栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

大いなる勘違い東国原にとことん嘗められた自民党

2009-06-25 12:32:28 | 視点
 「豚もおだてりゃ木に登る」という言葉がある。
本来、木に登れない豚でも、おだてられれば木に登ってしまうということだ。
豚でさえこうだから、人間はおだてにもっと弱い。
いとも簡単に木に登るばかりか、おだてられて身を滅ぼす。
だから、おだてには注意しろ、と過去、何度もベンチャー経営者に警鐘を鳴らしてきた。
それでも人は自分の力を過信し、謙虚さを忘れ、頭に乗りすぎて木から落ちる。

 人間には2種類ある。
比較的冷静でおだてに乗りにくいタイプと、ちょっとおだてられれば調子に乗って舞い上がり、自らの力を錯覚するタイプの2つが。
東国原・宮崎県知事は明らかに後者のタイプである。

 そのことに最初に気付いたのは半年前。
衆院選出馬が取り沙汰された時のことだ。
あの時、彼は舞い上がって中央政界に出たがっていた。
もともと目立ちたがり屋だけに、もう地方の県知事職にうんざりしていたに違いない。

 好意的に解釈すれば、1年足らずで挙げた自らの実績(その大半は観光PRに過ぎないのだが)に有頂天になり、自分の力を過信し、中央政界でも力を発揮できると勘違いしたのだ。
 この時は宮崎県民の反対(冷静な判断)に遭い、衆院選出馬を封印した。
ただし、きっぱりというわけではなく、未練たっぷりな様子だった。
「宮崎のために」と何度も言っていたが、本心はそうではあるまい。
「宮崎」ではなく「自分のために」なのだ。
 そのことを感じた。
だから、直前にもう一度出馬を言うだろうと思っていた。
その通りになった。

 そのことは彼の行動をじっと見ていれば宮崎県民も分かったはずだ。
週のうち半分以上東京に行き、TVに出ているのだから、どんなに「宮崎のため」と強弁しても、それは自身のタレント活動で、県政に割く時間が少ないのは誰の目にも明らかだ。
 宮崎のPRなら他県などでよくやっているタレントを「大使」に任命し、PR活動をしてもらえばいいのだ。

 それにしても「私を総裁候補にして戦う覚悟があるか」とはよくもまあ言ったものだ。
自民党選挙対策委員長の古賀誠氏が会いに来るので舞い上がったのだろうが、実はその前段があった。
 2日前の22日、県庁で記者団から県知事と総務相との兼務について聞かれた時、次のように答えているのだ。(内閣改造で東国原知事を総務相に起用する案が、自民党の一部で取り沙汰されていた)

 「法的には可能だが、物理的にはどちらも中途半端になるのでは。両方激務で、責任もあるから」

 一応、その線はないと否定するポーズを取りはしているが、きっぱり拒絶はしていない。
 それどころか続いて
「僕の能力からして可能かもしれない。その辺りは少し微妙。県民、国民が判断すること」
 と述べている。

 もう、この段階でやる気満々。入閣OKなら出馬間違いなしだ。
「僕の能力からして(知事と総務相の兼務は)可能かもしれない」だって。
思い上がりも甚だしい。
 半年前には県民の総反対に遭い、衆院選への出馬を取りやめた経緯があるので、今回は用心深く「県民、国民が判断すること」と「国民の判断」を付け加えている。
つまり、県民が反対しても、全国で「出てくれ」という声が高まれば、衆院選に出ると言っているのだ。
狡い男だ。

 そして2日後、古賀選対委員長との会談で「総裁候補」云々という発言が出る。
思い込みが激しいタイプにはこうした思考回路はありがちである。
自らの中ではすでに総務相は既定事実である。
だから次は「総裁」となる。

 本人の思考回路は「宮崎を変えた」→「日本を変える」→「それは俺しかいない」→「俺にしかできない」となっている。

 それにしても自民党はよくぞここまでコケにされたものだ。
ただ、東国原知事の先の発言は両刃の剣で、自民党だけでなく自身をも傷付けた。
自民党議員の反発を招き、「総裁候補」どころか、最悪の場合、自民党公認での衆院選出馬の芽もなくなるだろう。

 宮崎県民の東国原熱も一気に冷めたに違いない。

案外失ったものの方が大きくなるのではないか。