
「座座」って、ボクに座れというのか。
立ち飲みこそ人生のこのボクに?
店構えはたいしたことはない。大きな幟のような暖簾が大きく我々の前に立ちはだかる。竹が店の前に植えられており、和の居酒屋であることは雰囲気で分かった。
店に入り、回廊を抜けると旅館のような間口が現れ、そこで靴を脱がされた。ピカピカと光る木の床を靴下で歩き、少し行くと急に巨大な座敷が出現した。まさか、こんな展開になるとは予想だにしなかった。
広い。
だだっ広い。
暗がりでよく見えないのだが、大勢の客でにぎわっている。ひとつの部屋は何畳あるのだろうか。30畳?いやもっとか。
部屋を抜けると、また同じような部屋が現れる。後で分かったことだが、この店には500人を収容することができるのだとか。
まるでお城のようだ。襖を開けると、また次の部屋が現れ、その奥は一体どこまで続いているのか。そして、ボクらはどこに通されるのだろうか。
めくるめく回廊を抜けて辿り着いた座敷。テーブルがいくつも連なったそこは宴会場だった。
そこにボクはほぼ無理やり座らせられた。ボクは座って飲むのが苦手である。うまく口にジョッキやコップを運べないのだ。
固形燃料が置かれた小鍋や刺身、小皿には生魚が何か得たいの知れないソースに和えられているのが見える。まさに宴会コースの酒膳である。
瓶ビールが1本ずつ置かれ、いやがうえでもさしつさされつの展開に引きずり込まれる。
今でこそ、こういう会の常連となったが、若い頃に参加していた頃は苦手だった。おじさんらの話しを聞き、コップが空いたら、注がなければならない。たとえ酒席でも、話しを聞かない記者はダメな書き手のレッテルが貼られる。そう先輩から教わった。だから、たとえふりでもいいから、話しを聞くことにしよう。どうせ、ここで聞いたことは全部オフレコなのだから。
今はただ泰然と酒を飲み、小鉢をつつく。
揚げ物は「味噌カツ」。そして名古屋コーチンの生ハム。小鍋は「名古屋コーチンの引きずり鍋」だった。
この「引きずり鍋」というものがよく分からなかったが、とにかくボクは無心で食べた。
鍋の出汁は濃厚だった。黄金がかった鶏出汁はおいしい。
立って飲んでいないせいか、ボクは酔わなかった。
500人もの人がこの日、店に入っていたかは分からない。だが、どこの座敷も人でいっぱいだった。この部屋も他のグループらの人でごった返し、阿鼻叫喚の様相を呈している。
それでもボクは泰然と酒を飲み続けた。
尾張。
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