プレミアムモルツが運ばれてきたときは少しがっかりした。魚にはホップの強いビールは合わない。いや、焼き魚ならまだしも、刺身で食べる魚に香りの強いビールはNGだと思う。 . . . 本文を読む
東日本大震災から3年が経ち、なんとなく東京に住む大勢の人たちは通り過ぎてしまった過去のように感じている。だが、本当にわたしたちは記録したのだろうか。ただ単に記憶にのみ留めたのではないだろうか。そのために、わたしたちはいつも被災地に目を向けていなければいけない。だって、被災地を見つめる視点も、被災地から見つめる視点も、わたしたち自身なのだから。 . . . 本文を読む
自分が思っていたほど、エキセントリックな店ではないと思った。いや、むしろその逆であるように思う。この金額、そして客の頼み方の我が儘。これに対応するには、ある程度の統制が必要だと思う。しかも、相手は酔客だ。ルールは必要である。「宇ち多”」を見ていると、酒場の文化史が分かるような気がする。いや、文化史というよりも文化形成のプロセスといったらいいだろうか。 . . . 本文を読む
かつて、ボクはこの通りで飲んだ際、「いくつもの涙とホッピーが路面を濡らしたことだろう」と書いた。
それは、競馬に敗れたやさぐれの男どもの挽歌は、この居酒屋で癒すことができたのかというドラマ性を比喩したものだが、そうしてしみついた涙とホッピーは、この強い雨できれいに流されているような気がする。
明日の有馬記念を前に、一度この通りの路面をリセットする必要があるのかもしれない。
そんなボクは、この朝泣きたい気持ちだった。なんだか、とても寂しい朝だったように思う。だから、雨が降っていて、それも強烈に強い雨が降っていて、ボクをずぶ濡れにしたことはかえって、良かったのだと思う。ボクに容赦なく降り注ぐ雨たちが、ボクをきれいにしてくれるだろう。そう思ったのだ。 . . . 本文を読む
時刻は10時を回り、いよいよパハルガンジの通りは更に人々が増えている。陽射しは強烈で、ムッとする蒸気に独特の香りが漂う。 なんの匂いだろう。人の脂の匂いのようでもあり、様々なスパイスから立ち込める匂いのようでもある。いやいや、露天の果物屋の見たこともないフルーツから発せられるそれにも感じるし、またヒンドゥの神々に捧げるインセンスの匂いもありそうだ。とにかく、これらがないまぜになった未知の匂いが、通りを支配している。そればかりでなく、電動機を持つ、オートリキシャは絶えずクラクションを鳴らし続け、自転車の男たちは、ベルを鳴らす代わりに、口で「スースー」と風切音を出して、自分の存在を他人へと知らす。そうして、通りは収拾がつかないほどのトラフィックジャムに、様々な音が交錯したカオスの様相を呈するのだった。 . . . 本文を読む
さて、人類が滅ぶ前に、このような居酒屋業界の方がよっぽど危ういのではないかと思っていたら、この店、「NIJYU-MARU」の飯田橋駅前店はその数ヶ月後に閉店した。もし、一流の居酒屋を目指すなら、人生最後の一献の店として選ばれる覚悟が必要なのではないだろうか。それは居酒屋甲子園で叫ばれるような、夢や希望ではないと思う。 . . . 本文を読む
南インドのビッグシティ、ハイデラバードで一体ボクは何を食べて生きていたのか。
それすら、もう忘れてしまった。
ボクは南インドにいる頃には、すっかりミールスが食べられなくなっていて、毎日サモサとパンだけのご飯を食べていたように思う。近所のサモサ屋に行って、サモサを2個ほど買い、近所のパン屋に行って、1個2ルピー程度のパンを購入し、サモサをパンに挟んで食べていた。一度だけ、ご当地の名物「ビリヤニ」を食べたが、ミールスに比べれば比較的高価だったから、その後はもう食べなかった。 . . . 本文を読む