1週間は瞬く間に過ぎていった。結局、わたしはずっとボブネッシュ家でのんびりと過ごした。
ボブネッシュとは様々な話をした。
だが、どうしても乗り越えられない壁のようなものが常につきまとった。
多分、それはお互いのアイデンティティを形成する資本と経済を背景にした思想のようなものかもしれない。
だが、これは実に厄介だった。
それはイデオロギーだったからだ。
やはり、自らが由来するものを我々は押しつけてしまうのだろう。
デリーの街を歩く。
そこにはいつも貧困があり、病があった。
何故、この国の問題は解決されないのだと。わたしはそう思う。
ネガラを絞ってもらう。ストックされたサトウキビには大量のハエがたかっている。貧困も病も、この不衛生から来ているのだろうか。それとも、貧困があるから不衛生なのだろうか。
デリーのメトロの駅へ行った。
竣工してまだ10年も経っていないという駅なのに、その朽ち果てた姿に「あぁやはりインドだな」と思ってしまう。
実はその思いには蔑みのようなものがあることをわたしは否定はしない。
インドはカオスである。
その濃厚さにわたしはいつも目を背けてしまう。
わたしは帰国の途についた。
今回わたしが呼ばれた意味の答えは出ていない。
デリーの黄色く濁った空気にぼんやりと映る夕日を見ながら、わたしは空港へ向かっている。
そもそもとして、一致することがあるとか、理解し合えると思わないほうが良くて、柔軟に意見として聞く姿勢は持つというので十分なのではと、俺は最近思うよ。
そして師よ。印度においては俺たち異国の旅行者にも分かりやすい形で存在しているだけで、日本にも常に、貧困も、それらに起因する病も、存在していると思う。その量的な差はあるとは思うけれど・・・。
国とかなくなって、世界連邦政府とかになれば、戦争も飢餓も、貧困やそれに起因する病もなくなるのかなあ・・・。
でも、人も所詮ただの一地球上の生物として、人が見下している他の下等!?な生き物と同じで、そうはならない気がするよ、残念だけど。
それは、常にボクがインドで考えたことで、ずっと一人だったせいか、考える時間が膨大にあったよ。
今回、「デリーなぅ」は、その時に考えたこと、つまり「オレ深」の本編でこれから自らに問うことを出してしまうと、本編とこの番外編がこんがらがってしまうような気がして、書くのに気が進まなかった。
だから、多分、言葉の半分も通じてないのかなと感じている。
イデオロギーというと、大仰なもののように見えるけれど、それはポストモダンとプレモダンの対峙であったり、日常的な小さな所作の違いでも、それはあると思っている。
また、貧困や病気についても、決して日本の日常から目を背けているわけではなく、インドの日常において、旅行者でもビンビンと感じてしまう貧困、もっといえば街を歩いていて、あからさまに金を要求してくる貧困に対し、ボクら旅行者は、ただただ茫然となってしまう、それがいつも心の中に引っかかってきた。
今回の「デリーなぅ」は本編の予告編としてとらえてもらいたいと思っている。
本編、楽しみにしてるよ。
しかし、もはや何が本編なのか、分からない状況になったよ。だって、20年前だもんね。
今回の旅の本編的なものがあるのかと思ったよ。
沢木の深夜特急もそうだけど、自分が旅してたその時と、時間が経ってからの考え方と、それを文章にしたりした時、それぞれで自分の考え方とか色々と変わるからねえ。
まあ、それもまたいいと思うし、むしろそうでなければ長々生きてる意味もないと思うよ。