パハルガンジに出てみて、その迫力にアッと息を飲んだ。
自転車やバイク、リキシャ、そして人の洪水がそこにあったからだ。建物は無造作に雑然と作られ、そこに秩序といったものが感じられない。
女性たちのサリーは色とりどりで、ほとんどの女性は鼻にピアス、そして額には赤の染料が塗られている。男どもは、襟がついたシャツを着た者がほとんどだったが、ターバンを被ったシィクもいれば、ムスリム帽をかぶる人もいた。様々な人がいる中で、更に驚いたのは、その人の洪水の中を悠然と歩く牛たちがいることだった。ヒンドゥ教で聖なる存在である牛たちがいくら崇められていたとしても、我々日本人の感覚では、街に牛が闊歩していることは到底信じられない。今まで通ってきた国々では見られなかった光景が目の前にあった。
時刻は10時を回り、いよいよパハルガンジの通りは更に人々が増えている。陽射しは強烈で、ムッとする蒸気に独特の香りが漂う。
なんの匂いだろう。人の脂の匂いのようでもあり、様々なスパイスから立ち込める匂いのようでもある。いやいや、露天の果物屋の見たこともないフルーツから発せられるそれにも感じるし、またヒンドゥの神々に捧げるインセンスの匂いもありそうだ。とにかく、これらがないまぜになった未知の匂いが、通りを支配している。そればかりでなく、電動機を持つ、オートリキシャは絶えずクラクションを鳴らし続け、自転車の男たちは、ベルを鳴らす代わりに、口で「スースー」と風切音を出して、自分の存在を他人へと知らす。そうして、通りは収拾がつかないほどのトラフィックジャムに、様々な音が交錯したカオスの様相を呈するのだった。
わたしはとんでもないところに来てしまったと思った。それはある意味、洗礼であった。
これほど、強烈なインパクトをわたしはこれまでの旅の中で感じたことはない。まさに五感全てで、わたしの脳はパニックになってしまった。
とにかく、落ち着こう。
これまでと同様に、どこかで何かを飲んで、タバコを吸いながら、心を落ち着かせることが必要ではないか。
これまでの国で、そうしてきたように。
1軒の飯屋に入ってみた。
こじんまりとした小さな飯屋は、何を食べさせてくれるのか、外見からは判然とせず、中に入ってもメニューカードひとつなかった。なにを頼んでいいのか分からぬまま、周囲の人の食べる姿を見て、ついつい焦って「あれと同じものを」と指差して頼んでしまったのは、わたしがまだインドのリズムに乗り切れていない証拠だった。しばらくして眼前に出てきたのは、カレーとチャパティ、そしてダヒィと呼ばれるヨーグルトと豆のスープである「ダール」がワンプレートで出てくる、いわゆる定食のターリーであった。朝からカレーというのも、少し重い気がしたが、インドでは、これが普通の日常のはずである。わたしはチャパティを手に取り、それにかぶりついた。
インドの本場のカレーを食べた者であれば、それがいかに日本のそれとかけ離れたものであるかは分かるだろう。そもそも、インド料理屋で定番であるナンなど、インドの大衆食堂では一切出てこない。それよりももっと生地の薄いチャパティというものが数枚出される。これにカレーをつけて、食べるのがインド流であった。わたしは周囲のテーブルの人たちがするのを真似て、慎重に食べた。
ひっきりなしに飛んでは食べ物を執拗に狙う大量の蠅が気になって仕方がなかったが、そのカレーはとてもおいしいものだった。これで、このインドでも飢え死にしなくて済むと思ったものの、ただ、豆のスープのダールは、クセが強くて、食べきることができなかった。基本的には、好き嫌いがない自分なのだが。
食後にチャイを頼んだ。ヴェトナムやカンボジア、ラオスでは練乳入りのコーヒーが、いわゆるお茶といての定番だったが、インドのお茶はチャイというのが定番であると、バックパッカー仲間から聞いていた。そのチャイはいわゆるミルクティーなのだが、飲んでみると、恐ろしく甘い。だが、この極端に甘い飲み物は、この苛烈な地のインドにぴったりだと思った。わたしは、このチャイが大好きになった。
会計の段になり、請求された金額に驚いた。
ターリーが60ルピー、チャイは10ルピーだという。しめて、2.5ドルという金額はかなり高い。物価が安いとあちこちで聞いたインドの食事がそんなに高いはずはないだろう。
「何か間違っていないか」と店の主人に金額を確かめようとしたものの、「いやそんなことはない」で押し切られてしまった。どうにも腑に落ちなかったが、もしかすると、全てが事前交渉のインドの値段設定は、この食事にも適用されるのだろうか。それならば、わたしはつい迂闊なことをしてしまった。食べる前に食事の値段を確認しておくべきだったのだ。
この出来事も、わたしに対するインドの洗礼のひとつだった。
※これまでの「オレ深」は、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴ってきました。インド編からは同時進行ではありませんが、これまでの経過とともに、鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
インドの喧騒の中に身をおくと、自分が日本人という全くのよそ者であるということを如実に感じると共に、その体験したことのない騒々しさと混沌に呆然とするよね。
そして、外国人観光客だとわかった途端、襲い来るリクシャーワーラーや客引き。
ある人はそんなインドが大好きになり、ある人は大嫌いになる・・・。(笑)
しかし、安食堂での請求は完全にやられてるねえ。驚きの超ぼったくり価格。店の親父は師からせしめた後、ほくそ笑んだだろうねえ。
でもボッタクリ価格については抗議しても「外国人価格(ツーリストプライス)だから。」って言ってくるっていうのが、伝家の宝刀、水戸黄門の印籠のごとくあったから厄介だったね。
俺も値段を聞いたサモサがあまりにも高いから、しばらく店の前で様子を見て、現地の子供が買ったサモサの金額と同額を出しつつ買うよって言ったら、「あれはインド人価格。お前はツーリスト価格になるからこの金額では買えない。」ってニヤッてされたことがあるよ。
パハルガンジの写真、いいねえ。懐かしいよ。今もまだこんな感じなのかなあ。
目まぐるしくボクの心を揺さぶるインドの洗礼。ボクはこれまで通ってきた国とは違う、感覚に陥っては、その度に、悩みもがいていった。
その逡巡を少しでも忠実に再現したいと、16年前の日々を一生懸命思い出している。
思い出す作業はとても楽しく、まるでインドにいた日々に心が帰っている錯覚に陥っている。でも、もしかすると、ボクの心はそのとき本当に、インドにあるのかもしれない。もし、そうだとすると、それはとても幸せな時間だ。