シェムリアップの船着き場から、ピックアップトラックの荷台に乗せられ、運ばれること20分。宿に着くと、すぐさまご飯が出てきた。
カンボジア風の炒飯だ。
昼飯がついて一泊2ドル。わたしは、この昼飯に釣られてこの宿を選んだのだった。
ゲストハウスのドミトリーは母屋とは別の離れにあった。
ドミトリーの部屋は意外と広く、清潔で快適そうだった。ドミトリーの横には6畳間くらいの広さがあるちょっとしたリビングがあり、そこに何人かの日本人がたむろっていた。この宿は日本人のたまり場のようだった。
その多くは大学生のようだったが、中には見慣れた顔もいた。
ワタルだった。
中国とヴェトナムの国境近くにあるサパという村で出会った日本人だ。
旅の道程でこのようにバックパッカーと再会することはそれほど珍しくない。中には旅のスケジュールが同じ旅行者も少なくなく、宿泊先も大概限定されるからだ。
しかし、そうは言っても全く予期せぬところで再会する不思議な縁の仲間もいる。
余談になるが、香港の安宿で初めて会って、その後ホーチミンのコリアンBBQ屋で再会。この再会劇はさして驚くことでもなかったが、次に再会したのがチェンマイのとある民家。これにはお互いいささか驚いたものだった。
昼飯を食べ、お腹がふくれたところで、近所の散歩に出かけることにした。
宿を出ると道は左右に分かれる。もちろん道路は舗装などされていない赤茶けたむき出しの土道だ。
左を見ると道は永遠に続いていると錯覚するくらい真っ直ぐにのびている。右へ出るとアンコールワットの方向だ。
わたしは気が向くまま、右へ向かった。やがて、大きな木が道の真ん中に現れた。この交差点を左に折れれば、アンコール。右手にはバレーボールのコートがあり、真っ直ぐ行けば小さな小川を渡る橋である。わたしは右に曲がり川沿いを歩いた。やがて、小さな建物が見えてきた。持参していた地図によればGPOとある。つまり、中央郵便局だ。だが、なんてことはない、小さな郵便局だった。
更に真っ直ぐ歩くと市場に出た。
比較的大きな市場だったが、午後3時を過ぎたマーケットは既にもう閑散としていた。
市場を抜けて、もう少し歩いてみようと思った。
やがて、のんびりした農村風景に景色は変わっていった。若者が水牛を牽いて歩いている。その牧歌的な光景に目を奪われた。この地がインドシナ戦争の激戦地だったとはにわかに信じられない。
ぐるりと回って宿に戻ってきた。恐らくもっともっと広い村と思われるが、徒歩だと行動範囲が限られる。
中庭にたむろしているバイクタクシーの兄ちゃんに話しかけた。アンコールワットまでの料金について事前に知っておきたかったからだ。
彼らの話しによれば「2日間回って10ドル」だという。おかしい。相場は5ドルだと聞いた。わたしはカマをかけて「3ドルが相場と聞いたが」と言うと4人のバイタク兄ちゃんは馬鹿にするような高笑いをした。こっちも交渉を急ぐ必要はない。「ふぅん」と頷く真似をして、その場を離れた。背後から、やや慌てたような声で「ちょっと待てよ」という声がする。だが、焦る必要などわたしにはないのだ。
ホーチミンに滞在していた頃からわたしの足取りは急に重くなった。雑誌旅行人主宰の蔵前仁一氏の言葉を借りれば「沈没」だ。このペースではロンドンに行けないかもしれない。わたしは薄々そのようなことを漠然と考え始めた頃だった。このペースで行けば、ロンドンに着く前に所持金は底をついてしまうことだろう。しかし、それでもいいのではないか。前に進むことだけが目的となってしまったら、旅は味気ないものになってしまうだろう。「沈没」してもいいではないか。たとえ、そこで旅が終わっても。
このシェムリアップでも長逗留になるような気がした。じっくりアンコールワットを見てやろう。
だから、わたしはバイタクの値段交渉など一向に急ぐ必要などなかったのである。
その晩、わたしはワタルと共にご飯を食べに出かけた。
川沿いの屋台である。ワタルは現地で知り合ったというカンボジア人の若者を連れてきた。再会を祝してビールを頼み、乾杯することになった。褐色の肌をしたカンボジアの若者に「乾杯」のクメール語を訪ねると、彼は少し考え「カンボディーア」と言った。わたしとワタルはお互い「ホントかよ」と思いながらも、教えられたまま「カンボディーア」と口にし、3人で乾杯した。そして、彼が薦めてくれた 「蛇の丸焼き」を3人でつついたのだった。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
カンボジア風の炒飯だ。
昼飯がついて一泊2ドル。わたしは、この昼飯に釣られてこの宿を選んだのだった。
ゲストハウスのドミトリーは母屋とは別の離れにあった。
ドミトリーの部屋は意外と広く、清潔で快適そうだった。ドミトリーの横には6畳間くらいの広さがあるちょっとしたリビングがあり、そこに何人かの日本人がたむろっていた。この宿は日本人のたまり場のようだった。
その多くは大学生のようだったが、中には見慣れた顔もいた。
ワタルだった。
中国とヴェトナムの国境近くにあるサパという村で出会った日本人だ。
旅の道程でこのようにバックパッカーと再会することはそれほど珍しくない。中には旅のスケジュールが同じ旅行者も少なくなく、宿泊先も大概限定されるからだ。
しかし、そうは言っても全く予期せぬところで再会する不思議な縁の仲間もいる。
余談になるが、香港の安宿で初めて会って、その後ホーチミンのコリアンBBQ屋で再会。この再会劇はさして驚くことでもなかったが、次に再会したのがチェンマイのとある民家。これにはお互いいささか驚いたものだった。
昼飯を食べ、お腹がふくれたところで、近所の散歩に出かけることにした。
宿を出ると道は左右に分かれる。もちろん道路は舗装などされていない赤茶けたむき出しの土道だ。
左を見ると道は永遠に続いていると錯覚するくらい真っ直ぐにのびている。右へ出るとアンコールワットの方向だ。
わたしは気が向くまま、右へ向かった。やがて、大きな木が道の真ん中に現れた。この交差点を左に折れれば、アンコール。右手にはバレーボールのコートがあり、真っ直ぐ行けば小さな小川を渡る橋である。わたしは右に曲がり川沿いを歩いた。やがて、小さな建物が見えてきた。持参していた地図によればGPOとある。つまり、中央郵便局だ。だが、なんてことはない、小さな郵便局だった。
更に真っ直ぐ歩くと市場に出た。
比較的大きな市場だったが、午後3時を過ぎたマーケットは既にもう閑散としていた。
市場を抜けて、もう少し歩いてみようと思った。
やがて、のんびりした農村風景に景色は変わっていった。若者が水牛を牽いて歩いている。その牧歌的な光景に目を奪われた。この地がインドシナ戦争の激戦地だったとはにわかに信じられない。
ぐるりと回って宿に戻ってきた。恐らくもっともっと広い村と思われるが、徒歩だと行動範囲が限られる。
中庭にたむろしているバイクタクシーの兄ちゃんに話しかけた。アンコールワットまでの料金について事前に知っておきたかったからだ。
彼らの話しによれば「2日間回って10ドル」だという。おかしい。相場は5ドルだと聞いた。わたしはカマをかけて「3ドルが相場と聞いたが」と言うと4人のバイタク兄ちゃんは馬鹿にするような高笑いをした。こっちも交渉を急ぐ必要はない。「ふぅん」と頷く真似をして、その場を離れた。背後から、やや慌てたような声で「ちょっと待てよ」という声がする。だが、焦る必要などわたしにはないのだ。
ホーチミンに滞在していた頃からわたしの足取りは急に重くなった。雑誌旅行人主宰の蔵前仁一氏の言葉を借りれば「沈没」だ。このペースではロンドンに行けないかもしれない。わたしは薄々そのようなことを漠然と考え始めた頃だった。このペースで行けば、ロンドンに着く前に所持金は底をついてしまうことだろう。しかし、それでもいいのではないか。前に進むことだけが目的となってしまったら、旅は味気ないものになってしまうだろう。「沈没」してもいいではないか。たとえ、そこで旅が終わっても。
このシェムリアップでも長逗留になるような気がした。じっくりアンコールワットを見てやろう。
だから、わたしはバイタクの値段交渉など一向に急ぐ必要などなかったのである。
その晩、わたしはワタルと共にご飯を食べに出かけた。
川沿いの屋台である。ワタルは現地で知り合ったというカンボジア人の若者を連れてきた。再会を祝してビールを頼み、乾杯することになった。褐色の肌をしたカンボジアの若者に「乾杯」のクメール語を訪ねると、彼は少し考え「カンボディーア」と言った。わたしとワタルはお互い「ホントかよ」と思いながらも、教えられたまま「カンボディーア」と口にし、3人で乾杯した。そして、彼が薦めてくれた 「蛇の丸焼き」を3人でつついたのだった。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
最初聞いた時は、乗っていたバイタクのバイクが調子が悪くて異音が出てるんじゃないだろうかと、バイタクの兄ちゃんに聞いたくらいだった。(笑)
熱い空気とあのセミの鳴き声。うーん、バイロン・タプロームに再訪したいと凄く思わせられるよ。
師がどんなシェムリアップを過ごしたか、楽しみだな。
メールもしたが、まだ返信こないぞ。
調子はどうだ?
さて、鬼飛ブログ及びアクシスジャパンの公式ブログを見てもパラの話題ばかりでなかなかコメントに参加する機会がないよ。
師も久々に「オレ深」をアップしたら?
さて、次回はいよいよアンコール潜入だ。
しかし、その次回がいつ来るか、ちと分からないよ。
オレはアンコールトムをもう一度じっくり見たいな。