてみると、驚くほどに冷たい。
遠くヒマラヤから、この川の水が流れてきたと思うと、わたしは感動すら覚えた。
一人になったけれど、ここに来て良かったと思った。
水は冷たかったが、河原は極めて暑かった。
陽を遮るものがなく、河原に転がる石は強烈な日光を浴びて、焼けていた。
わたしもこのままでは干からびてしまうと、チベッタンキャンプの入口に戻り、そこの木陰に腰かけて、しばらく河を眺めることにした。
わたしはタバコに火を点けて、川面に浮かぶ陽炎の行方をぼんやりと眺めていると、3人組のインド人の男が眼前に現れて、わたしに話しかけてきた。
「ハロー」。
そのうちの一人が挨拶をした。
わたしも笑顔で「ハロー」と答えた。
3人とも年恰好が同じで、いずれも若そうだった。
「何をしているんだ」。
口ひげを蓄えた男が、流ちょうな英語で聞いてきた。
「川を見ている」と返すと、彼らは隣に腰かけて、わたしの素性をあれこれと質問してきた。
「どこから来た」
「ジャパンだ」
「何歳だ」
「26だ」
「結婚はしているのか」
「していない」
「仕事はなんだ」
「なにもしていない」
「どこに泊まっているんだ」
「このキャンプにいる」
「いつまでインドにいるのか」
「多分、3か月はいる」。
そんなやりとりが続いた。
わたしも彼らに歳と仕事を聞くと、彼らは19歳で大学生と答えた。
19歳には見えない。特に口髭を蓄えた彼はわたしよりも年上に見える。
そうして、一通りの質問が終わると、その口髭を蓄えた男はこんな提案をした。
「うちへ来ないか」。
わたしは絶句した。
どこの世界に、今会ったばかりの人を家に招待する人間がいるというのだろうか。
しかも、相手は外国人である。彼らの行動は少なくとも、日本人の常識では考えられないことだった。
いや、今までもそんなことはなかったこともない。ヴェトナムのサパでは、「オピウムに興味があるか」と地元の人間の家に連れて行かれたことがあるし、トレッキング中に初対面のモン族の家にもお邪魔させてもらったことがあった。
だが、それは成り行き上の流れに沿っていた。しかしながら、この眼前の男はどう見ても、何か下心があるように見えた。
適当なことを言って断ろう。
「君の家は近いのかい?」
すると口髭は「すぐそこだよ」などという。
わたしがどうしようかと思案する振りをするやいなや、口髭以外の2人の男がわたしを強引に立ちあがらせ、「行こうぜ」と促した。
家がすぐ近くなら、まあいいか。すぐに帰ってくれば大丈夫だろう。ここまでは偶然に身を重ねて、インドまで来られた。成り行きにまかせてみよう。どうせ、なるようにしかならない。
わたしはそう思い、彼らと一緒に歩き始めた。
しばらく行くと、幹線通りに出て、男らはバス停のようなところで足を止めた。
「ボクの家はバスに乗ってすぐなんだ」。
わたしはなんとなく嫌な予感がした。
だが、そうするうちにバスが来て、わたしはバスに押し込められた。彼らに取り囲まれるように座席に座らせられ、わたしはさらに不安な気持ちになった。
わたしはかなり動揺していた。彼らは、なにか企んでいると。だが、それを彼らに見せてしまうと弱みに付け込まれそうな気がした。
走りだしたバスの中では、もはや適当な口実で帰るとは言いだせない。
すると、わたしの心を見透かすように、口髭の男が言った。
「もうただでは帰れないかもよ」。
※これまでの「オレ深」は、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴ってきました。インド編からは同時進行ではありませんが、これまでの経過とともに、鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
責めた言い方をしたみたいですまん。
自分もかなりビビりが入ってたよ。
いろんな噂もあったし。
睡眠薬入りのチャイが出てきて、昏倒したスキにお金やパスポートを盗られるとか。
自分は結果的に生きているけど、インドでは何が起こるか分からないし、ミッシングになっている人も大勢いる。
インドでは、慎重さが求められるけど、そればかりではつまらなく、どこまでなら大丈夫か。線引き
は難しいね。
しかし、師のグル姿(鬼飛ブログ参照)を見たら、怪しいインド人も寄ってこないと思う。
確かに、師が書いた通り、この時に師が感じたことは、俺が同じ立場だったとしても、同じように思った事だろうと思う。
多くの人が乗るバスだと言っても、言葉が通じない限り、それはちょっとした軟禁と言ってもいいだろうし、それに、自分一人に複数もかなり厳しい状況だからね。
俺のツッコミが無粋だった。すまない師よ。
俺も偉そうに、「ほんとに悪い奴」とか書いてるけど、実は本当に悪い奴かどうかは、分かってないんだよな。だって、そう思った奴には、ついていったりしてないんだから。
師と旅の話ししてると、師はかなりのチャレンジャーだと思うもん。俺なんか、現地の人の家に行ったりとか、ほとんどいと言っていい、超慎重&チキンぶりだったからね。
どうなんだと言われても…。
確かに、今の時点では、結果を伝えることはできるよ。
でも、この物語が進行している時点では、本当にまずい展開だと思ったし、そういうネガティブな心理の中では、相手の言葉をさらに悪く感じたりするでしょ?
だから、引っ張り気味に感じたとしても、これは事実なんだよ。少なくとも、この時点で。
>ほんとに悪い奴は、自分からそんなことを言うことはなかったからねぇ。
↑
これは後から言えるんだよ。
ただ、自分は今も生きている。したがって、この事件はたいしたことないだろう。そう思ってもも致し方はないかな。
正にインド度大爆発!と言っていいような、怒涛のインド体験の連発だな、師よ。
お手手ウォシュレット?トイレ。そして写真撮れ撮れ軍団。更には、インドの定番?とも言える、うちに来いよ来いよ野郎。(笑)
なお、来い来い野郎に詐欺師的雰囲気を漂わせて、少し引っ張ろうとしているかもしれない師にこんなことを言うのはなんだけど、俺は、「もうただでは帰れないかもよ。」なんて言う奴は、普通にいいやつだと思ったんだけど、どうなんだろう?
ほんとに悪い奴は、自分からそんなことを言うことはなかったからねぇ。「俺、こう見えても結構いいやつなんだよ。」ってしつこいほどアピールする奴は多かったけど・・・。
さて、どうなるんだ?そして、どうだったんだ?師よ。