年が明け、最初にお邪魔する居酒屋が「宗屋」であることの幸運に思わずにんまりとした。本当は恵比寿に行き、広告代理店に納本する予定だったのが、急遽取りやめになり、もう一つのクライアントに新年の挨拶を含めてお邪魔することにした。それが田町だった。
17時過ぎにお店に着くと、相変わらずの盛況で、自分はなんとか一人分のスペースを作ってもらってポジションした。
活気ある店内のカウンターのたたずまいを眺めているだけで、いいお店だなと感じる。マスターの「今日は何にしやしょう」という一言が、既に愛だ。
もちろん、「梅割り」で。
マスターの筋肉質の腕っぷしがキンミヤの一升瓶を持ち上げ、「梅割り」のグラスに注ぐ。その絶妙な量と梅シロップの投入はまさに職人技だ。美しい。その技も、その技から繰り出された琥珀の飲みものも。
キンミヤを注ぎながら、マスターは「『レバ生』いきますか」とさりげなく、尋ねてくれる。月に一度しか来ないのに、覚えてくれている。これも愛だな。
その間、オーダーがあちこちから舞い込む。
やれ、「ユッケ」だ。やれ、「タン生」だ。それでもマスターは動じない。黙々と目の前に仕事に打ち込む。その姿は感動的ですらある。
大女将が厨房奥から珍しく出てきたと思ったら、わざわざ自分に挨拶してくれた。「今年もよろしくね」と。それだけで、もう満ち足りた気持ちになった。
「レバ生」のたたずまいも「梅割り」に負けないくらい美しかった。新鮮な素材であることはもちろん、血抜きの下処理の見事な仕事ぶりにである。
うまい。本当にうまい。この2つのメニューは目下の自分の最高コンビである。
「居酒屋さすらひ」アワード2020を制したのは仙台の「源氏」とこの「宗屋」である。「源氏」の欄で書いたが、この静謐な店は禅的であると、実は「宗屋」にも同じことが言えると思う。いや、もっと厳密にいえば、「宗屋」はもっと仏教的であると。
マスターの首から下げた成田山の印。黙々とこなす入魂の仕事ぶりはその成田山の本尊、不動明王にすら見えてくる。そう、迦楼羅炎が見えるのだ。その動きは静であり、動である。人は生きとし生けるものを殺め、食する罪深き生き物。マスターはその業を一人背負い、まるで五観の偈を全身で唱えているようでもある。
そして我、酒に溺れる単なる餓鬼に過ぎない。
「梅割り」×3。「煮込み」、そして「ハラミ」。
成道はまだまだ遙かなり。
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