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土曜日の早朝、冬の雨。土砂降りに濡れながら、ボクはホッピー通りを往く。
どこかで雨宿りをして行こうか。傘は既に買った。もう1本買うくらいなら、温かい煮込みを食べた方が得するような気がした。
朝の9時半に開いているお店は「居酒屋浩司」。土日は朝から営業しているという。本当は「鈴芳」に行きたかったが、それは仕方がない。
突然、スーツを着たずぶ濡れの男が入ってきたのを見て、一瞬店員はギョッとした顔をした。なにしろ、髪からポタポタと濡れた滴がしたたり落ち、タオルなど持っていないから、拭くこともままならず、ボクは出されたおしぼりでとりあえず顔を拭いた。
一瞬、戸惑いの表情を見せたおばちゃんはすぐに平静を装い、ボクに「何にします?」と訊いてくる。この浅草六区では、ただ濡れ鼠の男が入ってきたぐらいたいしことではないのだろう。喧嘩して血を流す男や、もっとひどい男どもを相手にしたこともあるに違いない。とにかく、ここは浅草六区なのだから。
ボクは雨粒が入った寝不足の目をしばたたかせながら、おばちゃんに「生ビール」と「牛筋煮込み」(450円)を頼んだ。
カウンターの向こう側に、まるで店のシンボリックのような存在感を露わにする大鍋があり、そこに「煮込み」が湧きたつ香りとともに見える。多くの者が、ついつい「煮込み」と口にしてしまう、そんな重厚な存在だ。
出てきたそれは期待に違わず、素晴らしいものがあった。じっくり煮込まれたと分かる大盛りの牛筋に、丸ごと半丁分の豆腐がごろりと横たわる。
スープはさらさらで、しょう油をベースに味付けされた本格派。ずぶ濡れの男は、かぶりつくようにそれを食べると、氷雨にあたり、すっかり冷えた躰を温めた。半分ほど夢中で食べたら、やっとひとごこちがついた。
スーツの上着をハンガーにかけ、店の中をぐるりと見渡すと、早朝9時半の居酒屋には複数の客がいた。赤羽の「まるます家」は開店の朝9時には満員になるが、さすがにそこまではいかぬとも、4,5人の客がもはや飲んでいた。客の連れの一人なのか、それともこの居酒屋の家の子なのか、かわいらしい西洋人顔のハーフと思われる男の子がいた。居酒屋に子どもがいるのはなんだか不思議な光景だったが、ここは浅草だと考えれば、それもなんだか妙に合点がいく。そう、ここは浅草なのだ。何があっても許されてしまう。
煮込みは本当においしかった。ボクの大好きな豆腐が中まで熱く、食べ応えが十分だった。さすが、浅草、このホッピー通りの「煮込み」にハズレはない。もつ煮ばかりがポピュラーな存在として出されるが、牛すじのそれも煮込みとしては王道だ。だが、筋肉はもつほど簡単ではないと思う。煮方を誤ると、牛筋の場合、臭くなってしまう恐れがあるからだ。だが、この店の「牛すじ煮込み」は絶品だった。これならもう1杯も簡単に平らげられるような気がする。
生ビールはスーパードライ。そのため、1杯飲んでから、ホッピー白に切り替えた。
あては「おでん」。とことん、冷え切った躰を温めようと考えた。
雨はまだ降り続いている。
かつて、ボクはこの通りで飲んだ際、「いくつもの涙とホッピーが路面を濡らしたことだろう」と書いた。
それは、競馬に敗れたやさぐれの男どもの挽歌は、この居酒屋で癒すことができたのかというドラマ性を比喩したものだが、そうしてしみついた涙とホッピーは、この強い雨できれいに流されているような気がする。
明日の有馬記念を前に、一度この通りの路面をリセットする必要があるのかもしれない。
そんなボクは、この朝泣きたい気持ちだった。なんだか、とても寂しい朝だったように思う。だから、雨が降っていて、それも強烈に強い雨が降っていて、ボクをずぶ濡れにしたことはかえって、良かったのだと思う。ボクに容赦なく降り注ぐ雨たちが、ボクをきれいにしてくれるだろう。そう思ったのだ。
ホッピーをナカで3杯をやり過ごし、おいしく温かいおでんで撃破すると、ボクの躰は温かさを取り戻し、服もいくらか乾いた。お客は雨にも関わらずひっきりなしに訪れて、次第に店内は賑やかになっていった。
ホッピー通りは「鈴芳」しか入ったことがなかったが、この「浩司」もいい店だなと思った。店は実際に入ってみなければ分からない。
そうこうするうちにメールが入った。
小樽の兄貴、みーさんから、この日上京する旨の内容だった。
1週遅れの「討ち入り」、もとい「宇ち入り」。
そうするうちに、雨は次第に小降りとなり、ボクはお勘定をしてもらった。
駅へ急ぐ途中、嬉しい再会があった。
13年ほど前、ボクが新橋駅を乗換としていた頃、新橋駅前ビルの地下でカモシカ皮の帽子を売っていたカナダ人のお兄さんが、やはり出店をしていた。
ボクは近づいて、彼に「Remember me?」と尋ねると、やや間があって、彼は笑顔で「Of course」と答えた。
いつしか、ボクの心の涙はきれいになくなっていた。
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